二人の旅の行く先

 ユーリたちは翌日、朝から町――パトルの治療院などを回って歩いた。
 解毒薬は想定より多く持ち運んでいる。しかし帝都から離れた場所であるはずなのに、患者の数が思ったよりも多く、気にかかった。

 話を聞くと最近、山のほうから、川の水と一緒に土砂が流れてきたという。
 体調を崩す者たちが増えてきたため、いまその川周辺は立ち入りを禁じているようだ。

「町の方々の賢明な判断でしたね」

「帝都の噂が、各所に拡がったあとだったのが幸いしたな」

 治療院を出て、四人はひとまず近くにあった休憩場所で腰を落ち着けた。宿の者に頼んで作ってもらった、肉を挟んだパンで軽く腹ごしらえをする。

 周囲には同じように昼休憩している治療院の従事者たちがいた。町の人たちだけでは手が足りず、よその村などから手伝いに来ているらしい。

「土砂は、どちらから流れてきたんだろう」

 フィンとライの言葉を黙って聞いていたユーリは、しばし考え込んだ。

 川の上流は二ヶ所ある。フィズネス公爵領とホートラッド山。
 途中で二つの川が合流し、町まで流れてきていた。

「なにかが崩れてできた土砂ならば、平地の公爵領ではなく、ホートラッドでは」

「……うん、そうだな。だとしたら先にそちらへ向かったほうがいいか」

 考えに集中していたユーリは、ふいに隣から声をかけられ、一瞬だけ胸の音を跳ね上げる。
 いつものことなのに、デイルが並んで椅子に腰掛けていたのをすっかり忘れていた。

 丸太で作られた簡易の長椅子はさほど大きくなく、並んでいると意外と距離が近いのだ。
 声も近すぎたゆえに余計、驚いてしまった。

 デイルが探していた人物であり、ユーリのために未来を捧げてしまったと知ってから、ずっと心が落ち着かない。

 ドラゴンとの会話は夢かと思っていたけれど、浅い眠りから目覚めたら、ユーリの手のひらに緋色の鱗――正しくは鱗の欠片――があった。

 未来でドラゴンの魔力を肌で感じ、身をもって知っているので、本物だとすぐに気づいた。
 鱗はいま、なくさないよう服の内ポケットにしまっている。

 デイルはユーリの些細な変化を感じ取っているようだが、問いかけてこない。

(誰とも添い遂げない――と言ってたのだから、やはりディーに未来の記憶はある。思えば言葉の端々にそう匂わせる言い回しがあった)

 未来をともに生きられないからと、黙っている可能性が高い。
 ならばどこかでお互いに話し合わなければ、すれ違ったままになってしまうだろう。

 ユーリは見す見すデイルを失う気はないのだ。

「山はどこまで馬で近づけるんですかね」

「なにか結界が張られているのでしょうか」

「ユーリさま、ご存じですか?」

「え? あっ、麓の森までは問題なく行けるはずだ。父上の話では、森の奥へ入ろうとしても入り口に戻されてしまうとか」

 黙々とパンをかじりながら考え込んでいたユーリだったが、三人の視線を感じ、辛うじて聞いていた問いに返事をする。

「そういえば幻の村はたどり着ける者が少ないと言っていましたね」

「ああ、祭りでそんな話を聞いたな」

 デイルと二人で立ち寄った、屋台の店主がドラゴンについて訊ねたとき教えてくれた。

「なるほど、完全に閉鎖された場所ではないのですか」

「認められた者だけが入れる、みたいな感じか」

 向かい側で顔を見合わせるフィンとライ。その様子にユーリが訝しげに首を傾げたら、二人は揃って同じことを言う。

「ユーリィさまと」

「デイル、二人で行ったほうが良くないですか?」

「え? なぜだ?」

「たぶん、ドラゴンに関わりがあるのって二人ですよね?」

「私も同意見です。ユーリィさまはおっしゃいませんでしたが、デイルも関わりがあるのではないですか?」

「……あ、あるのか?」

 二人の言葉にユーリはひどく動揺をした。
 ユーリ自身は昨日、知ったばかりだというのに、二人は前から確信があったそぶりだ。

 動揺のあまりユーリが隣のデイルに問いかければ、彼はじっと見つめ返してきた。

「ユーリィさまはわからないかもですね。こいつはユーリィさまの誕生日以降、変なんです」

「確かに、変ですね。妙にユーリィさまの前だとそわそわした様子で」

「は? え? デイルのどこがそわそわしているんだ? いつもキリッとしてるじゃないか」

「ユーリィさまにはそう見えるんですか」

「こういうのはなんと言うのでしたか」

「二人揃ってなんだ、その目は」

 ライとフィンの目がいつもの生ぬるさではなく、呆れた半目になった。
 とはいえ、デイルがいつもキリリとしている印象なのは本当だった。少なくともユーリにはいつでも凜々しく見えている。

