ハートの証拠03
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 早口でまくし立てる新吾に、思わず目を瞬かせてしまった。目の前に差し出された携帯電話の画面には確かに来月の日付で予約を承りましたとの文字。
 そこまで一年にこだわりがあったなんて思いもしなかったから、予想外すぎる。じっと目の前の顔を見つめたらわかりやすいくらいに真っ赤になった。

「そんなに僕と付き合えているのが嬉しいの?」

「……俺、これまでもずっとそう言ってきたつもりだったけど」

「新吾みたいなモテそうな子はいくらでも甘い言葉が吐けるんだろうなって思ってた」

「は? ちょっと待って! 俺って香矢さんの中でどんだけ軽薄な男なのっ?」

「ああ、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど。僕みたいな取り柄のない男と付き合ってて本当に楽しいのかなって。会社でも真面目なところしかいいところなくて、神経質だとか、冗談も通じなくて面白みもないとかって言われるし」

 新吾は見るからに顔立ちも整っていてスタイルもよくて、性格も案外チャラついたところがない。僕みたいに顔も身長もスタイルも平均的な男とは違う人種に思える。けれどそれを言うと新吾は呆れたようにため息を吐き出した。

「ほんとさ、香矢さん一回眼鏡を作り直してこいよ」

「なんで? 見えにくいとこないよ」

「いやいや、あのさ。自覚ないみたいだから言うけど、香矢さんを平均なんて言ったら全国の平均さんに謝れって感じだから」

「え? なにそれ」

「ド近眼過ぎてよく見えてないだろ。眼鏡かけている時に自分の姿ちゃんと見てる?」

 肩をすくめた新吾は僕の腕を引いて寝室の中へと足を踏み入れる。そして室内灯を灯すと、クローゼットを開いて扉の裏についている姿見の前に僕を立たせた。
 そこには地味なスーツを着て、野暮ったい眼鏡をかけた僕が映っている。少し地毛の明るいくせ毛とやけに目立つ鼻が僕はあまり好きではない。

「香矢さんは神経質なんじゃなくて几帳面。面白みとかありすぎでしょ、天然っぽいし。ほら、よく見て。近視が強いからレンズのせいで目が小さく見えがちだけど、目はぱっちりしてるし鼻も高い。身長は少し猫背だから小さく見えるけど、まっすぐ立てば綺麗だ。手足も長いし、スタイルはかなりいいよ。俺はいつもそそられてる」

「……痴漢にもそんなこと言われた」

「はっ? 痴漢ぶっ殺す。って言うか、俺と痴漢を一緒くたにするなよ」

「ははっ、ごめん」

 鏡の中の顔が本当に不愉快そうに歪むから、それが可愛くて思わず笑ってしまった。けれどそれが不服なのかますます顔がしかめられる。しかしニヤニヤ笑っていたら両腕が腰に回り、頬に顔を寄せられた。

「このえっちな身体を早く食べたいって思ってんのに、ほかの野郎に触られたのかと思うとはらわたが煮えくりかえる」

「することしか考えてないの?」

「そんなことあるわけないだろ。ただ、早く香矢さんを俺のものにしたいなって思うだけ」

「ふぅん」

「あのさ、もしかしてまだ信じてない?」

 曖昧な相づちを打つ僕に新吾は慌てたように顔をのぞき込んできた。間近に迫った顔が整っているなぁと思いながら、納得がいっていない自分にも気づく。
 まあ、内緒にしたかったって言うのもわかる。相手があの子であるほうが好都合だったって言うのもわかる。けれど僕と違って元々新吾は女の子としか付き合ったことがなかったのだ。不安にならないほうがおかしい。

「ちょっと来て!」

「なに?」

 俯きがちになるとまた腕を引かれる。今度はリビングに連れて行かれた。あっちこっちへと連れ回されて慌ただしいことこの上ない。けれど真剣な顔をして新吾は自分の鞄を漁っている。

「どうしたの?」

「香矢さん、左手」

「左手?」

 問いかけに返事が来ぬままおもむろに左手を掴まれて、薬指にひんやりとしたものを宛がわれた。驚いてそれを見つめればプラチナのリングがはめられている。

「香矢さんのせいで全部先出しになった」

「え? なに、こんな高いリング」

「俺の給料、約一年分」

 デザインリングはシンプルだが、見覚えのあるブランド名がさりげなく刻まれている。フリーターである新吾にはかなり敷居の高いものだ。これがペアならば、本当に一年分近くにはなるだろう。

「俺の気持ち込めました。これからも一緒にいる証しだから」

「いや、ちょっと、ローン組んだの?」

「バイトの俺がローン組めるわけないだろ。キャッシュで買いましたよ。ってかそういう現実的な部分はいいんだよ!」

「え? あ、ああ、うん。ありがとう。ちょっと複雑だけど嬉しいよ」

「俺みたいなのにこんな指輪買わせて複雑? だけどいまにもっと頼れる男になるから」

 失礼な僕の言葉に笑いながら、新吾は自分の指にも同じものをはめて左手をぎゅっと強く握ってきた。自分の手より一回り大きなその手は、年の差とか立場とか忘れさせてくれそうな力強さがある。
 初めて出会った時から不思議な引力がある子だと思っていた。磁石がくっつくように惹き寄せられて、ぴったりと気持ちがくっついてしまう。一年なんか続くわけないって思いながら、そこにいるのが当たり前に思えた。

 だから他人に引き離されるのは嫌だなって思った。僕が太刀打ちできない女の子なんかに彼を取られたら、すごく嫌だなって思ったんだ。

「香矢さん、俺は浮気もよそ見もしない。ずっと一緒にいる覚悟をしてるから、香矢さんも覚悟して。俺とこの先ずっと一緒にいるって」

「え? ちょっと重たいよ」

「それは重くて当然、二人分の人生だからな」

「……うーん、そうだね。まあ、僕も新吾とは一緒にいたいし。うん、わかった。覚悟する。でも、もしも心変わりしたら誤魔化さずに言って、嘘は絶対つかないで」

「嘘はつかない。俺、香矢さんに嘘はつかないから。ずっと傍にいるって言う言葉を信じて」

 腕が伸ばされて、身体をきつく抱きしめられる。もう二度と離さない、そう言われてるみたいな抱擁。だからそれに応えるように僕も腕を伸ばした。

「ねぇ、言葉の証拠を見せて」

「これから見せるよ。俺の一生をかけて」

「やっぱりそれって重たいよ」

「ちょっと、笑いすぎ」

 人間には染みついた性格というものがある。根本的に根付いたものは変わることがない。新吾を形成している性格は感情豊か、まっすぐで情熱的。一見すると神経質で意固地な僕とは正反対のようだが、よく似ていると思う。
 お互い感情には素直で、曲がったところが嫌い、と言うことだ。おかげで僕たちはこじれても雁字搦めにはならない。いつだって僕の尖った部分を柔らかくなだめながら、新吾は寄り添い合ってくれる。

「二年目は僕がなにか買ってあげるよ」

「え? ほんとに?」

「うん、そのためにもうちょっと仕事頑張らなきゃ」

「いやいや、香矢さんいまでも仕事頑張りすぎだろう」

「だって一年分に負けたくないからね」

 僕たちの心はやはり磁石だ。惹き寄せられてぴったりとくっついて、きっとそう簡単に離れたりしないだろう。それは言葉より確かな想いという引力。二人の心が結びついている証し。
 笑い合いながら二人で抱きしめる腕に込めた。これからの一生分を抱きしめるみたいに。

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