君が教えてくれたもの02
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 歩いていると母屋と離れを繋ぐ渡り廊下に差し掛かった。そこからは庭が見える。表で見た庭とは違うからこれは内庭というやつだろう。
 庭に植えられた木が秋色の葉をつけていて、すごく綺麗だ。そして玉砂利が敷かれた地面には優美な波模様が描かれている。こんな庭はテレビとか、世界遺産とかのお寺でしか見たことがない。確か枯山水とか言うやつではないだろうか。

 こんな庭がある家なんて、なんだかすごいな。どこもかしこも手入れも行き届いているし、家柄というものを感じる。家に居ながらにして紅葉を楽しめるなんて、羨ましい限りだ。

「にゃーん」

 辺りをキョロキョロと見ているうちに、怜治くんは廊下の突き当たりで立ち止まっていた。こちらを振り返った彼の足元では、先に着いていたオオクラさんも待っている。
 どうやらそこが怜治くんの部屋のようだ。僕が気がついたのを確認すると、怜治くんは部屋のふすまを引いた。

「お邪魔しまーす。……わっ、すごい」

 初めて足を踏み入れた怜治くんの部屋には、天井まである本棚が壁の片側一面に備え付けられていた。隙間なくびっしりと本が収められているその圧倒的な物量に、僕は思わずぽかんと口を開いてしまった。

「広志、こっちに来て座れ」

「あ、うん」

 はたと怜治くんの声で我に返れば、部屋の真ん中にある四角いこたつに、オオクラさんが潜り込んでいくところだった。

「いいね、こんなに本がたくさんあるなんて、ちょっと羨ましいな。僕の部屋は弟と一緒だから、あんまりものを増やせないんだ」

 本にも驚いたが、改めて部屋の中を見渡すと広さにも驚いた。大きなテレビにオーディオラック、それに加えてベッドとこたつがあっても狭さを感じさせない空間。奥まっているから外の雑音も届かないし、理想的な一人部屋だ。
 怜治くんに習いこたつに足を入れると、その居心地の良さについ気の抜けた息をついてしまった。

「オオクラさんがこたつから出て来ない気持ちがわかる気がするな。こたつ生活最高だよね」

 もし自分の部屋にこたつがあったら、きっとそこから一歩も動かない生活をしそうだ。好きなものを周りに並べて好きなだけゴロゴロする。でも怜治くんの部屋はすごく綺麗だ。
 床にものがまったく置かれていないし、部屋の中にあるものは規則正しく並んでいる。僕が来るから片付けた、と言うこともあるかもしれないが、多分几帳面なんだろう。

「なんか学校以外の怜治くんを見るのは新鮮だね」

「珍しいことなんてなにもねぇだろ」

「うん、でもなんか新しいこと増えると楽しいよ」

 制服姿じゃない怜治くん。学校じゃない場所で、こうしてこたつに入って向かい合うなんてこと、想像したことなかった。
 いつの間にか傍にいるのが当たり前のようになって、不思議と安心感まで覚えるようになっている。その変化が嫌じゃないって思ってしまうからちょっと困るな。

「ほら広志、これ。返すのはいつでもいい」

「あ、うん。ありがとう」

 でも僕の怜治くんへの気持ちは相変わらず友愛、くらいの親しみなんだ。ドキドキもするけれど、それはキスされたり触れられたり、いつもと違う慣れないシチュエーションだから起こる反応なんだと思う。
 この先も平行線になったら、怜治くんが僕のことを諦めるんだろうか。それとも僕のほうから離れていくのだろうか。こんなに近くにいるのにどうして未来が見えて来ないんだろう。

「怜治、入るよー」

 思考が暗く落ち込みそうになったけれど、戸の向こうから聞こえた詩信さんの声で我に返る。俯きがちになっていた顔を上げて、僕はその声を振り返った。

「ケーキだから紅茶でいいよね?」

 返事を待つことなく詩信さんは部屋の中に入ってきた。それに対する怜治くんはいたっていつもと変わらないので、この対応は日常なのかもしれない。本人は居候なんて笑って言っていたが、怜治くんにとっては信頼の置ける人なのだろう。

「広志くん、アールグレイは嫌いじゃないよね?」

「は、はい。でもケーキってよくわかりましたね」

 詩信さんが持っていたトレイにはお皿とフォーク、ティーカップとカバーの掛けられたティーポットが載っていた。僕は慌ててケーキの箱を開いて、差し出されたお皿に僕と怜治くんのケーキを移す。

「うん、駅前のローヤルの袋だからすぐに気づいちゃった。怜治も上総さんもそこのケーキ大好きなんだよね」

「上総さん?」

「あ、怜治のお祖父さんね」

 紅茶をカップに注ぎながら、詩信さんは首を傾げた僕に笑いかけた。どうやら話を聞く限りだと、怜治くんの家族は詩信さんとお祖父さんの上総さんのようだ。
 ご両親はどうしたのだろうと余計な考えも浮かんだけれど、彼らが触れないことにわざわざ触れる必要はないと思い直した。

