第5話 なぜそうなった?

 日差しで焦げるか溶けるか、と思うほどであった、暑さが和らぎ始めた頃。これからは自分と、と言っていた希壱とは月に数回、会うようになっていた。

 大抵が飲みか食事だが、時間があるときは映画に行ったり、買い物をしたり。友人らしい付き合いである。

 少し子供っぽいところがある弥彦とは違い、年を経て随分と落ち着いた希壱は、一緒にいて気疲れをしない。

 弥彦の場合は気疲れというよりも、世話焼きモードであれこれせっつかれたり、小言を言われたりで面倒くささを覚える。

 それでも弥彦に一真は、世話になる機会が多いため、ありがたいと思っていた。
 そこまで考えて「あんまり兄さんと比べないで」と希壱に言われていたのを思い出す。

 どうやら希壱は兄と自分が似ていると、一真に思われたくない節がある。
 先に出会ったのは兄である弥彦なので、つい思い浮かんでしまうのだが、頻繁に比べられるのは、確かにいい気分ではないだろう。

 ちらりと隣を歩いている希壱を見れば、視線に気づいた彼は一真に向け、ニコッと懐こそうに笑った。

 今日は二人とも休日で、昼過ぎから街中をぶらついていた。
 現在は日が暮れ始めたので、夕食をとる場所を探しつつ、のんびりと繁華街を歩いている。

「あのさ、一真さんのジャケットって、有名な日本人デザイナーの新作だよね?」

「ん? ジャケット?」

 先ほどからちらちらと、隣から視線を感じていたのはこれかと、一真は自分が着ているジャケットへ視線を落とした。
 いつ確かめようか、タイミングを計っていたのだろうか。

「希壱は服飾系、詳しいのか?」

「服はわりと好きで、よく雑誌を見てる」

「そういや希壱はシンプルだけど、いつもセンスのいい着こなしをしてるよな」

「そう? ありがとう。一真さんに言われると嬉しい」

 希壱は高身長だから、着る服にも限りがある。だからこそ、さりげないお洒落さを感じる装いが多い。

 近頃は背の高い人向けの衣服は多くあるものの、彼は一真が視線を上げてしまうほど背が高いのだ。

 シャツにニットベスト、デニム。それだけでも野暮ったくならないのは、希壱の趣味がいい証拠。

「このジャケットは昔、仕事の付き合いがあった人からもらった」

「そうなんだ! それはすごいね」

 ぜひ着てほしいと送られてくるので、いままで一真はなにげなく着ていた。しかし希壱の口ぶりでは、非常に高価な物だったのかもしれない。

 着心地のいい、バーガンディー色のジャケットを再び見下ろし、知らぬ間にあちらは出世していたのだなと感心した。

「一真さんって、なんでモデルを辞めちゃったの? 当時、すごく人気があったよね」

「最初から大学卒業までの契約だ」

「途中で気が変わらなかったの?」

「変わらなかったな。どうしてもいまの職に就きたかったし」

「進路のきっかけって、高校時代の先生。西にしおかさん、だよね?」

 ぽつんと呟いた言葉とともに、希壱は足を止めた。振り向いた先にある、なんとも言えない表情から察すると、あずみ辺りに話を聞いたのだろう。

「姉さんの結婚式にも来てたよね。兄さんも姉さんも、その先生が大好きみたいだけど。一真さんの〝好き〟は二人と違うよね? でもその人には恋人がいるのに、職場が同じで辛くない?」

 西岡は一真が高校時代、とても世話になった恩師で、彼のおかげでやりたいことが見つけられた。
 希壱が言うように彼が好きだった、と言うのも本当だ。

 知られて困る過去でもないけれど、なぜわざわざ弟にそんな話を、とは思う。ふっと息を吐き、一真は肩をすくめた。

「好き〝だった〟人、だ。俺は初めから、どうにかなろうなんて思ってなかった。いまも昔も二人は相思相愛だった。俺はそんな様子をからかったり、眺めたりするのが好きだったんだ。そもそもいまの職は、そういった感情抜きでやってみたいと思った。だから辛いとかはない」

