疑惑27
清掃点検などの作業が終わったのは日が暮れ始めた頃だった。生徒たちを早々に下校させて、一段落したあとは生徒会のメンバーも早めに帰宅させた。
最後に校内に残ったのは教師陣のみだ。そして時間が過ぎていくと、みんな終わったあとの打ち上げに気持ちが向き始めているのか、終わりが近づくほどにやたらと処理スピードが速くなった。
明日は早急な案件や特別なことがない限り、学校には来なくていいことになっている。僕たち教師は年中無休に近いところがあるので、確実な休みはありがたいものだ。みんなが少しばかり浮ついた気分になるのも仕方がないかと思った。
「西岡先生は行かないの?」
何人かの先生たちにそう声をかけられたが、用事があるからと丁重にお断りさせてもらった。できれば早く明良のところへ行って用件を済ませてしまいたい。それは時間が遅くならなければ、藤堂にも会えるかもしれないという打算的な考えがあるからだけれど。
「あ、来月は忘年会参加してくださいね」
「わかりました。それじゃあ、お疲れ様です」
休み明けの連絡事項などを話し合いようやく解散になると、僕は急いで職員室をあとにした。そして腕時計に視線を落として時間を確認する。いまから急げば学校前から出ているバスに間に合いそうだ。
「西岡先生!」
「ん?」
靴を履き替えて外に出ようとした僕を呼び止める声がした。その声に振り向くと、廊下の少し先から間宮が小走りで駆けてくる。
「途中まで一緒に帰りませんか」
「ん、まあ、いいけど。ちょっと急がないとバスが行ってしまうぞ」
「そうなんですね。急ぎましょう」
扉を押し開けた状態で待っていると、間宮は慌ただしく靴を履き替えて顔を上げる。「お待たせしました」という声に頷くと、僕は外へと足を踏み出した。そして足早に校庭を抜けて、バス停へ急いで向かう。
これからやってくるバスを逃すと十分以上は待たなくてはならない。駅まで歩いて行けない距離ではないが、三十分以上かかるので先を急いでいるいまは時間がもったいない。
「今日はどこか行かれるんですか?」
無事にバスの乗って一息ついていると、間宮が小さく首を傾げてこちらを見る。
「ああ、うん、ちょっと友達のところに行く予定があって」
「そうなんですか、電車はいつものと同じですか?」
「同じだけど逆方向だな」
明良の住むマンションがある場所は僕の最寄り駅とは逆方向に乗って五つ先の駅で降りる。藤堂の最寄り駅の一つ手前だ。だから早く終わったら会えないだろうかという邪な考えが浮かんでしまうのだ。
「間宮もどこか行くのか?」
思わずにやけてしまいそうになった顔を引き締めて、意識をそらすように別の話題にすり替える。そういえば先ほど用事があるようなことを言っていた。どこかに行くのだろうかと問い返せば、同じように逆方向の電車に乗るようだ。
ただし間宮は僕は向かう駅のさらに三つ先の駅に用事があるようで、途中で別れることになるらしい。
「今年の文化祭は例年よりも盛り上がりがすごかったですね」
「ほんとだよな。みんなのやる気がすごかった。賞金はどのクラスに渡るんだろうな」
「多分峰岸くんたちのクラスで間違いないんじゃないですかね。途中経過ではダントツだったみたいですよ」
「やっぱりそうなのか。確かにあれは驚いた。完成度がすごかったもんな」
あれから一通り出店や展示、ライブや舞台、色んなものをみたが、あのクラスは客入りも評判も抜きん出ていた。歩いているだけで噂話を何度も聞いたくらいだ。特に峰岸の話はよく聞いた。
雑誌を見た子が結構集まっていたのだと思う。もちろん藤堂もかなり噂の的にはなっていたが、峰岸ほどは騒がれていなかった。おそらく社交性の問題だろう。まあ、クールなのがまたいいという子も少なくはなかったが。
「でもあんな大金なにに使うんだろうな」
「ああ、みんなで打ち上げするのに使って終わりにするみたいですよ」
「打ち上げ? そっか、一クラス三十五人前後いるから、二クラスで一人当たり千円にも満たない計算か。そう考えるとそうでもないって感じがするな」
「金額自体はかなり高い気がしますけど、全員で使うとなると案外そんなもんか、って感じですよね」
そういう計算がもとよりできていたからこその計画だったと言うことか。相変わらず細かいところまで抜かりないな。なんだかこの先も峰岸と鳥羽には敵いそうにない気がした。頭の回転や洞察力、行動力がずば抜けている。
「でも無事に終わってようやくひと安心だな。今年もあと二ヶ月切ってるし、冬休みまですぐな気がする」
「そう考えると一年早いですね」
「確かに」
それからしばらく間宮と二人で文化祭の出来事や今後の話などしつつ、一緒にバスから電車に乗り継いだ。
「今日はお疲れ様でした」
「ああ、間宮もお疲れ様」
電車で十五分ちょっと揺られると、僕の目的の駅に到着した。このさらに先へ用がある間宮とは、ここで別れることになる。軽く間宮に挨拶をして僕は開いた扉を足早に抜けた。そして改札に向かうべく階段を駆け上がった。
「佐樹」
「あれ? 明良、珍しいな迎えに来てくれるなんて」
改札を抜けながら携帯電話を開こうとした僕を、聞き覚えのある声が呼び止めた。その声に顔を上げると、改札から少し離れたところに明良が立っていた。その姿に驚きながらも足早に駆け寄れば、「よく来たな」と頭を撫でられる。
どういう風の吹き回しだろう。明良のマンションまでは徒歩で十五分かからないくらいの距離だ。わざわざ迎えに来るなんて珍しいこともあるものだ。
「最近お前の周りは物騒だからな」
「え? 心配してくれたのか」
「腹減ったからコンビニ行かねぇ?」
「……なんだよ、ついでじゃないか」
少しばかり期待した僕が馬鹿だった。ムッとした顔を隠さず明良を見ると、笑いをこらえて口元を歪めている。
その様子に少しばかり腹が立ったので僕は思いきり力を込めて明良の背中を叩いた。しかし腹が減ったというのは本当だったらしく、マンションに向かう前に駅前のコンビニに立ち寄った。
「そういえば、気になることってなんだ」
「んー、着いてからな」
コンビニを出たあと道すがら話を聞こうと話しかけてみるが、明良はこちらに視線をくれたもののすぐに前を向いてしまった。そんなに込み入った話なのだろうか。仕方なく口を閉ざすと、僕もまた視線を前に向けた。
駅からマンションへ向かうには大きな公園の傍を通らなくてはならない。それはとても大きな公園で、園内には池などもあり、朝や昼間にはジョギングをする人やのんびりと散歩をする人、ベンチなどでくつろいでいる人が多く見られる。
春には桜、秋にはもみじが綺麗なこの辺りでは有名な公園らしい。ただ夜になると木々も多いため薄暗く、ひと気もなくなるので立ち入るのは少し躊躇われる。この辺りは閑静な住宅街なので静けさも広がって、小さな虫の音くらいしか聞こえない。
「あ、ちょっと待った」
しばらく黙々と歩きマンションにたどり着くと、明良がエレベーターの少し手前で立ち止まった。
「どうした?」
「いやちょっと郵便受け今日見ていなかった」
呼び止める声に振り返れば、明良は後ろのエントランスホールを指差しちょっと待っていろと言う。踵を返して自動ドアを抜けて行くそんな姿を見送り、とりあえず上階で止まっているエレベーターを呼ぶために僕はボタンを押した。そしてしばらくすると明良は大きめの封筒を手に戻ってきた。