熱烈な歓迎を渉さんから受けた僕は、満面の笑みに曖昧な笑みしか返せず困っていた。それでも目の前の笑顔は変わらずにこやかで、僕がここにいることをとても喜んでくれているのを感じる。
しかしまわりの反応は大半が驚きに目を見開いている。固まったまま動かない人もいた。以前に展示場で偶然会った時はもっとまわりの人も悟ったような反応だったけれど、今回は随分と反応に違いがある。
「渉さん、みんな見てる」
「うん、大丈夫」
なんと言ったらいいわからなくて、遠まわしに言ってみたけれど、渉さんはまったく気にした様子もなくずっと機嫌のよさげな顔で笑っている。その顔を見ていると、肩に触れる手やまっすぐと見つめてくる視線を振り払ってしまおうという気は起きない。
むしろ本当に嬉しそうに笑うその姿に、つい甘やかしてあげたい衝動に駆られてしまう。渉さんは普段あまり僕に物ごとを押し付けてくるタイプでもないし、嫌だということは絶対にしない人だ。
そんな優しい彼が無邪気に笑っているのを見て、甘くならずにいられる人はどれほどいるだろうか。
「撮影までまだ時間があるからこっちおいでよ」
「あ、え、ああ」
ふいに手を繋がれて驚いていると、渉さんは柔らかい笑みを浮かべて僕を先ほどまでいた場所へと促す。するとそこにいた人たちは気を遣ってなのか、その場を離れていった。
「ここでね、撮った写真をチェックしていくんだよ。使えないものとかもここでチェック入れたりする、モニターチェックってやつだね。いまはデジタルだからその場ですぐ確認できるのが時短になっていいよ」
パソコンのモニターにはカメラチェックを行ったのであろう数枚の写真が並んでいた。それをマウスで操作して見せてくれる。僕はそれをまじまじと見つめてしまった。
画面の中の風景は衣装を持ち、仮で立っているスタッフさんと目の前にあるセットだ。けれどもなんだか写真の中に収められたそれはもっとリアルで、それが作られたセットであることが信じられなくなりそうだ。
もちろんメインは衣装なわけだから着眼点が違うが、これで藤堂や峰岸が衣装を着てカメラの前に立ったら、いったいどんなものができ上がるのだろうかといまから胸がわくわくする。
「あとで佐樹ちゃんにも撮らせてあげようか」
「え! いや、いい。こんなところで撮るなんて恐れ多くて恥ずかしい」
「ふふ、可愛い」
急な渉さんの申し出に慌てて僕は首を横に振った。ど素人がこんな立派なスタジオでカメラを持つなんておこがましい。冗談でも心臓に悪い話だが、渉さんの言葉はおそらく冗談などではないだろう。僕の慌てた様子を見て渉さんは小さく声を上げて笑っている。
「それにしても、こういう撮影ってみんなこんな大掛かりなセットで撮ることが多いのか?」
視線を巡らす一角は本物の室内のような壁紙が貼られ、おしゃれな家具に螺旋階段までついたどこかの一室のようなセットだ。
「うーん、今回はセットになったけど、一軒家とかが撮影スタジオみたいになってるところもあるよ。俺はほとんど外のロケはないから、外で撮るとしたら海外に出ちゃうかな」
「へえ、そうなのか」
そういえば渉さんは仕事で海外へ行くことが昔から多かったような気がする。人前に顔出しをしないから、国内での外ロケがないのだろうか。
そんなことを思いながら、スタジオ内に視線を巡らせていると、足音が響きスタッフらしき人が駆け込んできた。その場にいるみんなにつられてそちらへ視線を向けると、年若い青年が渉さんの方を向いて頭を下げる。
「あと五十分くらいで初回本番いけるそうです」
「ああ、やっぱり。りょーかい、じゃあちょっとみんなスピード上げてくれる」
スタジオに駆け込んできた青年と渉さんの言葉に、まわりの人たちが一斉に動き始めた。そんな中、しばらくして青年の言葉を飲み込んだ僕は思わず首を傾げてしまう。
