ハートの証拠01
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 人には身に染みついた性格というものがある。根本的に根付いた性質、そこは多分どうやっても変えられない。それによって人間って言うものが形成されているんじゃないかと思うことがある。
 例えば僕、神経質で意固地。いい加減なことと曲がったことが大嫌い。

「神林くん、これ数字間違ってます。これで何回目ですか? もう少し丁寧に仕事してください」

「はあ、すんません」

「また、うるさいなぁとか思ってるんでしょう? 思っていただいて結構ですけど、仕事はちゃんとしてくださいね。パソコンに向かって遊ぶ暇があったら仕事の半分は片づけて欲しいです」

 仕事仲間の机に書類を叩きつけて、聞く気のなさそうなぼんやりとした返事にため息をつく。さらに眼鏡を押し上げて小言を言うまでが毎日の日課だ。そして部署内が微妙な空気になるまでがワンセット。
 とは言え、僕だって無駄に文句を連ねているわけではない。至極真っ当なことを言っているだけだ。周りに言わせるともっとオブラートに包んでと言われるが、そんなまどろっこしいことを言って伝わらなかったら意味がない。
 こうやってまっすぐに言ったって伝わってるのかどうかも怪しい。

「あ、雪島さん。もうお昼ですよ」

「ああ、うん。神林くん昼一番にそれ取りかかってくださいね。それじゃあ」

 早く行ってくれと言う視線を感じてまたため息をつく。いまの仕事は僕の性に合っているが、この職場環境は僕に合っていないと感じる。しかし勤めて五年目、仕事はやり甲斐があるし、主任に昇進してちょっとだけ月給も上がった。
 こんな環境のためだけに放り出すのはなんとなく違う気もしている。

「お昼に行ってきます」

 もう少し僕が歩み寄るべきなのか? だけどそうすることによってなれ合いになるのは果たしていいことなのだろうか。なんて、考えているから頭が固いとか、融通が利かないとか言われるのか。
 もういまは考えるのはやめよう。せっかくお昼だし、少し癒やされに行こう。

「いらっしゃいませ」

 会社から徒歩で十分とかからないところにあるカフェ。ランチもやっているそこでいつもお昼を食べる。少し裏手にあるので、毎日賑わっているが混雑はしていない。今日も八席の内、二席ほど空いていた。
 馴染みの女性店員に目配せして奥の席に腰かけると、すぐに水とメニューが目の前に置かれる。

「お疲れ様です」

「うん、ありがとう」

 テーブルの横に立つのはすらりと背の高い青年。いまどきの子には珍しい真っ黒い髪で、ツーブロックの髪は全体に短めでさっぱりとしている。背幅があって男らしい彼は、見た目のおしゃれさだけじゃない顔の良さがあった。
 ほんの少しキツい目だけれど、やんわり笑うと色気が滲む。

「今日のおすすめは?」

「チキングリルの香草焼きかポークソテーです」

「じゃあ、ポークソテーのほうで」

「了解、食後にコーヒーでいいですか?」

「うん」

 彼はメニューを手に取るとカウンターのほうへと向かっていく。そして優しい低音がオーダーを通した。この店は店長である男性が厨房を務め、ホールにアルバイトが二人入っている。顔ぶれは週に何度か変わるが、青年は定休日以外ほぼ毎日いた。
 いまいる女の子のほうもよく見る顔で、多分週四くらいは入っている。二人は仲がいいのかよく手が空くと客には聞こえない程度のお喋りをしていた。けれど今日はいつもより静かなのと、彼女の声が大きかったので会話が聞こえてくる。

「三神くん、この前の休みに一緒に行った店あるでしょ? 昨日テレビで放送されてたよ。いいタイミングだったね。テレビのあとじゃ混んでは入れなかったよ」

「へぇ、そうなのか。小夏と一緒に行けてよかった」

 それはなに気ない会話だ。別段変わったところもない。よくある男女の世間話。けれど僕には聞き逃せない会話だった。しかしここで声を上げることもできずに、なにも聞かなかったふりをしてグラスに入った水を飲み干した。
 彼に癒やされに来たのに一気に気分が沈み込んだ気がする。

 そこから食事をして、午後の仕事に戻って、いつも以上に当たりのきつい物言いに辟易されながら終業時間を迎える。仕事は完璧に終わらせたけれど、悶々としている僕はすっきりしなくて明日の分の仕事まで終わらせた。
 そしてデスク周りを綺麗さっぱり片づけると、はんこ押しに勤しんでいる部長の元へ足を向ける。

「部長、明日休みをください」

「え? 明日?」

「明日の分の仕事は終わらせました」

「ああ、そう。まあ、雪島くん休み滅多に取らないしね、いいよ。今日はもう上がりだよね? お疲れ様」

 唐突な申し出に最初は目を丸くしていたが、僕の言葉に部長はへらりと笑って手を振った。その締まりのない顔に一礼すると、僕は用は済んだとばかりに鞄を手に仕事場を退出する。
 足早に会社を抜けて、駅まで黙々と歩き、ぎゅうぎゅうの電車で押しつぶされながら、僕はまた昼間のことを思い出してモヤモヤとしていた。考えるだけで胸の辺りがぎゅっとするし、胃までキリキリとしてくる。

「明日どこに行こう」

 嫌なことがあった時は甘いものを食べ漁るか、逃避行するのが一番だ。寒い日も続いているし温泉にでも行こうかな。家に帰って荷物をまとめて電車に飛び乗れば、明日の朝にはどこかに着きそうだ。
 傷心旅行だし、もう現実を離れられるならどこでもいいや。――なんて考えて深い息をついていたら、背後でごそごそと動く気配を感じる。この狭い中で余計な動きをするなと言いたいが、こちらも身動きが取れない。

 しばらくしてようやく動きを止めたかと思えば、真後ろに立たれたような気がする。背中にぴったりと張り付いてくるような感じに、思わず身じろぎしようと身体に力が入った。けれどふいに尻を鷲掴まれて息を飲んでしまう。
 真後ろに立っていることを考えれば、明らかに狙いをつけて自分に触ってきているのだろう。逃げられない状況に乗じて触る手に遠慮がなくなってくる。

「大人しそうな顔してるのに、やらしい身体付きしてるね」

 ぼそりと耳に吹き込まれた中年らしき男の声に鳥肌が全身に立つ。毛が逆立つような感覚に身体が震えてしまう。それを羞恥で震えていると捉えたのか、背後の男は股間をグリグリと押しつけてきた。
 握りしめている僕の手がブルブルと震える。車内にアナウンスが流れ、人が流れに乗って動き始めると、僕は人の尻を掴んで腰を揺らしている男の手首をむんずと掴んだ。そしてそれを勢いよく引っ張って、開いたドアの向こうに放り投げる。

「くそじじい! 人のケツ触ってハアハア言ってんじゃねぇよ! 気色悪いんだよっ」

 予想外の僕の動きにされるがままに放り出されたのは、ハゲ上がった中年太りで冴えない男。ホームに尻餅をついて目を見開いている。けれど明らかにあそこをおっ立てていて、驚いていた周りの目は冷たいものに変わった。
 騒ぎは広がって電車は一時停止になり、誰かが呼んだ駅員が駆けつけて男は連行される。しかし事情聴取だと僕まで電車を降りる羽目になった。

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