第21話 媚薬の効果

 心配の色を湛えた暗赤色の瞳が、リューウェイクを覗き込む。
 取るもの取らずに飛び出してきた様子で、雪兎の髪や寝衣がひどく乱れていた。

「大丈夫か? リュイ?」

 濡れた目元を指先で拭われると、すっかり薬が回りきったリューウェイクの体がビクリと震えた。
 状態を確かめようとしているのか、雪兎が頬や首筋に触れてくるせいで、リューウェイクは内から湧き上がる感覚に震え、熱のこもった息を吐く。

「バロン! リュイの様子が変だ」

『ふむ、おそらく媚薬の類いだ。――これは、古くからあるが数滴でも効き目が強いのが難点だ』

 焦りを感じさせる雪兎の声に、いつもと変わらぬバロンの声が返る。
 床に伏すノエルを片手で押さえ込みながら、バロンは床に飛び散っていた水に鼻先を寄せていた。

 どうやらノエルはグラスの水に媚薬を混ぜたようだ。

「は? なんで……いや、いまその男は後回しだ。どうすれば薬は抜ける? 時間を置けばいいのか?」

『それも有効ではあるが効率的ではない。愛し子は加護により聖魔力、浄化作用を備えているため、常人よりは早く抜けるだろうが――今夜一晩は体の熱に苛まれる。手っ取り早いのは交わることだ。そもそもそういう薬だからな』

 地を這うような声音の雪兎に対し、バロンはしれっとした様子でいたって平常どおりだ。
 人であったなら肩をすくめそうな雰囲気だろう。

 自分を抱きしめる手から葛藤が感じられ、リューウェイクはひどく申し訳ない気持ちになる。

 できるなら放って置いてくれてもいいと言いたいところだが、いまは体の熱が高まるばかり。
 雪兎がかけてくれた毛布が肌に擦れるだけで、おかしな声が出そうになり、リューウェイクは自分の口を手のひらで押さえる。

『薬の効果で乱された体内魔力を、外側から注いだ魔力で整えるのだ。接触も有効だが、体液を含ませるほうが十倍は効果がある。唾液、血液もありだが、どちらも現実的ではない』

「……はぁぁ、バロン。そいつは第三に依頼して自宅まで送り届けて謹慎させておけ。話はあとで聞こう」

『了解した。愛し子を頼んだぞ、聖者』

 言うが早いか、バロンは黙ったままのノエルを鼻先で小突いて、部屋の外へ出した。
 このような場面を見た二人は、もっと激高すると思っていたので、意外な対応だ。

 静まった寝室に二人で取り残されると、再び雪兎が重たいため息を吐いた。

「ご、め……ん、なさ」

「あっ、違う。迷惑だと思っているわけじゃない。ただこんな形でリュイを、抱くことになるなんてと少し複雑なだけだ。とは言っても、いまは俺がぐだぐだしている場合ではないよな。リュイ、君の心の準備ができたなら」

「ユキ、さん」

 律儀にうかがいを立ててくれる、雪兎の優しさが嬉しいものの、すでにリューウェイクは限界に近い。
 こんな形で、と言うのはリューウェイクとて同じだ。

 それでもいまは触れてほしくてたまらない。
 じっと訴えかけるよう瞳を見つめ返せば、長い指が顎先を掬い、顔をわずかに傾けた雪兎がゆっくりと近づいてくる。

 目前まで来ると、リューウェイクは自然とまぶたを閉じていた。

「んっ」

 触れた唇の柔らかさとぬくもりに胸の音が跳ね上がる。

 それでなくとも乱れていた心音が、さらに暴れ出して息苦しいほどだ。
 リューウェイクの反応を見ながら少しずつ深めてくれる、雪兎の口づけにひたすら酔いしれた。

 うっすらと開いた唇の隙間から忍び込んだ舌が、優しくリューウェイクのものを絡め取り、擦り合わされるたび腰の辺りがゾクゾクとする。

 二人分の唾液が混ざり、溜まったそれを飲み込むと、ほんのわずか痺れていた指先が自由になった。

「確かに唾液も効くようだな。俺も加護の力が効いているのか? でも効率が悪いのも確かだ」

 かすかな変化も見逃さない雪兎は、リューウェイクの状態にも気づいた様子だ。
 酩酊感と体の熱は相変わらず滞留したままだけれど、唾液を嚥下するたびに脱力した体に感覚が戻ってくる。

「ユキさん、もっと」

「……リュイ、いい子だから少し待ってくれ」

 早く回復したくて口づけをねだると、目を見張った雪兎は喉を鳴らした。
 普段から、性的な欲をほとんど持ち合わせていないリューウェイクは、いま彼の忍耐がいかほどか気づいていない。

