揺れる想い
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 最近、少しなにかおかしい――やけに気持ちがそわそわしているというか、落ち着かない感じがしてあまり物事が手につかないことが増えた。でもその理由が見つからなくて、余計にモヤモヤとした気分になる。

「一ノ瀬……おい、一ノ瀬?」

「え? あ、ごめん。ぼーっとしてた」

 友人の呼び声に我に返ると、いつの間にやら授業を終わっていたようだ。半分くらい記憶がないけれど、手元のノートを見れば、それでもしっかりと授業内容は書き込まれていた。目を瞬かせながらそれを見つめ、僕はため息をついた。
 最近はこんなことばかりだ。

「もう昼だけど、どうする?」

「あ、うん。今日は弁当作る時間なかったから、僕は学食に行く」

「そっか」

 いつもなら朝に弁当を作ってくるのだけれど、今日は寝坊して作りそこねてしまった。机の上に弁当やパンを広げている友人たちに視線を向ければ、ひらひらと手を振られた。それに僕は笑みを返して、鞄から財布を取り教室をあとにする。

 あまり干渉してこない、各々自由な感じの友人たちは付き合いやすい。学校の裏庭で一人食事していてもなにも言わないし、こうして別行動で学食に行っても、特になにも言わない。
 かといって無関心ではないので、必ず声をかけてくれるし、一緒にまた普通に食事をすることもある。

「うーん、なににしようかな」

 人の入り混じる学食の入り口付近で、僕はメニューを見ながら一人唸った。基本的に学食はボリュームがあって、気を付けて選ばないと食べきれない恐れがある。

「やっぱ、無難に麺類かな」

 今日の日替わり定食なども惹かれるけれど、なにせ量が多い。揚げ物が山盛りでこられても一口ずつ食べて、どうせあとは食べられない。仕方なく野菜たっぷりの塩ラーメンと半チャーハンにした。

「あっれ、広志先輩じゃん」

「え?」

 空いている席を探しながら視線を動かしていると、急に背後から聞き慣れない声で名前を呼ばれた。ここで誰かに声をかけられるだなんて思いもよらなかったので、驚きで肩が跳ねる。
 恐る恐る声のしたほうへ顔を向けるが、そこにいた人物にやはり心当たりはなかった。

 先輩と呼ばれたところを見ると一年生か。だけど一年生という割に彼は背が高くて、少し見上げてしまった。にんまりと口角を上げて笑い、人懐こそうな目が細められる。
 少し長めの茶髪と着崩された制服がいまどきな感じで、顔立ちもとても整っている。女の子にモテそうな子だなぁと、つい羨望の眼差しで見つめてしまった。

「先輩、小食っすね」

「え? あの」

 いきなり手元を覗き込まれて、うろたえてしまう。しかし彼が手にしているトレイを見れば、山盛りご飯に山盛りの唐揚げ。副菜も二、三個あり、見ているだけで胸焼けしそうだった。僕が小食なのではない、きっと彼が大食いなのだ。

「おかず一個あげようか」

「いや、いらない」

 っていうか、誰?

 僕の戸惑いには気づいていないのか、彼はぐいぐい攻めてくる。親しげに話しかけられ、仕方なく曖昧な相槌を打っていると、気づけばいつの間にかやけに広々としたテーブルまで来ていた。しかし混みあっている学食内で、こんなに空いているテーブルがあるなんて怪しい。
 ふといままで僕に話しかけていた彼に視線を向けると、彼はそのテーブルにトレイを置き、満面の笑みを浮かべて誰かに話しかけた。

「お前の広志先輩、拾っちゃった」

「は?」

 いつ誰を拾ったって? っていうかいまなんて言った?

 改めて広いテーブルを見つめ、その席に座る背中に気づいた僕は、思わずびくりと肩を跳ね上げてしまった。見覚えのある背中と綺麗な金色の髪――ゆっくりとこちらを振り返ったその人に、思わず逃げ出しそうになったら、横から腕を取られた。
 その手はいつの間にか横に立っていた茶髪の彼のものだった。しっかりと掴まれた腕はそう簡単に離れそうにない。

「え? あ、の」

 怯えた顔をした僕に、彼は掴んでいた手を解くと、そっと僕の背中を押した。

「広志先輩、怜治のお隣どうぞ」

 人懐こい笑みを浮かべる彼は、僕のトレイをテーブルに置いて、恭しく椅子を引いた。

「えっと、お友達?」

「怜治の大親友! 篠崎悠太でぇす。広志先輩よろしくね」

 僕の素朴な疑問に、眩しいくらいの笑顔で答えてくれる茶髪の――悠太くん。しかしそれと反比例する、冷静でちょっと冷ややかさも感じるような視線は、じっとこちらを見ているが、なにも言わず僕の様子を観察しているようだった。

