事情聴取

 変装することで違う人物に成りきれてしまう、ちょっとした二重人格的なものだったのか。いきなり存在感が希薄し、大人しくなった城川に拍子抜けしてしまった。人間変わる時は随分と変わるものだ。瀬名に言われなければ、俺は永遠に気づかなかっただろう。

「やっぱ、人の顔を覚えるの駄目かも」

 首を傾げ、俯き固まったように動かなくなった城川をじっと見つめてみた。当たり前だが彼はちゃんと判別出来る。もしかして、普段は雰囲気で覚えているとか? いや、雰囲気と顔が一致しないと駄目なのかもしれない。

「こいつの場合、変わり過ぎです」

 俺の小さな呟きと唸り声に、瀬名は呆れたきった表情を浮かべ肩をすくめた。

「……だよねぇ」

 どうやら、俺の記憶力が悪いということだけが原因ではないようだ。瀬名のしかめた顔に苦笑いで返し、ホッと息をつく。そしてそれと同時か、急に背後から光で照らされた。

「君たちなにしてるんだ」

 その声に振り向けば、制服姿の警官が二人。こちらの様子を窺っていた。

「……って、また君か!」

「ああ、どうも」

 訝しげな表情を浮かべていた警官の一人が、突然大きな声を上げる。その覚えがある声と顔に俺がへらりと笑えば、彼は肩を落としてうな垂れた。

 駅前の交番に三人まとめて連行されて、狭いその中に押し込められ十分程たった頃。ため息交じりの呟きが静かな室内に響いた。

「……何度目だったかな」

 先程からずっと、カツカツとボールペンの先が小刻みに紙の上で鳴らされている。そしてその音が止むと、再び長く吐き出されたため息が辺りに広がった。

「全く、どうもじゃないよ。どうするの? 今回も被害届は出さないの?」

 ため息を吐いている白髪交じりの警官の横で状況を把握出来ていない若い警官と、俺の隣に座った瀬名が目を瞬かせている。そしてその主原因である城川は、交番の隅で椅子に座り小さくなっていた。響いた物音で商店街の住人に通報されたらしい。

「毎回ね、ちゃんと出さないからこうなるんじゃないの?」

「んー、でも。毎回相手が違うから、出しても仕方ないかなぁと思うんだけど……毎度ごめんねぇ、湯田さん」

 肩をすくめて軽い調子で笑った俺に、湯田は一瞬だけ呆気に取られた表情を浮かべ、小さく唸りながら手を動かした。

「えーと、今回は酔っ払って喧嘩、ね。全く、綺麗な顔に傷つけてなにやってんだか。前みたいに、横っ腹に包丁刺さらなかっただけマシか?」

 ちらりとこちらを見上げた湯田に首を傾げれば、再び大きなため息を吐かれる。彼の視線は引き倒された際に出来た頬の傷に止まった。

「別に女の子じゃないんで」

 顔や身体に傷の一つや二つ大して気にならない。

「……とりあえず、君たちは帰って良いよ」

「あの子は?」

 顔をしかめた湯田に追い払うように手を動かされるが、俺はいまだ置物のように固まっている城川を見た。

「ちょっと事情聴取するから」

 呆れた様子で城川を振り返った湯田にふぅんと曖昧な相槌を打ってから、俺はおもむろに城川の傍に歩み寄った。

「……鍵。返してくれる、城川くん」

「あ」

 近寄って来た俺に肩を跳ね上げた城川は、ふいに顔を強張らせた。けれど見下ろす俺の視線にいたたまれない気持ちになったのか、慌てたようにポケットから鍵を取り出す。

「ありがと。それとさぁ、待ち受けになってるあの時の写真。あれだけじゃないよねぇ?」

 あれの出所が城川で、あの日のものだったとしたら。あれ一枚きりのはずがない。

「渉さん待ち受け写真って、なんすか」

 顔を蒼くしながら目をさ迷わせた城川を、俺はじっと見つめた。それに対し、椅子に座ったままだった瀬名の気配が大きく揺らぐ。

「んー、あの日さぁ。起きたら俺、なんにも着てなかったんだよねぇ。嫌がらなかったって、そういうこと?」

 視線を逸らして俯いた城川に首を傾げれば、背後で派手な物音が響く。瀬名の椅子が勢いよく転がった。
 横から伸びた腕を咄嗟に掴むと後ろから舌打ちする音が聞こえる。肩をすくめてそれを横目で見れば、瀬名が物言いたげに俺を見下ろしていた。

「交番内で暴力沙汰はご遠慮ください」

 わざとらしくそう言って笑うと、瀬名の眉間に深い皺が刻まれた。

「……聞いてない」

「ふぅん。部屋に入ったの篤武だけだったんだ。だとしても、あいつは頭悪いけどそういうことする程、馬鹿じゃないから。あー、それともやっぱり俺? 自分で脱いだ?」

「渉さんっ」

 怒声と共にもの凄い勢いで瀬名が机を叩き、その反動で戸や窓のガラスが震えたような気がした。さすがにその勢いには湯田も驚いたのか、僅かに肩が跳ね上がる。年若い警官に至っては城川同様、顔が真っ青になった。

「煩いなぁ、器物損壊とか勘弁してくれる? 俺は確認してるの。あ、あとさ。これ、複製してたら返してね」

 先程受け取った鍵を城川の前で振ると、彼の顔は今にも死にそうなくらい、青を通り越して白になった。そして瀬名に蹴り飛ばされた椅子が、勢いよく壁にぶつかり大きな音を立てる。
 金具の歪みが不自然だったのでもしやと思ったが、ホントに合い鍵を作っていたとは驚きだ。一体いつの間に作ったのだろう。もう使われることはないと思うけれど、早々に部屋の鍵を付け替えて貰わなければ。

「それと」

「まだあんのかよっ」

 怒鳴り散らす瀬名の拳で力任せに扉が叩かれ、はめ込んだガラスが割れそうなくらいに揺らいだ。肩を落とした湯田の小さなため息に、ほんの少し申し訳なくなった。

「ホント煩い。んー、あとなんだっけ。あ、そうだ。普段から一服盛るのはもう勘弁してくれるかな? 俺さぁ、普段でも悪いのに最近すごい記憶力悪くて……あ」

 更に言葉を紡ごうとした俺の目の前で、城川がいきなりふらりと後ろへひっくり返った。