「元々ユーリィさまには愛想のいい男でしたけど、ね」

「そうですね。基本的に彼は無感情な男でした」

「デイルが?」

 これまでを振り返っても、ユーリにはそんなデイルをまったく想像できない。
 いつも柔らかく笑い、優しい声音で話してくれた。素っ気ない態度など一度もなく、いつだって紳士的だった。

 しかしもしや、と未来でのデイルの性格を思い返す。

(そういえばディーって人見知りだった。あまり人前が好きじゃない。だからか)

 誕生日以降から態度が変わったということは、目覚めたユーリに会って、未来のユーリだと気づいたのだ。

「デイルはすぐに僕の違和感に気づいたのか? そんな様子はわからなかったけど、デイルは僕を良く見ているんだな」

 ふっと、自身に向けられていた視線が離れたのに気づき、ユーリは隣にいるデイルを再び見つめる。

「ユーリさまはいまも昔も変わりません」

「でも確かに違うと感じたんだろう?」

「…………」

 問いかけたら黙秘を行使された。
 じっと彼の横顔を見ていると、じわじわと耳が赤くなっていくのがわかる。

 本人は一生懸命こらえているのだろうが、可愛らしい反応にユーリはくすりと笑った。

(大事な護るべきユーリではなく、心を通わせた僕だと気づいて、態度が変わってしまったんだよな、きっと。無意識だったとしても嬉しい)

 振り向かないデイルの横顔を見つめながら、ユーリが一人でニコニコとしていたら、急にライが咳払いする。

「えー、俺たちは」

「森の浄化のほうを手伝ってきましょう」

「そうだな。治療院も各地に増えたし、フィン、移動するか」

「ですね」

「どうしたんだ? 二人とも」

 突然予定を変更し始めたライとフィンに、ユーリは目を丸くするけれど、示しを合わせたように二人は立ち上がる。なんだか既視感のあるやり取り。

 そしてあっという間に手荷物を片付け、デイルに「いまのユーリィさまは成人前だ」とよくわからない忠告をして去って行った。

「成人前って、なにか意味があるのか?」

「…………」

 相変わらず沈黙を保つデイルの耳がさらに赤くなっていった。
 そんな様子を見て、ユーリはしばし考える。

「年齢? ――あっ、僕は嫌じゃないぞ」

「ユーリさま、軽率すぎます」

「口づけをした仲だろう?」

「――っ、そういう話はこんな場所でしないでください」

「僕と関係を持つのが恥ずかしいのか?」

「あなたと私、いくつ違うと思っているのですか」

「ふむ、世間の目が厳しいのだな」

 慌てた様子で声を小さくするデイルに、ユーリは重たい息を吐く。
 ユーリの中身は二十五歳の大人。いまのデイルと同じ歳だ。感覚として、自身が成人前の少年という自覚が少なかった。

 だが逆にデイルから見ると、十七歳の少年に手を出す三十路過ぎの男、という感覚になる。

「次の誕生日まで、お預けなのか。先は長いな」

「ユーリさま。旅支度するために、買い物へ参りましょう」

「ん? ああ、わかった」

 すっと立ち上がったデイルの耳はまだ赤いものの、出発の準備を始めなくてはいけないのも確かだ。
 ホートラッド山に一番近い町がここ――であれば、この先は野宿になる。

 ライとフィンがいないので二人きりでの移動。道中、考慮すべき点もあるだろう。
 先を行くデイルの後ろをユーリが追いかければ、背後から「あんな綺麗なご主人様に迫られたら色男も形無しだな」と苦笑混じりの声が聞こえた。

(なるほど、デイルも居心地が悪くなるわけだ。気をつけよう)

 以前、自身の容姿に自覚を持てと言われた。はたから見ると美少年に迫られ、タジタジな青年騎士、という絵面になる。

 デイルがこの先、恥ずかしい思いをするのは嫌だったので、ユーリは気をつけようと心に留め置いた。

 いったん、荷の確認のため宿に戻れば、ライとフィンはすでに引き払ったあとだった。
 一緒に行動していたので、ユーリたちはどうするのかと入り口で宿の者に聞かれる。

 すぐに荷物をまとめても良かったのだが、デイルはもう一泊すると伝えていた。

「もの言いたげですね。日も高いですし、出発をしてもいいですが、今夜くらいはベッドで眠ってください。道のりは長いですよ」

「そうか、この先に宿はないものな」

 デイルの背中をじっと見ていたら、心を読まれた。しかし納得のいく返事だったので、ユーリは黙ってこくんと頷く。

「買い物と言っていたが、なにを買うんだ」

「そうですね。食料を少し買い足しましょう。おそらく三日くらいかかるでしょうから」

「僕が馬を駆るのが上手じゃないからだな」

「乗馬歴を鑑みれば、ユーリさまはとても上手だと思いますよ」

「いまにもっと上手くなるからな」

「楽しみにしています」

 からかわれた気がするものの、優しく微笑んだデイルにユーリは胸をドキドキとさせた。