「れ、怜治くんって普段は学食なんだね」

 まっすぐな視線に僕はおどおどしながら、振り返った視線の主――怜治くんにぎこちない笑みを浮かべた。相変わらず僕は彼の視線には弱い。怒っているわけではないとわかっているのに、その視線が怖いのはなぜだろう。

 あまりにもまっすぐすぎて、やましいことなどないはずなのに、心の内を見透かされるような、そんな気分になるからだろうか。なんというか、あれだ。
 動物にじっと見つめられているような気分――しかもそれは間違いなく身近な感じじゃなくて、猛獣系だ。

「そういえば、久しぶりだよね」

 恐る恐る怜治くんの隣に座ると、悠太くんはさっさと向かい側の席へ行ってしまった。そして僕らのことなど気にも止めぬ様子で食事を始めた。そこに残された僕は、いまだじっとこちらを見ている怜治くんの視線にへらりと笑うしかできなかった。

 なにを話しかけたらいいのだろう。いつもどうしていたっけ?

 いや、いつも会話らしい会話なんてしていない。二人無言で歩いているのがほとんどだ。いざ面と向かうと余計に言葉が見当たらない。それに彼に会うのも話しかけるのも本当に久しぶりだった。
 最近は少し距離を置かれていたような気がする。急に帰りも迎えに来なくなったし、学校ですれ違っても声すらかけられなくなった。

 早く好きになれ――って言っていたのに、もう興味なくなっちゃったのかな?

「……」

 いや、付きまとわれるのが嫌だと、放っておいて欲しいと、そう望んでいたのは僕じゃないか。それなのにそんな疑問はおかしい。

「広志先輩、麺が伸びるよ」

「え? あ、うん」

 お互い無言で見つめあったまま、どのくらい過ぎたかわからないが、急に悠太くんに声をかけられて我に返った。テーブルに置かれたトレイの上で、塩ラーメンは半分くらい伸びていた。ふっとそらされた視線に気づき、僕は黙ってそのラーメンをすすった。
 なんだかすごく味気ない。それにまた気持ちがそわそわ落ち着かなくなってきた。なんでだろう、こんな気持ちになる理由が見つからない。

「ラーメン、しょっぱい」

 味気なかったものが急に塩辛く感じた。なぜだか視界もぼやけて見える。なんだろうこれは、なんだかさっきからおかしいことばかりだ。

「……広志、あんた」

「怜治、くん?」

 久しぶりに呼ばれた名前に顔を上げると、ふいに伸びてきた手が僕の頬に触れた。その感触に振り返れば、こちらを見つめる視線とぶつかる。そして目尻を優しく撫でられたら、突然ぼろぼろと涙が僕の頬を伝いこぼれ落ちた。

「なんで」

 いまこの状況で涙がこぼれるんだろう。
 わからないけれど、次から次へと涙がこぼれ落ちてきて止まらない。小さくしゃくりあげると、急に大きな音が響いた。その音がなんなのか気づく前に、僕の腕は力強く掴まれていた。引きずる勢いで腕を引かれて、僕は一瞬パニックになる。

「怜治くん、待って、痛いよ」

 倒れた椅子を跨ぎ越し、さっさと歩みを進めてしまう怜治くんに腕を掴まれて、僕は慌ててそのあとを追いかけるように足を速めた。そうでもしなければ本当に引きずられそうだ。
 黙々と歩く怜治くんは学食を抜け、廊下を抜け、肌寒い外へと足を向けた。

「なにか、怒ってるの?」

 裏庭にあるベンチまで来て、やっと怜治くんの勢いは止まった。でも掴まれた腕はそのままで、そっと顔を覗き見るように首を傾けると、黙したままの視線はゆっくりとこちらを向いた。

「えっと」

 覗き見たのは自分なのに、急に視線が合って、どうしたらいいのかわからなくなる。でもあたふたとして落ち着きなく視線をさまよわせる僕を、怜治くんはなにも言わずに抱きしめた。

「ごめん、急に泣いたりして、迷惑だったよね」

 いきなり隣で泣きだされてはゆっくり食事もできやしないと、いまさらながらに反省してしまう。けれどそんな僕の言葉に、怜治くんは抱きしめる腕に力を込めた。耳元からほんの少しだけ早い心音が聞こえてくる。これは怜治くんの音か。

