嫉妬している? 僕が片平に?
それはあまりにも予想外の言葉で、頭の中が真っ白になってしまった。まさかそんなはずはない、そう思っているのに、あ然としている僕へ片平は小さく首を傾げる。
「先生は鈍いくせに、かなり独占欲強いほうだよね」
「は?」
突然の問いかけに思わず間の抜けた声が出る。
「自分以外と仲よくしたり、自分じゃない人に笑いかけたりするのって嫌でしょ」
「そんなことは」
「ない? なくは、ないよね」
違うと否定しかけて口ごもってしまった。少なからず心当たりがある。藤堂が自分には見せない表情を誰かに向けていたりすると、少しこうモヤモヤすると言うか、苛々すると言うかそんな気分になることがある。確かにそれは以前、気がついたことだ。
ということは、三島には感じなくて、片平には感じるあの違和感が嫉妬? そういえば昨日、三島にもやきもち云々と言われた気がする。
「先生はノーマルだから。女相手に嫉妬するのは正常だけど。優哉の心配するなら男よ、男」
力説する片平の言葉に一瞬納得しかけてから、僕は大きく首を捻る。
片平の言うように藤堂が男子といくら仲よくしていようが気にならない。しかし女の子と付き合ったことがあると聞いただけで動揺した。これは自分の感性なのだから仕方ないと言われればその通りだ。なんとなくいままでの違和感がわかる気がする。
でも――。
「いままで相手に対して、そんな風に感じたことがないからよくわからない」
「え?」
戸惑いがちに答えた僕に一瞬目を見開き、なぜか額を押さえて片平はうな垂れた。
「……先生、いままでの彼女ほんとに好きだった?」
「なに言ってるんだよ。そうでなければ付き合わないだろ」
「それなのに嫉妬するようなことなかったの?」
驚かれた意味がわからず訝しげに見れば、ふうと息を吐いて片平は小さく唸る。
「ああうん、そうだよね。先生だもんね。軽い気持ちで付き合うタイプじゃないよね」
乾いた笑い声を上げながらこちらを見る片平の様子に、思わず眉間にしわが寄ってしまう。けれどそんな僕をよそに、ぶつぶつと何事かを呟きため息をつかれた。
「実は恋愛音痴? いや、って言うか、なんでそこまで意識してるのに気づかないかなぁ」
「片平?」
「なんでもない!」
「……」
大きく首を振りながら、誤魔化すように笑われるとその先を追求する気も失せる。諦めたようにため息をつけば、なぜか同じようなため息をつかれた。
「まあ、自覚がないなら自覚させてあげるしかないか」
「ちょっと待て。なんでそんなに強制的なんだ」
さも当然といった口振りで呟く片平にどうしようもなく力が抜けた。いつにもまして今日の片平は強引で、制止をする隙を与えてくれない。
「……先生って最近ここから見てるでしょ」
脱力して肩を落とした僕を一瞥して、片平は急に窓に視線を移した。
「なにを?」
片平が示すものがわからず首を傾げれば、彼女は指さすように腕を上げた。
「校門?」
「そ、優哉が来るの見てるでしょ」
「え?」
思わぬ言葉に目を瞬かせると、ほんと鈍い人ねと小さく呟かれる。
「優哉に聞いたの。なんで笑うのかって。そしたら先生がこっちを見て笑うからだって」
「いや、けどあれは」
確かに僕はここから生徒が登校してくる姿を眺めていることがある。そして片平が言うように、藤堂はなぜかタイミングよく必ずこちらを見上げて笑うのだ。
けれど――校門からここはいささか遠く、そんなにはっきりとわかるはずがない。
「自分を見ているから、わかるんだって」
「そんなわけじゃ」
反射的に声が大きくなり、急に顔が熱くなる。確かに藤堂たちの姿はよく見かけた。あの日以来、見かけなかった日はない。不思議と目について、帰り際ここへ寄って帰る藤堂の後ろ姿を見送ることもあった。
でもそれを意図的にしていたつもりはない。あくまでもなに気なく目に入るというだけで、わざわざ待ち構えていたつもりはない。
「無意識? 相当重症だと思うけど」
「重症ってなにがだ」
「しょうがないなぁ」
顔をしかめる僕の表情に片平はひどく呆れた様子で苦笑いを浮かべた。
「うるさい」
言われなくとも自分の鈍さはここ最近でどうしようもないくらい感じている。
「そういえば今日も藤堂、朝いなかったよな」
ふと今朝も片平と三島の姿しか見かけなかったことを思い出す。昨日のようにギリギリに登校してきた様子もなかった。
「もしかして今日は休みだったのか?」
「あのね、休みだったらさっき聞かれた時に休みって言うわよ。今日は遅刻」
「遅刻?」
昨日見かけた時も顔色が悪かったが、昨日の今日で遅刻してくるなんてほんとにどこか悪いのだろうか。
「夜眠れないんだって」
「不眠症?」
「さぁ、考え事し過ぎて眠れないんだと思うけど? 意外と神経か細いから、あの男。西岡先生が聞いてあげればいいのに。そしたら眠れるかもよ」
心配しているこちらの気持ちなどお構い無しに、片平は肩をすくめると僕を見ながら首を傾げる。
「な、なんだ」
しばらくじっとこちらを見たまま、一向に反らそうとしない片平の視線に居心地悪さを感じ、僕は思わず下を向いてしまう。
「先生は好きだってこと、認めるのが怖いだけでしょ」
「あんまり誘導尋問するな」
突然早くなった鼓動に焦りながら片平に視線を戻すと、大袈裟に肩がすくめられ、今度はそれを大きく落とされた。
「そうでもしないと認めないでしょう。あとから気づいて手遅れになっても知らないから」
「手遅れってなんだ」
怒ったような口振りで話し出す片平に戸惑ってしまう。怒られる理由がわからない。
「万が一、手が届かなくなって、それから気づいたって遅いんだからね。まったく、先生が鈍過ぎてあいつがハゲたらどうするの!」
「はあ? 一体どうしたらそうなるんだ、ってこら片平」
ムッと口を尖らせ、いきなり人の髪を両手でかき回し始めた片平の腕を取れば、さらにムキになりその腕に力を入れてくる。
「ちょ、ほんとに待て」
「認めちゃいなさい」
いくら小柄な片平でも、さすがに体重をかけてのしかかって来られると抗えない。椅子が後退して机にぶつかると逃げ場がなくなった。伸ばされる腕から逃れようと、思わず身体が後ろへ反れる。
勝ち誇った片平の顔に苦笑いしか浮かばない。
「不純異性交遊の現行犯」
「は?」
ガラリという戸が引かれた音と共に、台詞の割にのんびりとした声が響く。その声に僕は慌てて身体を起こした。
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