 いまでも忘れがたい高校時代にした、二つの失恋。気の置けない友人になり、いつしか惚れた男には、深く想う人がいた。
 一真が生まれて初めて強く求めたのは、一生報われない恋だった。

 だから諦めて手を放したのに、彼の相手が――西岡があまりにもいい人すぎて、うっかりそちらにも惚れてしまったのだ。

 だが結局は最初に惚れた男を、精一杯に護ろう、愛そうとする健気さに惹かれたのだ。二人が別れてしまっては、一真が想いを寄せた人はいなくなる。

 あちらこちら――ふらふらしているように見えても、最初から一真は、彼らを引き裂こうなどと、欠片も考えていなかった。

「一真さん。もしかして、見込みのない恋愛で安心してない?」

「なんの話だ?」

 相変わらず鋭い。希壱の言葉を聞いて、一真は無意識に作り笑いを浮かべていた。瞬間、希壱は痛ましそうな表情をする。

「俺の失恋話なんて、どうでもいいだろ? 希壱はあれからどうなんだよ」

 無理やり話を終わらせて、足を踏み出したら、希壱は黙ってあとをついてきた。

 歩いているうちに、何度か行ったことがあるカフェバーを見つけたので、希壱の了承を得てから入店をする。

「そういや夏樹、だったか? 連絡を取り合ってるのか?」

 壁際のテーブル席で二人、腰を落ち着けると、一真から話を切り出した。

「うん。連絡先を聞いてたから。でも実は彼、元々俺に紹介する予定だった人らしい。約束してた友達にあとから聞いた」

「そうなのか? だったら別に、俺が誰かを紹介しなくても良さそうじゃないか?」

「夏樹くんと付き合うと決まったわけじゃないし。たまに友達も一緒に、三人で飲んだりはするけど、俺はそういう雰囲気にもならないし」

「ふぅん。まあ、相性は大事だしな。希壱はどんなタイプが好きなんだ?」

 まずは腹ごしらえと、メインの料理を頼みながら、肝心の部分を聞いていなかったと気づく。一真が問いかけてみれば、希壱はしばらく小さく唸っていた。

「傍にいて、安心できる人? 寄りかかってもらいたいけど。お互いに支え合える関係を築ける相手だといいかな」

「見た目は?」

「……ちょっと面食い、かも」

「いままで好きになった相手、イケメンばっかりか?」

 照れくさそうに頬を赤くした、希壱の様子にニヤニヤと唇を緩め、一真は頬杖をついて彼を眺める。
 からかうように見つめられた希壱は、まっすぐと向けられる視線に、ますます顔を赤くした。

「気になる人は、格好いい人が多いかなぁ」

「なるほど、夏樹は可愛い系だったな。共通の友人は? 対象外?」

あきひとさん……彼は、友達でいようパターン。すごい趣味が合うし、話も合うし、一緒にいて楽しいんだけど。恋人でいるより友達のほうがいいんじゃないかってことで」

「もしかして希壱、年上好きか?」

「えっ? あー、言われてみれば」

「年上か。まあ、俺の周りは、その点では問題ないな」

 こだわりがあるタイプは、無意識に相手を選びがちだ。
 途中で気づく者もいれば、自分の好みに気づかないものもいる。

(支えたいけど、支えても欲しい。包容力のあるタイプが好みか?)