 それでも理性的であろうとしているのはわかる。
 やんわりと目元に口づけて、リューウェイクを寝台に横たえると、雪兎はそこから下りて化粧台の上を物色し始めた。

 なにをしているのかと見つめても、やけに真剣な様子で振り向きもしない。
 熱を持て余してもぞもぞと毛布を抱き込みながら、リューウェイクはこの先の展開を考える。

 王族として閨の知識は学んだけれど、実際に触れ合うような行為は拒否感があってしたことがなかった。
 しかし先ほど雪兎と交わした口づけはまったく嫌ではなく、むしろ早く戻ってきてもう一度してほしいとさえ思う。

(これは気持ちの問題だろうな。そもそも僕はユキさんに好意を持っているし。媚薬の効果も多少あるけど)

 相手が恋愛感情を持っていたら、自分に気持ちを向けられたら。
 受け入れられないが突き放すのは胸が痛む――そんな風に考える時点で自身も相手に気持ちがあるのだ。

 傷つけたくない、悲しませたくない。
 雪兎以外の者たちにもそう思うだろうが、想像して胸が耐えきれないほど苦しくなるのは彼だけだった。

「こっちのは基本天然物だから、肌に触れるものは材料次第で口に入っても問題ないか。以前、リュイのメイドに、これとこれは大丈夫って言われた覚えがある」

 しばらくして戻ってきた雪兎はマッサージオイルの瓶を数本、手にしていた。
 状況がわからず目を瞬かせたリューウェイクと、視線が合った彼はなんとも言いがたい苦笑いを浮かべる。

「リュイは経験ないからわからないか。潤滑油の代わり。たぶん専用のオイルとかあるんだろうけど、いまわざわざ取りに行くわけにはいかないだろ?」

 寝台の端に腰かけた雪兎が、身を屈めて顔を覗き込んでくる。
 言葉を反芻して理解した途端に顔を真っ赤に染めてしまい、リューウェイクは慌てて毛布を引き寄せ、火照る顔を隠した。

「ユキ、さんに……なんて話をしてるんだ。僕の知らない、ところで」

「キスで落ち着かせて、抜けるのを待つか?」

「ぁっ……ごめん、なさい」

「なぜリュイが謝る? 俺は惚れた相手に触れられて役得でしかないのに。いまの状況はリュイの意思を無視しているし、俺のほうが申し訳なく思う」

(勘違いをさせてはいけない。自分にも気持ちはあるのだと、きちんと伝えないと)

「ユキさん、僕は……本当は、貴方の傍にいたい。でもこの世界を、捨てる覚悟が」

「わかってる」

 言葉を押し止めるように、覆い被さってきた雪兎は唇を塞ぎ、思考を乱すほど深く口づけてくる。
 溢れる唾液を飲み込む暇もなく、顎を伝い落ちるのを感じた。

 それでも押し止める気は起きず、それどころか腕を伸ばしたリューウェイクは雪兎をきつく抱きしめた。

「ユキさん」

「ん?」

「会えなくて、寂しかった」

「……っ、それは、深い意味はないんだろうな、きっと」

「え?」

 舞踏会からまともに顔を合わせていなかったので、素直に気持ちを伝えたのだが、リューウェイクの言葉に雪兎はやや複雑そうだ。
 不思議に思い、じっと彼の顔を見つめたら意識をそらすためか、また口づけられた。

「ふっ、ん……ユ、キさん。はあ、もっと」

「これはどっちもどっちだった」

「ユキさん?」

「いや、独り言。もっと欲しいんだろう? おいで」

 自分を見下ろす暗赤色の瞳。誘われるままに首元へ絡める腕に力を込め、リューウェイクは自ら雪兎へ口づける。
 拙い動きで、彼がしてくれた仕草をなぞるように繰り返すと、今度はさらに深く口の中を愛撫された。

 滴る唾液が喉を潤し、体の痺れがどんどんと治まっていく。
 だがそれと反比例して、リューウェイクの思考は雪兎が欲しいと求めて止まない。

「可愛いな、リュイ。そろそろここも、準備しようか」

 するりと背中に滑らされた雪兎の手が腰を撫で、ゆっくりと下へ移動する。
 臀部までたどり着けば、指で割れ目を擦られた。男同士での行為をあまりわかっていなかったリューウェイクは、驚きで肩を揺らす。

「大丈夫か? やめておくか?」

「へ、平気」

「無理そうなら途中でも止めてくれ。俺はリュイに無理を強いたくない」

「大丈夫、ユキさんなら」

 ぎゅっとリューウェイクが肩口にすり寄ると、雪兎の胸の音が自分と同じくらい早いと気づく。
 緊張している。自分に対し興奮を覚えてくれている。それだけでリューウェイクは雪兎をすべて、受け入れられる気持ちになった。