50.初めての二人の時間
先日のアクアリウムの時といい、小津はこれまでとは違う一面を見せてくる。いままでは目に見てわかるほどに落ち着きなくあたふたとしていたのに、光喜にはまるで目の前にいる男が別人のように思えた。
けれどそれは嫌な感じではなく、それどころか気持ちがふわふわとして舞い上がりそうな勢いだ。まっすぐな眼差しと言葉を向けられて、うぬぼれではなくて本当に自分のことを好いてくれているかもしれない、そう思えてきた。
「な、なんか、こないだから、小津さん、変に落ち着いてるよね」
「え? そうかな? んー、なんだろう。そんなに違うかな?」
これまでとは逆転してしまったような感覚。しかし小津自身に意識はなかったようで、考え込むように首を傾げた。少年のような純情さは、やはり慣れないことに対する反応だったのだろうか。
いまのほうが気持ちが向いているのか、それとも逆に関心が薄れたのか。浮き上がった光喜の心はまた沈み込みそうになった。
「みーつーきっ!」
「ん?」
ふっと落ち込みそうになった瞬間に後ろから暢気な声が聞こえてくる。その声に振り向くと扉の隙間から晴が顔を出していた。それに首を傾げたら呼び寄せるように手招きをされる。しかしその意味がわからなくて光喜はじっと晴の顔を見つめた。
「ちょっと、こっち来て」
「えー、なに?」
何度も手招きされて渋々立ち上がると扉へ足を向ける。すると近づいたのと同時に腕を引っ張られて扉の向こうへ引き込まれた。驚きあらわに光喜が瞬きしているあいだに扉はパタンと閉まる。
「な、なに?」
「光喜、告れ」
「え?」
「なに心配してだよ。あれどう見たってクマさん光喜にベタ惚れじゃん」
「えー、どうかな」
「なにがえー、なんだよ。俺を見る目と光喜を見る目ぜんっぜん違うって! あれで向こうがなんにも意識してなかったらよほど鈍感だよ。告白されるの一年後じゃ済まないかもよ。いま言わなきゃ駄目だって」
両腕を鷲掴まれてガクガクと晴に揺さぶられながら光喜は小さく唸る。確かに小津の性格はのんびりというかおっとり。基本的に受け身な姿勢で自分からガツガツ行くタイプではない。それを踏まえると光喜が好意をはっきりと示さないとそれには気づかなさそうではある。
「俺、これから仕事が入ったから帰る。時間かけてもいいから今日、告れ」
「え? いや、でも、いきなり」
「忘れんなって言っただろ。好きな気持ちも?」
「……一期一会?」
「そう! わかったら気張れ」
ぎこちなく光喜が首を傾げるとバシバシと両腕を叩かれる。そして大きく開かれた扉の向こうへと押し出された。その先には少し不思議そうな顔をしている小津がいる。助けを求めるように背後にいる晴に視線を向けると、目線で先を促された。
「どうかしたの?」
「あの、僕これから仕事が入っちゃって、帰らなくちゃいけなくなったんです。色々お話を聞きたかったんですけど、また機会があったらお話しさせてください」
「そうなんだ、大変だね」
「あ! もちろん光喜は置いていくので、よろしくお願いします」
「え?」
突然の宣言と共に前へと押し出された光喜は前のめりになる。慌てて椅子の背を掴んで後ろ睨み付けたら、気迫のこもった目で見返された。その視線に光喜はぐっと息を飲む。目の前には言葉の意味をよく理解できていなさそうな小津、背後には有無を言わせない調子の晴、逃げる場所がない。
「慌ただしくてすみません。それじゃあ、修平さん、また」
「あ、うん。またね」
にっこりと微笑んだ晴は最後にまた光喜の背中を叩いて部屋を出て行った。そこに残るのは嵐が過ぎ去ったような静けさ。扉を振り返った状態のまま、光喜は動けずにいた。けれどほんの少し空気が揺らいで、小津が立ち上がったのを感じる。
「コーヒー冷めちゃったよね。入れ直そうか」
「え? あ、いいよ! 大丈夫、もったいないし」
気配を感じて光喜が顔を正面に戻すと、また小津とまっすぐに視線が合ってしまう。先ほどの二人きりよりも光喜はひどく胸が騒いだ。いまこの空間はほかの誰もいない本当の二人きり。
「あ、そ、そうだ。ケーキ食べたら、素材見せて!」
「……うん、そうしようか」
ギクシャクとしながら光喜が椅子に腰かけると、そんな様子にやんわり瞳を細めながら小津も目の前に座る。二人でゆっくりと冷めたコーヒーを飲んで、ケーキを腹に収めながら時折視線を持ち上げて見つめ合う。
そのくすぐったさに光喜の気持ちはどんどんと膨れ上がっていった。