大嫌い

 無理やり戸塚の身体から俺を引き剥がすかのように、ものすごい勢いで腕を後ろに引っ張られた。そして半ば引き摺り上げられるような形で俺の身体が浮く。

「いっ、痛いんだけど、なに……ってか君、何様」

 あまりの痛みに、腕を掴んでいるその手を振り返った。そして目に飛び込んできたその人物に、思わず俺は眉をひそめ掴まれた腕を引いてしまう。けれどそれは容易く阻まれ更に身体が引き上げられる。

「渉さん」

「なにその仏頂面。痛いんだけど、離してくれない?」

 掴まれた部分がジンジンと痛み出してきた。そのうち血流が止まるのではないかとさえ思うが、目の前で険しい顔をしている瀬名は全く人の話を聞いていない。 

「用があるならさっさと言いなよ」

「ちょっと来てください」

 呆れながらため息をついていると、急に瀬名は掴んだ腕をそのままに歩き出す。そして俺は当然、引き摺られるようにして歩かされる。

「あのさ、俺さっきから痛いって言ってるんだけど」

「あ、すいません」

 座敷を出てからも無言で歩き続ける瀬名の背中に舌打ちすれば、やっと掴まれた腕が放された。

「すいませんじゃなくて、何の用?」

 感覚がなくなりかけている腕を擦りながら周囲を見回す。随分と長い廊下を歩いた所為か、使用していない奥座敷の外れまで来ていた。

「勝手にこんなとこまで来て、お店の人に怒られたらどうすんのさ」

「その時は俺が謝るんで、じゃなくて。渉さん、今日の一次会終わったら真っ直ぐ帰ってください」

「は?」

 突然真面目な顔をしてなにを言い出すかと思えば。呆れて思わず鼻で笑ってしまった。

「そんなこと言うためにこんなとこ来たわけ?」

「俺、この後すぐに仕事の打ち合わせがあるんで。送れないんすよ」

「だから?」

 言葉の意味がさっぱり理解出来ない。瀬名の予定など知ったことではない。

「わけわかんない用で引っ張り出さないでよ」

 俺の様子を窺うように、じっとこちらを見つめている瀬名の肩を強く押し離す。しかし戸塚がいる座敷へ戻ろうと踏み出した足は、再び腕を掴んだ瀬名の手によって引き戻された。勢いのまま俺は壁に背中を押し付けられる。
 とっさに顔を背けたら、瀬名は身を屈めて顔を覗き込もうとした。その顔を横目で睨んでも離れていこうとしない。

「いつ送ってくれって頼んだっけ?」

「誰にも頼まれてませんけど、今日は人も多いし、なにかあったら困るんで」

「……君のほうがよっぽどストーカーっぽいけど」

 あの日以来、瀬名は手が空けばしつこいくらい人の後をついて回る。現場に俺のストーカーがいると言ってはいるが、普段の行動や現状を考えればこの男こそ正にだ。

「それはまあ確かに、否定しかねますね。俺、渉さんのこと好きだし、勢いだったけど……告ったらもう前みたいに黙って見てられないっすから」

「あのさ、君って馬鹿でしょ。開き直んないでくれる」

 ストーカー呼ばわりされて素直に認める人間も珍しい。そしてこの性格が本当に自分には合わないと思う。振り回される感じがして、一緒にいるとひどく疲れる。

「とにかく、絶対に早く帰ってくださいよ」

「しつこいなぁ」

 徐々に間合いを詰めてくる瀬名に顔をしかめ、身を捩って両肩に置かれた手を退かそうとするが、更に力が込められてびくともしない。

「渉さん、これが俺じゃなかったらどうするんすか?」

「……煩い」

 顔を寄せてくる瀬名から視線を外し、目を伏せると小さなため息が聞こえてきた。

「今まで、よく何事もなかったすね」

「ここで君を張り倒して、どうしろっていうのさ。無駄な労力使わせないでくれる」

 そうだ――普段なら間違いなく、腕を掴まれた時点で相手を張り倒している。こんな状況になる前に、上手くかわしているはずだ。弱みなんて見せなければ良かった。あの日泣いたりしなければ良かった。だからこうして付け込まれる。
 やっぱり、この男が――大嫌いだ。