十分くらい前に戸塚さんが午前中いっぱいは準備に時間がかかると言っていた気がしていたが、それが早まったということだろうか。それにしても随分と早い気がする。けれど渉さんはやっぱり、と言っていたのである程度の予測はしていたのだろう。
「もっと時間かかるって聞いたけど、早いんだな」
「まあ、あの三人ならこんなもんだよ」
肩をすくめた渉さんは目を細めて満面の笑みを浮かべた。その自信に満ちた表情には相手への信頼がうかがえる。戸塚さんがお墨付きと言っていたのも伊達ではないのだと改めて実感した。
「信頼してるんだ」
「宮原と桜井は特に長いこと仕事一緒にしてるからね。どこまでやれるかはわかっているつもりだよ」
「なんかすごいな、そういうの」
相手に信頼を置くというのは意外と簡単ではない。それに値するだけの努力をし、応えていく、そして積み重ねた時間や経験が信頼となっていく。それはなんだかすごく素晴らしくて格好いいことだと思う。
もちろんその努力は先ほど会った三人だけではないだろう。急なスケジュール変更に誰一人として嫌な顔を見せていない。それどころかやる気にさえ満ちている。おそらくここにいる全員が渉さんの背中を追いかけている、そんな気がした。
どんどんとまわりが進行していく中、渉さんは相変わらず僕にスタジオ内のあちこちを見せてくれた。けれど時間が過ぎていくと作業を進行しているみんなが渉さんを必要としているのを感じ始める。
「渉さん、そろそろ仕事の邪魔になると悪いから、後ろから見学させてもらうよ」
どうしたものかと思い、とりあえず渉さんを仕事に戻そうと試みた。しかしそれと共に目の前の顔が不服そうに歪んだ。子供が駄々をこねる寸前のような顔をしている。そんな表情に苦笑すれば、渉さんの手が僕の両手を掴む。
「後ろと言わずに傍にいてくれればいいのに」
「それだとまわりの人の迷惑にもなるし、僕も気を遣うし」
手をぶらぶらさせて子供みたいに口を尖らせる姿は実に可愛い。可愛いけれど、そんな表情に負けて言うことを聞いてしまうと後悔することになる。ここは仕事場なのだから、ただの見学者がうろうろしていいものではない。
「いますぐに始まるわけじゃないし」
「けど今日はスケジュールが大変だって聞いた。それにみんな渉さんのこと必要としてるよ」
「んー、そうだけど。じゃあ、あとでまたゆっくり話ししよう? もっと色々見学させてあげるから」
まだ少し不服そうな表情は浮かべているけれど、僕の気持ちを尊重してくれたのか、渉さんは渋々だが一歩だけ引いてくれた。けれどそれに僕がほっと息をつくと、渉さんは繋いだ手を引いてぎゅっとまた僕を抱きしめる。
「佐樹ちゃん好き」
「うん、僕も渉さんが好きだよ」
「よかった」
小さな独り言みたいな言葉に優しく応え、背中をあやすみたいに何度か叩いてあげた。すると甘えるように頬に顔をすり寄せながら渉さんは僕を強く抱きしめる。
少しきついくらいの抱擁だけれど、なにかが渉さんの胸につっかえているのを感じて、抱きしめる腕に身を任せた。どんなに渉さんが強く見えても、どんな仕事でも、プレッシャーを感じるだろう。それでなくともこんなにたくさんの人が動いている。素人の僕が見てもすごい現場だ。
時折こうして渉さんの心の内側が垣間見えることはいままでもあった。それはいつも笑みを絶やすことのない渉さんを見ている僕にとってはすごく珍しいことだから、その時は思う存分甘やかしてあげることにしている。これは普段僕を大事に思ってくれている渉さんへの小さなお礼のようなものだ。
「頑張ってくる」
「うん、頑張って」
微かな頬への口づけと共に身体を離した渉さんは、いつものような満面の笑みを浮かべて僕の目を見つめる。その視線に応え笑みを返すと、渉さんは彼を待つみんなの場所へ戻っていった。
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