別離14
藤堂の住んでいる町は電車で通り過ぎたことはあるがいままで降りたことはなかった。改札は一つ、それを抜けると北と南に出口が分かれている。
駅前はスーパーやコンビニ、商店街などがあり人通りも多いようだ。しかし賑やかという雰囲気ではなくどこか落ち着いた町並みだ。大通りを渡って一歩内に入るとそこから先は住宅地が続く。
駅から五分ほど歩くと白い外壁にオレンジ色の屋根が映える一軒家があった。その家は近所でも目印にされることが多いらしい。
表札は三島、その向かいの家は片平だ。そしてここから二、三分くらい歩けば藤堂の家がある。立ち並ぶ家の中で藤堂の表札を見つけると、僕はカーテンが締め切られた窓を見上げた。
「やっぱりもういないか」
チャイムを二回鳴らしてみたがそれに応答はなかった。しばらくその場で待ってみるが、家には明かりがついている様子もないので誰もいないのだろう。
「駅に戻って大人しく片平と三島が帰ってくるのを待つか」
片平と三島のところへは藤堂からの連絡はきていなかったけれど、午前中に藤堂から片平の母親のもとへ着信があったようだ。
しかしその時は仕事中で電話を受けられなかったため、用件がなんだったのかそれはわからないままらしい。いまは折り返しの連絡を待っているところだと言う。
電話があったのは十一時頃らしいので、そのくらいの時間に藤堂は病院を出たのだろう。結局藤堂の行方はいまのところ誰も把握していないということだ。なにか手がかりになるものがあればいいのだが。
「藤堂の交友関係は知らないからな」
片平や三島、峰岸など学校の交友関係はなんとなくわかるが、学校の外――プライベートでの人付き合いはまったく聞いていないのでわからない。
こんなことになるんだったらもっと色々聞いておけばよかった。傍にいたのに、僕たちはお互いのことをあまりにも知らなすぎる。
まだこれから先に時間はあると、悠長に構えていたのがよくなかったのだろうか。
「あー、駄目だ! 後ろ向きになるな。ちゃんと前を向け」
気を抜いたら心が切なさや寂しさに負けてしまいそうになる。藤堂がいないことが不安でたまらなくなりそうだ。けれど俯いているわけにはいかない。俯いていたら大事なものを見逃してしまいそうだから、前を向いていなければ。
「そうだ、メールだけでも送っておこう」
なにかのタイミングで携帯電話の電源を入れることがあるかもしれない。微かな望みにでもかけて連絡がとれることを願いたい。
「会うのが一番いいんだけど」
直接会ってその目を見ればその心がわかる。本当にそれを望んでいるのか、嘘をついているのか、我慢しているのか。藤堂は正直だから心に思っていることが目に現れる。
「会って抱きしめたいな」
しばらく触れていない気がする。藤堂は会えばいつも抱きしめてくれた。けれど入院してからは少し距離ができてしまった。温かなぬくもりも柔らかな匂いもずっと触れて感じていない。
「けど、寂しがっている場合じゃ」
「うわっ」
無意識に力が入っていたのか、携帯電話を握っていた手を振り上げてしまった。そしてそれと共にその手になにかがぶつかった。その感触とすぐ傍で聞こえた小さな声に驚いて、僕はその場に立ち止まってしまう。
「あれ?」
藤堂の家から駅に向かい歩いていたはずだが、ふと周りを見回して首を傾げてしまった。来た道とは違う見覚えのない道、景色に戸惑う。
「ちょっとお兄さん、人を殴っておいて無視?」
しかし険のある声が聞こえてきて我に返った。すぐ目の前に買い物袋を片手に額を抑えながらこちらを見ている青年がいた。辺りを見回していた視線を目の前の人へ向け、僕は大きく頭を下げる。
「すみません。大丈夫でしたか。よそ見していて」
「まあ、ちょっと、おでこにぶつかったくらいだけど」
大げさなほどに頭を下げた僕に驚いたのか、目の前にいる彼は雰囲気を和らげると、少し気恥ずかしそうに視線を泳がせる。しかしちょっとぶつかったと彼は言っているが、あれはかなり勢いよくぶつかった感触だった。
「ながら歩きは気をつけなよ」
「本当にすみません」
気の優しい青年に小さなため息交じりで諭されてしまった。言い訳は見当たらない。携帯電話をいじって考えごとをしていたから、まったく周りが見えていなかった。
普段は人に注意する立場にいると言うのに、なんだかもう恥ずかしさと申し訳なさしかない。しかも気のせいでなければ、僕はいま迷子だ。
「申し訳ないんですが、駅どっちですか」
「え? 迷子なの?」
心底驚いたような表情を浮かべる彼にじわりじわりと頬が熱くなる。小さく頷くとさらに吹き出すように笑われた。しかし彼は片手を上着のポケットに突っ込むと、携帯電話を取り出し地図を開いてくれる。
「いまここ、向かって歩いてたのとは逆方向にこう行って、ここを曲がれば大通りに出るから」
「なるほどここを通り過ぎて歩いてたのか」
僕は考えごとをしながら歩き、曲がるはずの角を曲がらずひたすらまっすぐに進んできてしまったようだ。しかも数分くらいの距離しか感じていなかったけれど、結構な距離を行き過ぎている。青年の指さす道を頭に収めようと僕はまじまじと携帯電話の画面を見つめた。
「ありがとうございました」
「……」
「おかげで道もわかりました」
「……」
地図を見ていた視線を青年に向けて頭を下げると、僕は笑みを浮かべて礼を告げる。しかしなぜか青年は僕の顔をじっと見つめたままぴくりとも動かない。
どうかしたのだろうかとしばらくそのまま、まっすぐな視線に見つめられていると、青年は考え込むような仕草をし始めた。
「あの」
「お兄さん、ちょっともうちょっと顔こっち向いて」
「え?」
急に正面から覗き込むように顔を近づけられて、驚きのあまり肩が跳ねる。青年はとても綺麗な顔をしていると思う。
間近で見ても損なわれないほど瞬くまつげも長く、肌も艶やかで目鼻立ちもはっきりしていて整っている。しかしいくら綺麗な顔でも、いきなり目の前に迫るとどうしていいかわからなくなる。
「思い出した!」
「え? なにを?」
僕の顔をじっと見ていた青年がいきなり大きな声を出してこちらを指さした。その声と仕草にまた肩が大きく跳ね上がってしまう。
「お兄さん、ユウが追いかけてった人でしょ!」
「ユウ? 追いかけた?」
「あれからユウとどうなったの!」
僕の肩を掴み矢継ぎ早に聞いてくる青年に頭の中が混乱してうまく言葉が返せない。それでもなんとか頭を働かせて考える。ユウという呼び名には覚えがある。追いかけたというのはどういう意味だろう。
「もしかして覚えてないの? 背の高い黒髪のイケメンだよ。二年ちょっと前くらいの雪の晩に会ったでしょ」
「え? ユウって、藤堂?」
二年前の冬に会った人物でユウと言えば一人しかいない。しかしそれを知っている彼は誰だろう。僕はあの日のことを思い出しながらじっと目の前の青年を見つめた。