51.優しさが溢れる空間

 初めて会った時から小津のもつ優しい空気がいいなと思っていた。ささくれ立つような感情も重たい濁った感情も、甘い蜂蜜の中でとろかしてくれる温かさがある。あの日、あの時、出会っていなければ光喜はいまも苦い恋に囚われたままだった。
 あんなに怖かったまっすぐな瞳がいまは愛おしく思える。自分だけを見つめ、自分だけを映すその瞳。それに胸が震える思いがした。

「あー、こっちの色もいいね。でもこれも落ち着いた感じで悪くない。小津さん的にはどう思う?」

「んー、そうだな。もしこっちを選ぶなら、この色がいいんじゃないかな、とは思うよ」

 少し前までは向かい合わせだった二人はいまは並んで顔を突き合わせている。手元に広げたレザーの色見本を眺めてもうすでに一時間は過ぎていた。それでも飽きることなく二人はあれこれと組み合わせを作っていく。
 時折夢中になりすぎて肩がぶつかるが、それでも顔を見合わせて笑いながらまた視線を落として話にのめり込んだ。

「やっぱりこれにする。こっちの色を基調にして、Cデザインがいいな」

「わかった、じゃあこれで進めるね」

「うん、ありがと。でもほかのデザイン案もいいよね。どこかで使う?」

「そうだね、機会があれば」

 好意で作ってくれるだけでも十分にありがたいと思えるほどなのに、レザーの色見本と一緒に小津は五パターンほどのデザイン案も用意してくれていた。一人で仕事を切り盛りしていることを考えれば、これはだいぶ時間を割いていると考えてもいい。
 頬杖をつきながら、光喜は真剣な横顔をじっと見つめた。その顔はいつもより凜々しくて、仕事に対する真摯な態度が見て取れる。普段とは少し違う顔つきに思わず見とれてしまった。

「ん? どうかした?」

「ううん、なぁんでもなーい。んふふ、小津さん本当にありがとね」

「どういたしまして、光喜くんに喜んでもらえるなら嬉しいよ」

「うん、すんごい嬉しい!」

 気持ちがふわふわとして光喜はもたれかかるように小津の肩に頭を寄せる。それに驚いたような視線を向けられるが、黙ってそのままでいると頭を優しく撫でられた。いつも勝利にべったりと貼り付いていたので、くっつき癖があると思っているのかもしれない。それでも愛おしい愛おしい、そんな想いがこもっていそうな温かな手だった。

「あ、光喜くん」

「なに?」

「夕飯はなに食べたい?」

「え?」

「もうそろそろいい時間だし、ご飯食べに行く?」

 ふと視線を落とした小津は腕時計を見つめる。その視線の先をのぞき込むと十八時を過ぎていた。思っていたよりも時間が過ぎていることに気づいて光喜は目を瞬かせる。そしてしばらく考え込んだ。
 このまま外へ行ってしまうと二人きりの時間が終わってしまう。そうしたら告白どころではなくなってしまうだろう。しかし都合のいい言い訳も見当たらない。けれどしばらく黙り込んでいるとふいに顔をのぞき込まれた。

「あ、もし面倒だったらなにか作ろうか? とは言っても大したものは作れないけど」

「んー、じゃあ、お言葉に甘えて小津さんの手料理で!」

「いいよ。なに作ろうかな。ああ、鶏があるから親子丼くらいは作れるかも。それと付け合わせはなににしよう。ん、でもまずはご飯だね」

「お米くらいなら研げるよ。あ、あと切ってちぎって盛るくらいなら」

「そっか、それじゃあ、二人でやろうか」

「うん」

 楽しげな笑みを浮かべた小津につられるように光喜も小さく笑う。そして再び優しく頭を撫でられて、頬を染めながらはにかんだ。
 穏やかなこの空気が自然と二人を寄り添わせる。並んで立ったキッチンで顔を見合わせながら笑い合う、それだけのことがひどく幸せに感じた。ああ、好きって気持ちはこういうことなんだなと、光喜は初めて知るような心地になった。