明確な殺意がそこにあるのかもしれない。そう思うと急に不安が大きくなる。偶然だったのではないかという考えは、あまりにも安易だった。でもそこまでする意図はいまだにわからない。怪我を負わせるだけが目的だとしても、なぜそこまでするのか。
「でもよくわからないな。写真のほうもなにか意味があってきてないのか、たまたまなのかもわからないし」
「だな、けど事故とそれをやってる犯人は同一な気がするな」
紙コップを傾けコーラを喉に流し込みながら、明良はなにか考えるように目を細めた。そんな横顔をじっと見つめて僕はこれまでのことを考えてみる。しかしなにか共通点のようなものがないか、そう考えてみるけれど思い浮かぶものがない。
そもそもなにかが検討つくような状況だったら、こんなに悩むこともないだろう。そんな状態でいくら考えたって答えは見つからない。
「同一犯か」
「けど心当たりはねぇって顔だな」
「ああ、見当もつかない」
「だよな。こんな中途半端な状況じゃ、ほとんど警察もあてにならないし」
考えれば考えるほどにわからなくなる。見えない向こうにいる相手の真意。けれど確実になにかが近づいている、それは間違いない。怖い、そう思うけれど、いまなにをするべきなのか、どうするべきなのか。それすら想像もできない。
「彼氏のほうはどうなんだ?」
「うん、藤堂の話ではお母さんは夏に調子を崩してからずっと家に引きこもってるらしい。ほとんど外にも出ている様子はないって言ってた」
「ふぅん、そうなのか」
「一番怪しいと感じるけど、こういう細かいことができるとは考えにくいよな」
「まあ、そうだな」
すべてが他人の手によるものだとしても、それを計画するだけの余裕がある状態には思えない。そう考えると、一番あり得ないと思っているストーカーという選択肢が出てくる。
正直言ってそれはどうなんだろうと考えてしまうのだが。でもそうだとしたら僕の知らない人間なのだろうか。それとも身近な人間?
でもそれもなんだか現実味がなくて、深いところまで考えが及ばない。
「佐樹」
「ん?」
ふいに名前を呼ばれて僕は俯けていた顔を持ち上げた。明良の顔を見つめ首を傾げたら、伸びてきた手が後頭部に触れる。急にどうしたのだろうと状況が飲み込めず問いかけようとしたが、その前に触れた手に頭を引き寄せられてしまった。
「ちょっとこのままでいろ」
声をひそめ辺りを窺うような明良の行動に、僕はとっさに身を固め息を吸い込んだ。
「なんかさっきから人の気配するんだよな」
「気配?」
「気配っつーか、視線?」
「え?」
思いがけない明良の言葉に顔を上げそうになったが、それは片手で制されて胸元に抱き込まれてしまう。ここで下手に動いても仕方ないので辺りに耳を澄ましてみた。けれどいくら察してみようと思っても、微かに喧騒が聞こえてくる以外に人の気配は感じられなかった。
「ん、いなくなったな」
「お前のその動物的感覚、すごいな」
「褒めてねぇだろ」
手が緩んだので顔を上げたら額を指先で弾かれた。目を細める明良に苦笑いで返したら、緩んでいた手が首にまわり腕で軽く締め上げられる。
「褒めてはないけど感謝はしてるって」
「可愛くねぇな」
「ちょっと待った、くすぐるのはなしっ」
気配を察して声を上げたけれど、それをすぐ聞いてくれるような相手でもなく、逃げ出せる隙もないまま腹をよじらせると、僕は大声をあげて笑ってしまった。そして二人で散々暴れた挙げ句に飲みかけのカップを倒して中身をぶちまける。
「あーもう、手加減しろよな」
幸いこぼれた飲み物をひっ被るはめにはならなかったが、階段がアイスコーヒーとコーラでびしょびしょだ。あとで水で流しておかなければと明良を振り返ったら、いつの間にか携帯電話をいじっていた。
「どうした?」
「あ、うちのが一日早く仕事から戻ってくるらしいから、帰るわ」
先ほどまでの雰囲気から一変した明良の横顔は、携帯電話に夢中になっていて実に幸せそうで楽しげだ。いまの彼氏は仕事が忙しいようで傍を離れることも多いらしい。付き合う相手には比較的べったりな明良からみればそれはだいぶ物足りないのだろう。
「そうなのか、じゃあ駅にでも迎えに行ってあげたほうがいいんじゃないか?」
「んー、そうする」
すでに相手のことで頭がいっぱいなのか、生返事が返ってくる。今回の相手は随分といい感じみたいだし、長続きしたらいいなと微笑ましくなった。
「あ、このあともお前は油断しないでおけよ。さっきの視線も気になるし、殴った犯人もわかってねぇし。あと彼氏のほうにもまた確認とっておけ」
「ああ、わかった」
「心配ごとあったら聞いてやるからまた連絡よこせよ」
「うん」
念押しするように僕の頭を撫でる明良に笑みを浮かべて返したら、タイミングよく首から提げていた携帯電話が鳴り出した。甲高い電子音を響かせるそれを慌てて開いて通話ボタンを押すと、のんびりとした間宮の声が聞こえてくる。
「あ、西岡先生。休憩の件なんですけど」
「あーもうそんな時間か。休憩、僕は後回しでいいぞ。ちょっと持ち場を離れていた時間が長いし、これから巡回に戻る」
腕時計に視線を落としたら十二時を過ぎていた。保健室に行ったり明良と話していたりで随分と時間が経っていたようだ。ほかの先生たちも巡回しているとはいえ、まだほとんど見て回れていない気がする。
最後のほうに休憩を回してもらって通話を終えると、それを見計らっていた明良は「またな」と片手を上げて去っていった。
「とはいえさっきの子がまたなにかしてくるとは考えられないし、いますぐことが起こるとも考えにくいよな」
しかし先ほどの子と明良の言う視線の人物は一緒なのだろうか。それとも別? 別なのだとしたら、僕に関わってくる人物はほかにもいると言うことになる。
そうするとあんまり気を抜いてもいられない。けれど一日に何度も襲ってくるようなこともない気がする。これは下手をすれば警察案件だ。
「とりあえずあまりひと気のないところに立ち入らないようにしよう」
今日みたいな日は人の目が多いから人混みの中のほうがまだマシだろう。いままでの三件、どれも表立って事件を起こそうという大胆さは感じられない。なるべく見知った顔と一緒にいるようにしたら、無闇に近づいてくることもないはずだ。
「とはいえ、気をつけるに越したことはないか。それよりも、そろそろ真面目に仕事しよう」
気になることは尽きないけれどぼんやり立ち止まっているわけにもいかない。藤堂には心配をかけてしまうことになるが、またちゃんと話をしてみよう。考えるのはそれからだ。
「そういえば藤堂たちのところどんな様子だろう」
出し物は確か教室で飲食だから喫茶とかそういうのだろう。ほかのクラスでもありそうな出し物だが、優勝を狙っているということはなにか趣向を凝らしているはずだ。
藤堂はあまりきて欲しくなさそうだったが、興味が大いにある。まずはそこに行ってみようと、僕は好奇心を抑えきれないまま少しばかり浮かれた気分で足を踏み出した。
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