 自分の周りにそんな人間、いただろうかと、今度は一真が唸った。そういった男は、すでに売約済みな気がするのだ。

「一真さんは、どんな人がタイプ?」

「え? 俺か? んー、一緒にいて苦痛にならないやつなら、特にほかは気にならない」

「あまりこだわりがなさそうで、すごく難しい好みかも。長く時間を過ごしても苦痛にならないタイプって。普段から自然に気が使えて、見た目も清潔感があって、とかいう意味だよね?」

「確かに、そうだな。――これじゃあ、俺も人のこと言えないな」

 ずっと一真は自身にこだわりがないと思っていた、が意外な盲点だった。
 恋愛する気にならないのは、この相手ならと思える人が見つかっていなかった可能性がある。

 しかし遊びならばその場限りでいいけれど、長く一緒にいるならば、簡単そうで難しい一つのこだわりは外せない。

 料理や酒がテーブルに並んだあとも、希壱の理想や恋愛観を聞いていた。
 言語化すると自身の考えや、こだわりが整理されるため、新しい発見もある。

「あっ……」

 ふと考え込む表情を見せた希壱が、なにやら急に口ごもった。

「どうした?」

「えっと、あー、これはすごく下世話な話なんだけど」

 あまり声が響かない店内なのに、声を潜める希壱の態度を一真は訝しげに見つめた。

「下世話?」

「うん。一真さんって、どっち?」

「――ああ、そういう話か」

 言いづらそうにもごもごしながら、ようやく希壱が言葉にしたのは、確かに下世話な話題だが、興味が湧く気持ちもわかる。

「相手によるな。いままでネコの経験はないけど、相手次第だ」

「そっ、そうなんだ!」

(そんなに目を輝かせて聞く話か?)

 そわそわしていたのに、ぱっと表情が華やいだ。わかりやすい変化だけれど、一真には意味がよくわからなかった。

「希壱はこだわりがないんだっけ?」

「一真さんと一緒かな。相手による、けど」

「けど?」

「ううん。なんでもない」

 珍しく言葉を引っ込めた希壱が気になるものの、無理に聞きだすことでもないと、一真はそのまま話を続けた。

「俺よりも希壱のお友達のほうが、よっぽど人脈が広そうだな」

「うーん、そうかもだけど。いまは別の人をとは言えないかなぁ」

「それじゃあ、夏樹と付き合う可能性はゼロじゃないんだ?」

「んー、俺にはもったいないくらい可愛くて、性格も明るくて、一緒にいて楽しいなって思うんだけど」

「歯切れが悪いな」

 続かない言葉を紛らわすためか、サラダをつつき始めた希壱は、黙々とレタスとハムを頬ばる。

「もしかしていま別に、気になる相手がいるのか?」

「……んぐっ」

「希壱?」

 急に咳き込み始めた希壱の様子に驚きながらも、一真は水の入ったグラスを差し出す。すぐさま受け取った希壱はごくごくと水をあおった。

「ありがと、ちょっと野菜を口に含みすぎた、かな」

「希壱ってたまにリスみたいだよな」

「えっ? そのたとえは恥ずかしい」

「そうか? 可愛くていいと思うけど」

 頬を赤くして、手の甲を口元へ当てる希壱に、正直な感想を伝えたらさらに顔が赤くなった。パタパタと手うちわをする希壱の仕草を見て、一真はふっと息を吐くように笑う。

「結構、照れ屋なんだな」

「なんかこう、タイミングが」

「タイミング?」

 話の脈絡がわからず、一真が首を傾げて見せれば、希壱はわざとらしい咳払いをする。結局は「色々」なんて曖昧な言葉ではぐらかされた。

 再び言葉を濁されたのは気になるけれど、まあ、いいか――と、一真はサワーの入ったグラスを口に運ぶ。

「一真さんは、どうして本気の恋愛をしたいと思わないの? こだわりに合うような人が見つからなかった、だけじゃないよね」

「ただ単に面倒くさいだけだ」

「……特別を作ったあとに、失うのが怖いから? 始まる前から、終わりを考えてるんじゃない?」

「なんでそんなに、俺の恋愛事情を知りたがるんだ?」

 一真が他人にあまり触れられたくない部分を、直球で攻めてくる希壱に思わず眉をひそめると――

「一真さんを口説こうかと思って」

「は?」

 思いがけない希壱の返答に、一真はぽかんと口を開く。いま自分がなにを言われたのか、理解するのにひどく時間がかかった。