すぐに帰ると駄々をこねる光喜に急かされてタクシーを呼んで、今度は風に当たりたいという我がままに呆れながら小津へ視線を送る。俺の視線に緊張した面持ちで彼は自分勝手な王子さまに手を伸ばした。
「光喜くん、まっすぐ立って」
「えー、無理」
よたついてもたれかかる光喜の腰を抱きながらガチガチになっている小津の背中をため息交じりに見送ると、ようやく部屋の中に静寂が訪れた。なんだかやたらと疲れた気分になるのは余計な気を回していたせいだろうか。
しかし酔っ払っているとはいえ結構べったりな感じだったし、小津を指名したことといい、光喜のやつちょっとは気づいてるのかもしれないな。
「笠原さん、お風呂入りますか?」
「え?」
リビングで立ち尽くしていたらふいに顔をのぞき込まれた。少し心配そうなその表情に、だいぶぼんやりしていたことに気づく。目を瞬かせて息をつくと、笑みを返して目の前の顔に唇を寄せた。
「冬悟さん先に入っていいよ。疲れただろ? あ、一緒に入る?」
「は、入りません」
「即答かよ。風呂広くなったのに。まあ、いいか、ゆっくり入ってきなよ」
「ありがとうございます」
口を尖らせる俺に小さく笑った冬悟はリビングを出て行く。その後ろ姿を見ながらニヤニヤとしてしまった。いままでもお互いの部屋に入り浸りだったが、風呂はそれぞれの部屋で入っていた。なので湯上がりほやほやの冬悟は初めてだ。
これからこうしてなに気ない違いを噛みしめていくんだろうなと、想像するだけで顔が緩んで仕方ない。
「今日から二人暮らしかぁ」
浮ついた気持ちを誤魔化すようにソファにダイブする。大きなこのソファも二人で選んで決めた。テーブルも、戸棚もカーテンも、ここにある全部二人で選んだ。それだけのことがたまらなく胸を熱くする。
「やばい、すげぇいまテンション上がってる」
しかしバタバタと足を動かしながら、もだえるように寝返りを打ったらソファから落ちた。強か腰を打ったが、気分がいいので笑いしか込み上がってこない。自分でも馬鹿みたいだと思うが、初めての経験なんだからいいだろうなんて開き直ってしまう。
「ん? あ、電話か」
床に転がりながらにやけていたら、急に尻の辺りからブルブルと振動が響いた。手探りで携帯電話を抜き取り着信を確認すると母親からだった。
「もしもし?」
「マサトシ、引っ越しは終わったの?」
「うん、終わった」
「鶴橋さんにご迷惑はかけてない?」
「かけてないよ」
親には同じアパートに住んでいたことと、職場見学でお世話になった人だと話してある。一回りも離れている相手といきなり一緒に暮らすと知ってすごく訝しげな顔をしていたが、わざわざ挨拶に来てくれた冬悟の人柄を見てちょっと安心はしたみたいだ。
しかし父親は楽観的で細かいことを気にしないけれど、母親のほうはちょっと勘ぐっている節がある。しかしそれも当然か。一番近くにいた人だから、彼女の一人も連れてこない俺を気にしていただろう。
「今度ご挨拶に行くから」
「ああ、うん、言っておくよ」
母親くらいには正直に話しておくべきかな。だけど俺一人っ子だし、孫の顔を見られないってわかったらやっぱり嘆くかな。でもこればっかりはどうしようもないことだ。
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