46.あの人に少しでも近づけたなら

 予想外の誘いだったが小津のおかげでうまく話を持ちかけるきっかけができた。とんでもない言い訳を考える羽目にならなくて良かったと光喜は息を吐く。しかし少し嘘をついてしまったことに後ろめたさがある。
 もっとあの人の前ではありのままの自分でありたい、そう思うけれどとっさに自分を繕ってしまう癖が抜けない。いつか自然体で、素のままの自分を受け入れてもらえたらいいな、そんなことを考えながら光喜は席を立った。

 いまは仕事中らしい晴に約束を取り付けたことと、時間が空いていることをメッセージで送ったら「すぐ行く、すぐ終わらせる」と前のめりな返事が来た。その返しにふっと笑みをこぼし光喜は駅に向かって歩き始める。
 駅までは大体十分ちょっとの距離で、駅前はあまり賑わった印象がない。けれど駅の構内にはいくつか店舗が入っており、改札口に面したところに洋菓子屋がある。ふとその前で足を止めて、光喜は誘われるようにショーケースを覗いた。

「なんかお土産を買っていこうかな。小津さん甘いものは平気だったかな。チーズが駄目なんだっけ」

「フルーツロールなどいかがですか? クリームが甘さ控えめでフルーツもかなりぎっしりですよ」

 じっと並ぶケーキを見つめながら光喜が唸っていると、ショーケースの向こうでにこやかに笑っていた女性が上段にあるケーキを手差しする。それは通常のロールケーキと比べると半分くらいの大きさで、彼女が言う通り断面から見てもフルーツはたっぷり入っているように見えた。
 男三人だからそれほど大きいものは必要ない。三等分したらちょうどいいようにも思えた。

「じゃあ、これください。保冷剤は多めに入れてもらえると助かります」

「かしこまりました」

 ロールケーキを包装してもらい会計しているあいだにメッセージを受信した。確認すると晴からで、あとちょっとで抜けられるから最寄り駅を教えてくれと言う用件だった。それに光喜は苦笑いを浮かべてしまう。
 予定では一時間くらいあとに終わると言っていた。早く上がるために仕事を巻いて終わらせようとしているのがわかる。けれど晴なりに珍しく気を使っているのは伝わってきた。半分くらいは小津に会ってみたいという不純な動機かもしれないが。

「ありがとうございました」

 受け取ったロールケーキを片手にぶら下げながら、光喜は軽い足取りで歩き出す。晴に会わせるのはまだ引っかかりがあるものの、小津に会えるのは純粋に嬉しい。少しでもたくさん会って、彼のことをもっと知りたいと思う。
 そしてそれと共に自分のことをもっと知って欲しい。けれどいままではそんなことは考えもしなかったなと、我ながら酷いやつだと呆れてため息が出る。それでもいまの貪欲な自分は悪くはないと光喜は小さく笑った。

 小津のアパートがある最寄り駅に着くと、二十分ほど過ぎた頃に晴がやって来た。ストライプのサロペットにゆったりとしたパステルブルーのニットカーデ。顔の半分はある大きな黒縁眼鏡をかけた晴は飛び跳ねる勢いで手を振ってくる。

「光喜お待たせ!」

 目の前に立って小首を傾げたその顔に少しばかり光喜の眉間にしわが寄る。キラキラとした笑顔を浮かべる晴はかなり機嫌が良さそうだ。けれど可愛らしさ全開なその姿はまた気持ちをじりじりとさせられる。
 しかしそんなことをこの男に思っても無駄だなと光喜は足を踏み出した。

「ふぅん、クマさんはレザーの小物を作ってるんだ。いいなぁ、俺もなんか欲しい」

「ねだったりしないでよ」

「どうしよっかなぁ」

「駄目、小津さんは人が好いから嫌でも引き受けちゃいそうだから」

「なになに、ヤキモチ? 光喜、可愛い」

 ニヤニヤと笑いながら肘で脇を小突いてくる晴に、ムッと顔をしかめて光喜は歩くスピードを上げる。けれどそんな反応にもお構いなしで晴は後ろから抱きついてきた。可愛い可愛いと連呼されて光喜の歩みはますます早くなった。