第17話 絢爛な離宮
外も内も、華やかな魔力灯で彩られた離宮は、さすがに王家の祝賀会として贅を凝らしているだけあり、美しくとても煌びやかだ。
二人よりも先に、会場である離宮に着いたリューウェイクは、控えの間へゆっくりとした足取りで歩く。
できるだけあの場にいる時間が短ければいい、そんな考えを巡らしつつ極力時間をかけて進むのは、いつもどおりだった。
「リューウェイク? 珍しいなこんな早い時間に」
「……あっ」
廊下でふいに声をかけられ、一瞬身構えたリューウェイクだが、声の主に気づいて肩の力を抜いた。
振り向いた先にいたのは、第三騎士団の団長であるラインハルト・ボルフェルタ――ボルフェルタ辺境伯だ。
騎士団の礼服を身にまとった姿は、相変わらず存在感がある。
決して大柄ではなく、騎士としては標準的な体型なので、いっそベイクのほうが大きく熊に思えるくらい。
だというのに並び立っても、すぐさま視線が向くのはラインハルトだった。
灰色オオカミといった風情の現在の上司で、リューウェイクが臣籍降下をしたのち、辺境伯家へ迎えて入れてくれる人。
そんな将来の義父は、あからさまに表情を和らげたリューウェイクに苦笑いを浮かべる。
黙っていると眼光が鋭く、厳つさを感じる彼だけれど、目元を和らげると非常に優しい顔つきに変わる。
団内では見られない私的な表情は、自身を受け入れてくれていると感じられて、リューウェイクの心がふんわりと温まった。
「今日は少し予定が変わってしまって」
よもや雪兎とのやり取りまで説明するわけにいかず、曖昧な返事しかできない。
それでも物事を誤魔化すときに見せる、リューウェイクの笑みを知っているラインハルトは、なにも言わずに肩をすくめるだけだった。
「そうか。それよりも今日は珍しく着飾られたな。なかなか様になっている」
「あー、はい。なんだか周りが変に盛り上がってしまっているようで」
「なるほどなるほど。噂は私もたまに耳にする。だがそれほど悪い噂は聞いてないぞ」
「悪いものでは、ないのですが」
雪兎との仲を喜ぶ周りは、見目の良い人物を愛でる親衛隊の行為と変わらないため、確かに悪口や陰口は聞こえてこない。
周囲が楽しむ分には団員たちと一緒で、本人に迷惑をかけない限り問題はないと思える。
実際問題、そこは気にしておらず、悩んでいるのは妄想でなく現実の二人の関係なのだ。
「ユキト殿の存在がリューウェイクにとって迷惑に?」
「迷惑だなんてとんでもない! そんな失礼なことは考えていません」
「ならばその逆か。存在が大きくなりすぎた、か?」
とっさに反論したリューウェイクに、至極落ち着いた声音で問いかけるラインハルトは、慈愛に満ちた目を向けてくる。
彼は兄王グレモントより年上なので、まさしく父が子を見守るような、という例えにふさわしい優しい目だ。
前線に立つと勇ましく頼もしい背中を見せるのに、切り替えの鮮やかさを見習いたいとリューウェイクはいつも思う。
穏やかな灰青色の目が促すように、リューウェイクを見つめた。
「……いえ。あの、それは」
「ふふ、いいな。お前の青年らしい顔が見られるなんて。少し前までこうやって触れるのもためらわれた」
「え?」
柔らかな笑い声と共に、頭に触れたのは大きな手だった。
剣を握る節くれ立った手が、こうしてリューウェイクに触れるのは初めてだ。
いつも雪兎が撫でてくれる感触とはどこか違う、分厚い大人の手。
「いままで経験できなかった新しいものに目を向けても、罰は当たらないのでは?」
「しかし未来のないものに身を任せる勇気は、私にはありません」
「本当に、未来はないのだろうか。選択肢はないのか?」
「私はないと、思っています」
「そうか」
言外に感じられる意味に気づいても、自分は素直に受け取れる立場ではない。
あの二人は絶対に帰さなければならず、己はすべてを放り投げていい人間ではないのだ。
いくら考えてもリューウェイクの中では堂々巡りで、密かに芽生えているらしい彼の気持ちには、応えられそうになかった。
いつから彼は自分に心を傾け始めたのだろう。
壇上の隅に控え、リューウェイクは兄王に並び立つ背中を見つめながら、小さく息を吐いた。
出会った当初の彼は、はっきりと子供、妹と同じくくりだと言っていた。
毎日顔を合わせても気心が知れた友人のような、兄のような存在だったのに、自分を見つめる瞳はなにも変わらなかったはずなのに。
彼の心の変化がまったくわからず、リューウェイクには戸惑いしかない。
桜花が忠告してくれなければ、ずっと気づかなかったのではとさえ思う。
そんな自分だからこその忠告だった、といまではわかるものの、気づかないままでいたほうが幸せだったのではないだろうか。
ひねくれた考えと共に、無意識のため息が再び、リューウェイクの唇からこぼれる。
「女神が与えてくれた幸福に感謝を!」
「幸福に感謝を!」
グレモントの長い口上が終わり、ホールで皆が一斉にグラスを掲げた。
彼らが浮かべる笑みには色々な感情が透けて見え、純粋な喜び、神の使者への打算――これからどうやって二人と話すか――を胸の内で目論んでいるのがよくわかる。
楽団が奏でる音楽がホールに響き渡り、両陛下のファーストダンスがシャンデリアの下で始まった。
本当であれば聖女に踊ってほしかったらしいが、桜花はダンスレッスンを断固拒否。