「お祖父さんと詩信さんの分もあります」

「え? 俺の分まで買ってくれたの?」

「はい、怜治くんにお家のご家族にお土産を買いたいって言ったら、教えてくれました」

 箱に残ったケーキを差し出すと、詩信さんは心底驚いたように目を瞬かせた。

「家族の数に入れてもらえてるなんて思わなかったな。安納芋のタルト、覚えててくれたんだ」

 箱を覗いて顔をほころばせた詩信さんは少し照れたように笑う。大事そうに箱を抱えたその仕草は本当に嬉しそうで、見ているほうまでなんだかほっとした気持ちになる。

「あんたは祖父さんの後添いだ。家のこと全部任されてるのも、それなりの立場あってのことだろ。いまさら他人になんかなれねぇよ」

「えー、そうなの? 怜治がそんなこと考えてたなんて知らなかったなぁ。八年も一緒にいるのに初耳だよ」

 ぶっきらぼうな怜治くんの言葉に、詩信さんはおどけたように笑ったけれど、白い頬がほんのり赤く染まっているのがわかる。怜治くんの優しさは普段あまり表に現れないから、まっすぐに向けられると照れくさくなるのかもしれない。
 しかし僕はそんな感動的な場面にもかかわらず、思わず首をひねってしまった。どうにも怜治くんの言葉が素直に飲み込めなかったのだ。

「あの、つかぬ事をお伺いしますが、後添いって二度目の奥さんって意味合いだった気がするんだけど」

「……」

 話の腰を折ってしまうのは重々承知していたが、聞かずにはいられなかった。恐る恐る問いかけたら、怜治くんは僕の顔を黙ってじっと見つめる。訪れた沈黙にたまらず詩信さんを見れば、困ったような笑みを返された。

「あ、ごめんなさい。余計なこと聞きました」

 これは突っ込んで聞いてはいけないことだったのかもしれないと、僕は誤魔化すように両手を振って話を紛らわす。けれど黙っていた怜治くんは詩信さんに視線を向け息をついた。

「詩信は祖父さんの愛人ってやつだ」

「へぇ、そうなんだ、愛人。……って、あ、愛人? え? 愛人ってなに?」

「あのさぁ、怜治。そういうことさらっと言うもんじゃないよ。友達にそんなこと言ったらドン引きでしょう」

 聞き慣れない単語に慌てふためく僕とは対照的に、目の前の二人は至極冷静だった。驚くことのほうが間違っているのかと思ってしまうくらい、言葉に後ろめたさを感じさせない。

「あんたはそれを恥じてんのか? そうじゃないなら誤魔化す必要ねぇだろ」

「……恥なんて思ってないよ。あの人が大事な人なのは確かだもの」

「だったら他人の反応なんか気にするんじゃねぇよ」

 それは僕の中にある常識では簡単に受け入れられることではないが、決して間違っていることではないと言うのもわかる。まっすぐな怜治くんの言葉は、怜治くんの偽らない行動に表れているんだと気がついた。

 暗に男の人が好きなの? って聞いた時、それは違うと怜治くんは答えた。だけど僕を好きになった気持ちはひと欠片も誤魔化さなかった。
 自分の気持ちに正直で、それが気の迷いであるとさえも思わない。それは誰かを好きになる気持ちに優劣はないと知っていたからだ。

「それに広志は友達なんかじゃねぇよ」

「……そっか、悠太くん以外の友達なんて珍しいと思ったけど、そういうわけね。でもまだ怜治の片想いでしょ」

「広志は自分の気持ちを誤魔化してるだけだ」

「ふぅん、でも仕方ないね。広志くんの気持ちは広志くんのものだし。それに火を灯すのも灯さないのも本人次第だよ」

 諭すような詩信さんの言葉に怜治くんは不満そうに顔をしかめる。けれど言葉で言い返すことはせず黙って唇を噛んだ。
 僕はなにを言ったらいいかわからなくて、目を伏せてしまった。友達ですというのも違うし、それ以外の関係であるというのも違う。僕たちのカタチは不確かで、おぼろげだ。

「広志くん真面目そうだし、すごく考えちゃってるんじゃない? いまどき同性同士の恋愛も珍しくはなくなってきたけど。それって自分とは関係ない場所で起きてるからだよね。それが自分の立場になった時、簡単に枠は飛び越えられないと思うよ。怜治はこんな環境で育っちゃったから迷いがないだけだ」

 詩信さんの言葉が思いきり心臓の辺りに突き刺さった気がする。そうだ、僕の迷いの中にはいまもなお、男同士でこんなのはおかしいという偏見がある。そしてそれが一番受け入れがたいことなのかもしれない。
 詩信さんが上総さんを好きだと聞いてもそれがおかしいとか、気持ちが悪いとかそんな嫌悪感は湧いてこないけれど、僕自身に降りかかった時に、僕の中にある普通がそれは違うと否定するのだ。

 将来は慎ましい生活をして、僕を好いてくれる女の子と結婚して、子供をもうけてそれなりに幸せに暮らすというのが僕の普通。だから両親や弟に公言できないような相手とは付き合うことはできない。そう思っているんだ。

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