「もう泣いてないよ」

「寂しかったのか」

「え?」

 ぽつりと呟かれた言葉に顔を上げれば、ふっと身体を抱きしめていた腕が緩み、その隙間を埋めるように近づいた怜治くんの唇が僕の唇に触れる。
 そんなそっと触れ合う程度の優しいキスに、僕の胸は急にドキドキと鼓動を早めた。それは前にも感じたことがある感覚だった。

 そういえば僕は以前この鼓動を感じて、なぜかやたらと恥ずかしい気持ちになった。そしてその時、その気持ちを誤魔化すように、怜治くんの前から逃げ出してしまったのだ。あれから――怜治くんは僕のところへ迎えに来なくなった。

「悠太に少し引いてみろって言われたから、そうしただけなのに、まさか泣くとは思わなかった」

「えっ、違……」

 にやりと笑った怜治くんに慌てて首を振るが、その笑みは深くなるばかりだった。否定したいのに、肯定するみたいに顔が熱くなってくる。自分の反応にうろたえて、僕は大きく首を振った。
 寂しかったとか、そんなはずない。

「俺のこと好きか」

 頭の中で情報整理しているあいだにも、再び怜治くんに抱きしめられてしまった。そして耳元で囁かれる言葉に、無意識に僕の肩は跳ね上がる。

「え? ……好、き?」

 嫌いじゃないよと、言葉にしかけてなにか違うと思った。でもなにが違うのかわからなくて、だから言葉に出して自分に問いかけてみた。でもはっきりとした答えはわからなくて、僕はじっと怜治くんの目を見つめ返してしまう。

「どうなんだよ」

「えっと、わから、ない」

「あ?」

 正直に答えたら思いきり睨まれてしまった。それは蛇に睨まれた蛙、いや虎に睨まれたハムスターくらいの威力だろうか。今にも大きな手でぺしゃんこに潰されてしまいそうだ。僕はその目に飛び上がり、とりあえず思いつくまま言葉を並べてみる。

「あの、怜治くんが来なくなって、ほっとしたつもりでいたんだ。でも時間が経つと、愛想つかされた気分になって、落ち着かなくて、なんかなにも手につかなくて」

 いや、待て――これじゃあ、まるで寂しかったと言っているようなものだ。

「それって好きってことじゃねぇの」

「……そう、なのかな?」

 執着されていたのに、急に手放されて物足りなくなっているだけじゃないんだろうか。

「頭で考えてもわかんねぇなら、付き合ってから考えろよ」

「付き合ってから?」

「愛想をつかされんのが嫌で寂しいって思うなら、どうせ好きになる。いや好きだろ」

「えっ」

 考察すっ飛ばして結論まで飛んだ怜治くんに唖然としていると、ふいに身体が宙に浮いたような感覚に襲われた。そして気づいた時には、背中がかすかに痛み、なぜか空が視界に広がっていた。
 状況を理解すべく前後左右を見渡せば、そこは固い木製のベンチの上で、僕はそこに横たえられていた。

「怜治くんっ?」

 驚いて声を上げるが、それは聞き届けられなくて、怜治くんは僕に覆いかぶさってくる。慌てて両手を突き出し近づく身体を阻止しようと試みるものの、その手は易々と捕まえられてしまった。
 身の危険を感じてジタバタともがく僕を見下ろす怜治くんの顔は、ちょっと色っぽくて男前だけど、それが逆に怖い。

「待って、やだ、やだっ」

「うるさいぞ、広志」

 制服のボタンに手をかけられて、さっと血の気が引いた。

「怜治くん、やだよ、こんなとこじゃ、やだってば」

 そして僕はいま、なにか失言をした。
 瞬きを忘れ、しばらく固まった怜治くんは、急に片頬を持ち上げ不敵な笑みを浮かべた。その笑みに嫌な汗がにじむ。

「ここじゃなければ、いいのか」

「い、いまのは言葉のアヤっていうか、間違いっていうか」

 大急ぎで訂正するものの、もはやその言葉は聞こえていないようだ。またあの時のような満面の笑みを浮かべられてしまった。それは至極嬉しそうな、ちょっと歳相応で可愛い笑みなのだが、いまはやっぱり怜治くんの笑顔が怖い。

「じゃあ、今度は俺のうちでな」

 にんまりとした笑みを浮かべてそう言った怜治くんに、思わず心の中で叫び声を上げてしまう。全部、俺の宣言よりも具体的になってきている現実に、頭がくらりとした。

[揺れる想い/end]

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