疑惑24
向かう先は校内でも一番広い特別教室。広さは通常の教室二つ分より少し広い。二クラス合同とはいえ随分と広い教室を使ったものだ。
前宣伝もしているだろうし、長い列でもできているのだろうかと予想していたが、いざ教室に着いてみると入り口近くに数人並んでいる程度だった。思ったより客が入っていないのだろうかと、なに気なく教室内を覗けば中はかなり賑わっている。
「混んでいて待つお客さんが少ないのかな?」
満席に近い状況では長い時間を待って入るというのは気が引けるのかもしれない。そんなことを思い、忙しそうな生徒たちを横目に通り過ぎようとしたら、ふいに後ろから腕を引かれた。
「西岡先生」
「え?」
驚いて振り返った先にいたのは、うちのクイーンこと三年の鳥羽由香里だった。
「あ、鳥羽か」
小さく首を傾げてこちらを見上げる鳥羽は、膝丈のワンピースに白いフリルエプロン。頭にはシンプルなカチューシャをしていた。ふんわりとした栗色の長い髪に落ち着いたえんじと白の組み合わせ。それはどこか慎ましく、お屋敷のメイドのような雰囲気を醸し出している。
「寄ってはくださらないの?」
「いや、忙しそうだなと思って」
「西岡先生をお招きするくらいはできましてよ」
そういって腕を組むようにして鳥羽に手を引かれると、僕は教室の中へと案内された。広い教室の中には話し声に紛れる程度の音楽が流れている。そして見渡した教室の窓は普段の質素なカーテンが外され、清潔感のある真っ白なレースカーテンに変えられていた。
教室の三分の一はパーティションで区切られバックヤードになっている。テーブルに使用している机にもクロスがかけられて、一瞬ここが学校の教室であることを忘れてしまいそうな仕上がりだった。
女子は鳥羽と同じえんじ色のワンピースに白いフリルエプロン。男子は白いシャツに黒のベスト、ギャルソンエプロンにスラックス。統一された服装も部屋の装飾同様、細かなところまでこだわりが見られる。
「こちらでお待ちになって」
「ああ、なんだか悪いな」
ほかの席から少し離れた衝立の横にある席に通され、僕は進められるままに腰を下ろした。なんだかまったく仕事をしていないなと思いながら室内を眺めていると、ふいに視線が遮られる。近づいてきた人に顔を上げれば、少し困ったような顔をした藤堂が立っていた。
「あ、藤堂」
「いらっしゃいませ」
「……営業スマイル、できてないぞ」
ぎこちない笑みに小さく笑ったら、藤堂はますます複雑げな表情を浮かべる。そんな顔が可愛くてじっと見つめていたら、ふと違和感を覚えた。その違和感はあまりにもこの状況に自然と馴染み過ぎて、なかなかそれに気づくことができないほどだった。
「なんで眼鏡してないんだ」
そして違和感の正体にようやく気づいた僕は、思わず不満げな声を漏らしてしまう。僕の横に立った藤堂は普段学校でしている銀フレームの眼鏡をかけていない。学校ではまず外すことはないのにと、目を細めたら苦笑いを返されてしまった。
「これは致し方なくです」
「鳥羽の営業戦略か?」
「まあ、そんなところです」
普段とは違うセットされた髪型や衣装のおかげで、今日の藤堂はかなり男前度が割り増しだ。そんな藤堂を見ていると雑誌に掲載された写真を思い出す。夏休み明けに撮影したものがつい最近雑誌に掲載され発売になった。
藤堂に関する詳細は一切公開されていないが、一緒に写っているのが峰岸だったので気づく生徒は多かったと思う。現に発売されてから校内では雑誌の話はよく耳にした。
そしてそれが校外へ発信されるのも多分早かっただろう。いまは情報社会だ。簡単に様々な人たちと情報共有が行われる。藤堂と峰岸は今回の恰好の宣伝材料になったことだろう。
「それでどうなんだ、うまくいってるのか?」
「うまくどころか、朝からずっとこの状態ですよ。休憩も外に出ている暇がないくらいです」
肩をすくめる藤堂からメニューを受け取りそれを眺める。飲み物は珈琲や紅茶、ジュースなどで喫茶メニューはかなり充実しているようだ。ケーキやパフェ、パンケーキにサンドイッチまである。
「そんなに忙しいのか。あんまり並んでないのは回転が悪いとか?」
「いえ、時間制限を設けていますし、予約制で席が空く十五分前に客へ連絡がいくようになっているので回転はかなりいいですね」
「そうなのか」
どうやら疑問に思っていた待ち客の少なさは、メールアドレスの管理によるものらしい。携帯電話で電子コードを読み込み、特設サイトでメールアドレスを登録する。そして予約が完了したら待ち時間は並ぶ必要がないので、自由にほかのクラスの出し物を楽しめるというわけだ。
予約制のほかに指名もあり、事前に顔写真を見て気に入った生徒に注文を取りに来てもらうこともできるらしい。そして予約制などが面倒な客には持ち帰りも対応している。
しかしもっとも客に喜ばれているサービスは来店者限定の記念撮影だという。なんだか様々なサービスが徹底されていて隙がない。
二クラス合同なのでほかよりも生徒の数も多い。そのおかげで行き届いた客の管理とサービスが提供できるのだろう。生徒たちの得意分野を生かした役割分担と配役。経営に興味があると言っていた鳥羽ならではの展開だ。
「藤堂も記念撮影もちろんあるんだよな」
「ですね。俺はバイト優先で、文化祭の件に関してはすべて任せきりだったので、口を出せる立場ではないんです」
「そっか」
デジタルカメラで撮った写真をその場でプリントアウトして渡すという仕組みのサービスは、悪用防止に学校名や日付などをデザインフレームに加えた手の込んだものだ。しかしなんとなく知らない誰かと一緒に写ってるのかと思うと、心の内がもやっとした気分になる。
「うん、悪い。ちょっと心が狭過ぎた」
生徒のお祭りでふて腐れていても仕方がない。少し大人になろうと藤堂を見上げたら、優しく目を細めて微笑み返してくれた。いまはその笑みで我慢をしようと思った。
「あ、了解」
しばらく二人で顔を見合わせていたら、ふいに藤堂が耳元に手を当てて小さく呟いた。それを目に留めて僕は思わず首を傾げてしまう。けれどよくよく見れば、右耳にイヤホンマイクがついている。
「なんだそれ、インカム?」
「そうです。これで注文取りに行ったり、写真のほうへ行ったり」
そういえば広い室内だというのに、声が飛び交うという場面が見受けられない。皆アイコンタクトとインカムで情報をやりとりしているのか。確かにインカムがあれば小さな声でもやりとりができるし、的確に物ごとを進められる。おそらく全員着用しているのだろう。
「すごいな。お金かかってるんじゃないのか」
揃えられた制服や調度品、管理システムなど文化祭レベルではない気がして思わず心配になってしまう。
「衣装とか揃えたものは借り物です。なにせ仕切っているのは鳥羽ですからね」
「あ、あーそうか、借り物な」
確かに取り仕切っているのが鳥羽ならば、このくらいの借り物は容易いのかもしれない。それに金銭的に問題がない借り物であれば文句のつけようがない。しかしここにあるどこまでが借り物なのだろうかと、桁違いな仕様に意気込みのすごさを感じた。