晴れ渡った空にゆっくりと流れる白い雲。
窓際に寄せた椅子に腰かけ、俺はぼんやりと外を眺めていた。けれどずっとそんな代わり映えのない景色を見ていると、正直次第に飽きてくる。ため息交じりに室内へ目を向ければ、慌ただしく動き回っている神楽坂の姿が目に留まった。
「案外、真面目なんだな」
黄色い頭は普段から一際目立つが、いまは余計に目に入る。しかしそんな忙しい級友を手伝う気など毛頭ない。見ているだけでいいから、手伝う必要はないからと言われ、腰を上げるほど自分はお人好しではなかった。
「こういう時って女子は扱い易くて楽だな」
けれどふいに目が合えば、固まりあった数人の女子たちがなぜか色めき立つ。
「でも面倒くさい」
頬を染めるあれがあの人だったならば、間違いなく可愛いとそう思えるが――。
「なにを考えてるんだ俺は」
それを想像してくらりとした頭を抑えると、俺は小さくため息を吐いた。
「はいはい、これ並べて」
ふいに神楽坂の声で意識を引き戻される。
四角く組まれた長机の上に、いつの間やら片手に乗る程度しかない、小さな折に入った料理がいくつも並んでいた。彩り鮮やかなそれらに感嘆の声が上がり、会議室は和やか過ぎるほど和やかだ。
「この時間に集まったのはこれの為か」
俺はそれらを眺めながら思わずため息を漏らした。
昼休みの招集。今回は来賓に出す料理の試食と言うところだろう。こういうところまで実行委員が行うとはなんとも面倒くさい話だ。この調子だと何度呼び出されるかわからない。
そんな会議室には現在、三年の実行委員と生徒会が集まっている。一年と二年は創立祭の催し物を演出する役割で、三年はなにかと忙しいことを考慮して、準備にさほど時間を取られないホスト役に回るらしい。変な気遣いをするくらいなら、いっそ外してくれればいいのにと、いまはそう思わずにいられない。
「先生、ご飯は食べたかな。また乾き物じゃなきゃいいけど」
ふと思い出された姿に思わず苦笑する。窓の外を眺めて準備室の辺りに視線を向けるが、ここからでは死角になってそれは見えなかった。
「こんなことなら逃げたりしなきゃよかった」
朝の失態を思い出し頭が痛くなる。視線を感じて顔を上げた瞬間、こちらをじっと見ている彼に気がついた。しかし俺は思わず顔をそらしてしまった。
あれから連絡もしないままで、なんと言って話しかけたらいいのかわからなかったのだ。だからもう少し落ち着いて、気持ちの整理ができてからちゃんと話をしたいと思っていた。それなのに唯一、ゆっくりと話ができる昼休みに借り出されるなんて、まったくもって予定外だ。
思わず深いため息が出る。
「どうした? 昼間っから、そんなでかいため息ついて」
「……」
ふいに目の前にお茶のペットボトルをぶら下げられた。それに気づき振り向けば、にやりと口の端を持ち上げる男が立っていた。それはため息の原因を作り出した張本人、生徒会長の峰岸だ。
俺の反応を待っているのか、峰岸は顔にかかる薄茶色の長い前髪をかき上げながら、じっとこちらを見下ろしている。
「受け取れよ」
いまだ目先で揺れるペットボトルの存在を無視していれば、その底を額にぶつけられる。渋々それを受け取ると、峰岸はガチャガチャと耳に障る音を立てながら折り畳みの椅子を引きずり、俺と向かい合うように座った。
周りでさわさわと気配が揺れる。
「なにを見てんだ? 西岡センセ?」
俺の眺めていた方角へ視線を向け、峰岸は楽しげに目を細める。その表情に小さく舌打ちをして、俺は目の前で笑う男の爪先を蹴り飛ばした。
「お前は相変わらず気が短いな。あの人の前じゃ別人みたいに惚ける様な顔して笑ってるくせに」
蹴り飛ばされてもさして気にした様子は見せず、足を組みながら峰岸は口の端を緩める。その表情に今度は椅子の脚を蹴り飛ばした。軽く浮いた椅子がガシャンと床の上で音を立てる。
その音に室内にいる者たちは何事かと皆、ぎょっとした顔で振り返った。
「俺はこっちのほうが好きだけどな」
「頭がおかしいんじゃないか」
ニヤニヤとする峰岸に目を細めれば、また周りがさわさわとする。いや、おかしいのはこの場にいる女子の反応か、俺たちのやり取りを遠くから眺めながら、どうしようもないほど楽しげだ。なにが面白いのかさっぱりわからない。
「わかってないな。藤堂はツンデレじゃなくて、どっちかって言うと鬼ち……」
女子の会話にほくそ笑む峰岸の額に目がけ、俺は逆さに持ったペットボトルを振り落とした。プラスチックがへこむ鈍い音と峰岸の笑い声が重なる。
「意味のわからない単語を喋るな」
「ほんとのことだろ。俺はいままでお前がキレてる姿は見ても、デレる姿は見たことねぇぞ。まあ、いまはあの人にデレデレだけどな」
「うるさい、お前相手にどうしろって言うんだ」
苛立ちを含んで視線を向ければ、峰岸は肩を震わせながら笑いを堪えていた。こうやって人をからかい楽しむのがこの男の悪い癖だ。
「そんなに怒るなよ。よくこんなんでセンセといてボロが出ないもんだな。まあ、あんまり変わってなくて安心したけど、ってどこに行くんだ」
急に立ち上がった俺の腕を峰岸がとっさに掴む。
「戻る」
掴まれた腕を振り払い眉を寄せれば、峰岸も視線を合わせるように立ち上がった。
「まだ終わってないぜ」
「なにがしたいんだ」
生徒会が今回主軸になっているとは言えど、神楽坂を半ば脅して俺を実行委員にさせる意味がわからない。少なくともこの男は、俺の放課後が空いていないことを知っているはずだ。
首を傾け至極楽しそうに笑う峰岸の顔を見ていると、思わず大きなため息が出てしまう。元々気まぐれな男だが、その言動は相変わらず読めない。
「いや、なにがしたいというより、お前があまりにも本気だから、多分ちょっとした未練だろうな」
「は?」
よくわからないその返答に、俺の顔は無意識のうちに険しくなった。
「お前に未練残される覚えはない」
「まあな」
軽い返事をして笑う峰岸。しかしふいに腕を持ち上げた峰岸の手が俺の顔を掴み、頬を撫でた。口元を緩める峰岸に目を細めれば、周りで小さな悲鳴が上がった。
「顔、素に戻ってる」
「元々こういう顔だ」
「嘘つけ。いつもこんな怖い顔はしてないだろ」
いまだ顔を触る峰岸の手を払い落とせば、また愉快そうにくつくつと笑う。その表情に思わずこめかみが震える。おもむろに峰岸の腕を掴み引きずると、俺は勢いよく窓を開け放った。
「お前、一回ここから落ちろ」
「そんな恐ろしい顔で見るなよ。お前ほんとにやりそうだからな」
俺の顔を見ながら肩をすくめ、峰岸は転落防止の桟に背を預け窓の縁に腰かけた。
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