七夕というといつも雨降りの印象だ。しかしいまの季節は梅雨真っ只中なので仕方がない。昔のいまごろは本当に天の川は見えていたのだろうか。いまの世では毎年雨と曇りで織り姫と彦星の逢瀬は叶いそうにない。
それとも空の上では晴れているので、こっそりと会っていたりするものなのか。だが人の世でもなかなかに逢瀬は難しい。二人の生活スタイルが違うと、どうしても噛み合わないものだ。
――駅前で出店が出てた来る?
――出店? 今日なにかのお祭り?
――ほら、七夕
――ああ! そっか、七夕かぁ
――来られたらでいいぞ
恋人にメッセージを送ってみたら、今日の日付も曖昧なようだ。彼は苦学生で常に忙しいのだ。休みの日も弟妹たちの世話に追われて、自分の時間が少ない。恋人である俺と会うのも週に一度あるかないか。
可愛い恋人に少しでも会いたいと思うが、休む間もないことを考えれば、たまの空いた日くらい自由にさせてあげたいとも思う。
「焼き鳥を買って、コンビニでビールでも調達して帰るか」
彼が今日バイトが休みなことは知っていた。ただし二つのバイトをかけもちでの週六日出勤、のうちのたった一日の休みでもある。それで家のことをして自分の勉強もしてでは疲れは取れない。
声をかけて余計な気を回させたかと心配になった。そんなことを考えているとスマホがメッセージを受信する。そこには「いますぐいく」の文字。
やはり気を使わせた、そう思ってしまった。けれど嬉しくないわけではない。最後に会ったのはもう二週間くらい前だったか。家はわりと近くに住んでいるのに、すれ違いの毎日だ。
コンビニへ向かう足を方向転換させて駅に戻ることにした。
彼の家からこの駅まで二十分くらい。出掛ける準備をすることを考えれば、三十分は見積もってもいい。けれど三十分が過ぎても四十分が過ぎても、やってくる気配がなかった。
これはもしかしていく直前になにかトラブルか。弟妹たちにごねられているとか。兄ちゃんだけお祭りずるい、とか。連れてきてもいいよと言えばよかったかもしれない。
二人きりではないのは残念だが、会えないよりマシだ。
そのまましばらく待って一時間は経とうという頃、ようやっと彼の姿が見えた。改札を抜けてやってくるその姿に、思春期の少年のように胸が高鳴る。
二十の半ばを超えた男が青臭いものだと思うけれど、好きな相手にときめくのはいくつになっても変わりはしない。
「明人さん、遅くなってごめん」
「うん、いいけど。いいんだけど、和依、……どうしたの、それ」
いつもであればシャツにデニムという簡素な出で立ちの恋人が、渋い藍色の浴衣を着ている。背が高くてすらりとしている彼には文句なくよく似合う。だが背が高い分、既製品では丈が足りないはずだ。
それなのに仕立て上げたように彼にぴったりの浴衣だった。訝しく思いながら見つめていると、少し照れくさそうに笑う。
「母さんがお祭り行くなら着て行けって。本当は夏祭り用に作ったらしいんだけど」
「そうなんだ。それより夏祭り、一緒に行けるんだ?」
「うん、下の子たちの面倒は見なくていいから、明人さんと行ってこいって」
「そっか、じゃあ、楽しみにしてるな」
「あ、明人さんの分の浴衣もあるから、一緒に着てくれる?」
「えっ? あ、うん、もちろん!」
思いがけない言葉に頬が熱くなる。彼の母親は自分たちのことを知っているが、そこまで好意的に思ってくれていたのかと、驚きと共に嬉しくなる。
高校生の息子に言いよる男なんてろくでもないと、思われていても仕方ないのに、寛容な人だ。
「じゃあ、行こうか。もう夕飯は食べた?」
「これからってところだったんだ。だからお腹空いてて」
「よーし、なら目いっぱい食べ歩きしよう。かなり屋台が充実してた」
「わぁ、楽しみだ」
無邪気に笑う顔が可愛い。そういう顔を見るとやはりまだ子供だなって思ってしまう。いつも隙のないしっかり者だけれど、たまにはこうして気の抜ける日があるのは大切な気がした。
なにもなくても、なにもしなくてもいいから、ただ傍にいるだけの時間を作ってあげたい。もう少し声をかけてあげようか、そんなことを考えた。
屋台で色んなものを食べ歩きしてゲームをして遊んで、ほんの一時間ほどだが久しぶりの二人時間を味わった。隣で楽しそうに笑う姿を見ているだけで、胸がぽかぽかとしてくる。
性格は生真面目を絵に描いたようなところがあるけれど、彼はとても癒やし系だ。傍にいると日常の疲れを忘れさせてくれる。
「今日は泊まるんだよな?」
「あっ、駄目だった?」
「大歓迎だよ」
浴衣にちょっとばかり不釣り合いな大きな鞄はお泊まりセットだ。おそらく母親の提案だろう。自宅よりこちらの家のほうが学校も近い。せっかくならと言ってくれたに違いない。お母さんグッジョブだ。
家までは徒歩七分くらい。のんびり歩いて帰る。ビールは買っていかないの? と気を回してくれて、コンビニに寄り道。
家に着くとビールを冷蔵庫にしまいスーツを脱いだ。蒸し暑い季節にこれを着ていると地獄ように思える時がある。
「和依はお風呂もう入った?」
「ああ、うん」
「でも汗掻いてない? 入る?」
「明人さん、先に入っていいよ。仕事終わりで疲れてるでしょう」
「うーん、まあ、じゃあ、お先に」
それなら一緒に入る? なんて言ってみたかったが、残念ながらうちの3点ユニットバスでは男二人は手狭だ。しかし恋人と二人でお風呂に入るのはちょっとした男のロマン、ではないだろうか。
彼が学校を卒業したら旅行とかも行ってみたいな。そこでなら一緒に湯船に浸かれそうだ。来年の春までまだもうしばらくある。旅行貯金でもしておこう。
色々な妄想を広げながらたっぷりとお湯に浸かり、疲れをほぐしてから風呂を上がる。そしていそいそと今日のご褒美、冷えたビールを冷蔵庫から取り出した。
「和依! 次、風呂いいぞ」
静かなリビング、テレビも付けていないのかしんとしている。不思議に思い部屋を覗いたら、床に寝転がっている姿があった。
そっと近づいて目を閉じている顔を覗き込むと、すうすうと小さな寝息が聞こえる。待っているあいだに落ちてしまったんだな。やはり日頃の疲れが溜まっていたようだ。
「ちょっとは期待したんだけどな」
二週間会っていないと言うことは二週間、あっちのほうもお預けだ。ずっと触れてもらっていないので、今日はもしかしたら、なんて淡い期待があった。しかしここで彼を起こす気にならず、ベッドのタオルケットを引き寄せて掛けてやる。
「今日は逢瀬ができただけでもよしとしなくちゃな」
起きたらものすごい勢いで謝られそうな気がするが、それも可愛いから許す。でも今日は指先一つ触れてもらっていないから、キスくらいはしてもらおう。
寝顔を見つめながら缶ビールを傾ける。なにげない時間の中にいる、君がなにより愛おしい。
天の川の逢瀬/end
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