始まりのはじまり
正月は長期休みで喜ぶ人が多いけれど、毎年毎年その日が気が重いと思うやつだっている。かくいう俺もその通りで、賑やかな親戚の集まりから逃れてようやく一息をついたところだった。
ふすまを開けて廊下へ出るとひんやりとした冷気が身体にまとわりつく。それにふるりと肩を震わせながら懐にしまっていた煙草を取り出した。ちりっと火がつくと焦げ付く匂いがして紫煙が立ち上る。
広間は子供も多いので煙草が吸えず数時間それはもう苦痛だった。ようやく吸い込んだ煙で肺が満たされる。煙草をくわえたまま廊下を進み、年季の入った階段を上れば騒がしい声が遠ざかった。
いまどき親戚が五十人以上集まるなんてそうないだろう。さすが田舎町だ。普段暮らしている夜まで明るい街とは違う、暗闇と月明かりの世界。用意された部屋も古めかしく、古ぼけた時代にタイムスリップしたかのような気にさせられる。
窓から射し込む月明かりの下で冷えた部屋を暖めるべくヒーターのスイッチを入れた。それは部屋に似つかわしい火鉢などでなくて良かったと、そう思える一つだけ浮いた最新機器だ。
ゴォッと音を立てて温風が吐き出されて冷えた足元が温められる。その前を陣取るように真ん前に座り、吸い込んだ煙を吐き出す。この親戚の集まりで騒がしさよりもなにが気が重いかと言えば、子供たちへのお年玉かもしれない。
大して稼いでいるわけでもないのに、二十人近くもいる甥っ子や姪っ子に一人ずつ渡さなければならない。大人たちはそれよりたくさんいるのだから、自分だってもらいたいくらいだ。
ため息交じりに携帯灰皿に煙草の火種を落として火を消すと、敷かれた布団の上にごろりと寝転がる。そして目を閉じて静かな空間に耳を澄ませた。ヒーター以外、物音一つしない。
吐き出す自分の呼吸や胸の音のほうがうるさいくらいだ。なにもない田舎町に来るのは面倒くさいと思うが、この静けさは嫌いじゃない。このまま目を閉じていたら眠りに落ちてしまいそうなほどの静寂だ。
けれどその中にパタパタと足音が聞こえてくる。階段を駆け上がり、廊下を足早に歩くその足音の主はこの部屋の前で立ち止まった。
「慎也兄ちゃん、起きてる?」
「……ああ、起きてる。奈津か」
「うん、入るね」
窺うような声が聞こえてそっとふすまが開く。顔をのぞかせたのは背の高い少年で、色素の薄い瞳と髪をしていて人の目を惹くような整った顔立ちをしている。うちの親戚一番の男前だともてはやされている一回り下の甥っ子だ。
「もう終わったのか」
「ううん、まだ大騒ぎ。下の子たちはさっき母屋のほうに戻ったけど」
「ふぅん」
パタンとふすまが閉まるとゆっくりと気配が近づいてくる。そしてすぐ傍で立ち止まり膝を折って人の顔をのぞき込んできた。間近に感じる気配に伏せていた視線を持ち上げると、数センチ先に綺麗な顔が見える。
「なんだ」
「キスしようと思っただけなのに、睨まないで」
「そういう悪ふざけはやめろって」
「悪ふざけじゃないよ。本気だもん」
眉を顰めた俺の気持ちなど素知らぬ顔で、目前まで迫っていた顔がさらに近づく。とっさに横を向くけれど、追いかけるように近づいて伸ばされた手に引き戻された。
「……んっ」
柔らかな感触が唇に触れて身をよじってそれから離れようとするが、覆い被さるように身体を寄せられて上半身が動かない。触れるだけだったそれは今度は意志を持って深く合わせてくる。
肩を押して抵抗をするけれど、悔しいことにこの男は自分より身体が大きかった。食べても栄養に回らない貧弱なこの身体が恨めしく思えてくる。身じろいでいるうちに馬乗りにまたがられて、両手まで押さえつけられた。
「エロっ、すんごい良い眺め。着物がはだけてるのってやらしいよね」
「このませガキ、いまなら冗談で済ましてやるから離れろ」
「え、やだよ。こんなおいしい展開、年に一回あるかないかだよ? 据え膳逃すのは男の恥って言うでしょ」
「馬鹿っ、やめろって」
人が身動きできないのをこれ幸いと奈津は勝手に着物の帯を外し始める。身の危険を感じて手足をばたつかせると、さらに乱雑に帯を引き抜かれた。
「元旦の夜ははじめてのことするんだよね? なんて言うんだっけ?」
「うるせぇ強姦魔」
「え、ひどい。俺には慎也兄ちゃんへの愛しかないよ」
「強姦魔の上にストーカーかよ」
「兄ちゃん、えっちなこと嫌いじゃないでしょ?」
「黙れ」
ひどく難しい顔をして首を傾げる奈津に俺の眉間では深いしわが刻まれる。実家暮らしをしていた時に恋人連れ込んでことを致しているところを目撃されたことがあった。当時の奈津はまだ七歳くらい。
理解なんてしているはずもないと思っていたのに、気づいたらこうしてまとわりつかれていた。はっきり言って黒歴史だし忘れたい。それなのにいまだにそのことをちらつかされて言葉が出ない。
「えー、したいしたい。俺、十八になったよ。もう犯罪じゃないよ」
「それ以前の問題だ馬鹿!」
「叔父と甥って結婚できないんだっけ?」
「どう逆さにしたってできねぇよ! お前の脳みそ豆粒か!」
「あ! いいよ、俺、愛人でも!」
ふいにぱっと明るい顔をしたかと思えば突拍子もないことを言い始める。良いことを思いついた、みたいな顔をしているけれど、馬鹿だこいつ。頭の良さそうな顔してるのに、学校の成績良かったのに、馬鹿だ。
「略奪愛、とか、いいよね。慎也兄ちゃんが俺なしでいられないようにしてあげる」
「離せ!」
着物の合わせ目を開いてはだけさせられて素肌に冷たい空気が触れる。さすがにこのままではいられないと目いっぱい腕に力を込めて、手を振り払った。するとばちんと音がして、手になにかがぶつかった感触がする。
「あ、悪い」
「……びっくりした。痛い、けど、隙あり!」
頬を打たれた奈津は目を瞬かせたが、すぐさま身体の上に覆い被さってきた。首筋に顔を埋められてくすぐったさに肩が跳ね上がる。重たい身体を押し退けようともがいたが、着物が乱れるばかりで解決にはならなかった。
「慎也兄ちゃんとえっちなことをするのはもうちょっと我慢するね」
「我慢じゃなくて諦めろ」
「来年のお正月には心をがっちり掴んでメロメロにさせるから、これから一年覚悟しておいて」
「幸先悪い一年だな」
「えー、幸せいっぱいな一年になるよ。楽しみだね」
すりすりと頬を寄せてくるその仕草は幼い頃から変わっていない。変わっていないけれどあまりにも大きく成長しすぎだ。しかも好みのど真ん中に育つなんて想定外すぎる。一年も理性を試されるなんてどんだけひどい苦難だ。
始まりのはじまり/end