異世界人の彼女が生きていく上で、必要がないなら覚えるのは時間の無駄だ。
考えなくともリューウェイクでさえわかるのに、考えが異なるゆえかアルフォンソはご機嫌斜めだった。
ふと玉座を挟んだ向こうに立つ兄の姿を横目で見て、リューウェイクは眉をひそめる。
今夜は成人前の王子王女は欠席しており、陛下たちの玉座の隣に雪兎と桜花の席が設けられていた。
なぜか桜花の席が外側で妙に気にかかっていたけれど、理由がいま知れる。
雪兎を視界に挟まず、直接声をかけられるからだ。
(本当にまだ諦めていないのか。いますぐ帰る方法がないとはいえ、彼らは元の世界に戻ることを強く望んでいる。余計に邪険にされるって気づかないのか。この様子では第一王子のルーベントがあと一つ二つ歳を重ねていたら、強引に婚約もありえただろうな)
万が一のタイミングではなく、リューウェイクは心の底からほっとする。
そのような事態になれば桜花も可哀想だけれど、大人の都合に振り回される甥があまりに不憫だ。
笑みを浮かべ、受け答えしている桜花の横顔を見て、いつもと異なる作り笑いだとリューウェイクはすぐ気づいた。
おそらく彼女はいま、アルフォンソの言葉を右耳から反対へ聞き流しているだろう。
気に入らない相手の話は記憶に残す価値はない、とよく愚痴と共に豪語していたくらいだ。
あの時の桜花の顔を思い出し、リューウェイクは思わず口元を緩める。
誤魔化すために拳を口元へ持っていけば、ふいに振り返った雪兎と目が合った。
(そろそろお姫さまを救い出す頃合いかな)
演奏がいったん止み、ホールに拍手が鳴り響いたタイミングで、リューウェイクは足を踏み出した。
優雅な振る舞いで桜花の前に立つと、胸に手を当てわずかに頭を下げる。
気づいた桜花が、にこりと笑って手を差し伸ばしてくるので、ためらわずにエスコートを願い出た。
「聖女さま、ホールへご案内いたします」
「よろしくお願いします。ゆー兄も行くわよ」
恭しく小さな手を取れば、彼女はすぐさま兄の腕を掴み引っ張った。
そんな仕草に応えた雪兎が、リューウェイクの反対に立ち、桜花を挟む形になる。
「助かったわぁ。あのキラキラしいお兄さんほんと面倒くさくて」
「ごめんね。兄上がしつこくて」
階段をゆっくりと下りながら、ブツブツと文句を言う桜花に、リューウェイクは小さく笑う。
すると片眉を上げた彼女が意味深な笑みを返してきた。
「えー、どうしようかな。ゆー兄と二人で踊ってくれたら許してもいいかも?」
「は? な、なんで? さすがにダンスは無理でしょう? ね、ユキさん」
「……俺は構わないが、リュイに余計な負担がかかるからやめよう」
ニヤニヤと明け透けに笑う桜花に戸惑い、リューウェイクがちらりと雪兎へ視線を向ければ、じっと見つめられたあとやけに色っぽい目線を返された。
本人は意識していないのだろうが、熱がこもっていると言えばいいのか。
本当は踊ってみたかった、と言外に言われているような気になる。
「こら! 二人とも、わたしを挟んで熱い視線で見つめ合わないで! 嬉しいけど複雑! はいはい、リューくんはそっち行って!」
「えっ、ちょ、ちょっと待って」
ふんっ、と鼻息を荒くした桜花は、エスコートするリューウェイクの手をぎゅっと掴み、そのまま隣の雪兎へ差し出した。
差し出されたほうは、またじっと見つめたかと思えば、ためらいもなく妹から引き継ぎリューウェイクの手を取る。
ぐいと力を込めて引き寄せられ、気づいた時には反対側に立たされていた。
結果、雪兎を挟む状態に変わり、彼の片腕にはいつものように桜花がぶら下がる。
状況判断が追いつかず、ぼんやりするリューウェイクだったけれど、腰に腕を回されて我に返った。
「あとで少し抜けよう」
力がこもった手になおも体を抱き寄せられ、近づいた顔に驚く間もなく耳元へ囁かれる。
熱が感じる距離で呼気が耳に触れた瞬間、こらえようもなくリューウェイクは頬が熱くなった。
さらにはまっすぐ、自分を見下ろす暗赤色の瞳から逃れるため、とっさに顔を伏せ横を向いたら、忍び笑いをされ羞恥が増す。
「ユキさん、もうすでに負担なんだけれど」
「だからあとで自由な時間をくれ。……でないと、イライラが募る」
「ん? イライラ?」
普段とは印象の違う低い声音に驚き、リューウェイクが顔を上げてみると、どこかへ視線を向けた雪兎が眉間にしわを寄せていた。
彼にしてはひどく珍しい表情で、言葉どおりなにかに対し苛立っているのがわかる。
「どうかした?」
「はぁ、なんでもない。……ちっ、周りの視線がうるさい」
まったく真実味のない言い方でため息を吐きながら、聞き逃しそうなくらい小さく舌打ちまでした。
よほどでない限り感情的にならない人だというのに、一体どうしたのか。
リューウェイクが見つめ続けているうちに視線が戻ってきて、戸惑いに似た瞳で見つめ返された。
おそらく自分でも感情の制御ができていない、といったところだろう。
(自分のことが自分でわからないとか言っていたしな)
「少しだけ挨拶回りをしたら休もう」
「ああ」
なだめるためにそっと背を叩いたリューウェイクに返すよう、雪兎も添えた手で腰元を叩いてくれる。
しかし人波に近づくとぱっと手が離されてしまい、ほんのわずかできた隙間に名残惜しさを感じた。
けれどリューウェイクはそれ以上は気づかないフリをして、三人でホールに進み出る。