お友達から始めましょう、的なやり取りから僕と怜治くんの関係は、相変わらずなにも変わりはない。
放課後のお迎えも、そして無言の帰り道も相変わらずで、なんの進展もないまま時間ばかり過ぎていっている。いや、僕としては進展などあっては困るのだけれども、怜治くんからするとだいぶ焦れったいご様子。
「ちょ、っと、さすがに目立つよね」
帰り道、さりげなく繋がれた手に、僕は慌ててその手を振りほどいてしまった。すると秀麗な顔に、いや眉間に溝が刻まれてしまう。
しかしこう平凡地味で、見た目も頭もなに一つ冴えるところがない僕と、くっきりとした二重で切れ長の目に整った鼻筋、薄い唇はどこか冷たそうに見えるけど色気もあって、文句のつけどころのない美形。
さらにプラスして只者ではないオーラ満載の、そんな怜治くんと並んで歩いてる時点で目立ちすぎなんだよっと、僕は叫びたい状況だ。
「手ぐらい繋ぐだろ」
「いや、お友達は繋がない」
綺麗な金髪をかき上げて、ふっと不機嫌そうに目を細めて見下ろされる。その視線に思わず手を繋ぎます、すいませんと謝りたくなるが、いやいやそうはいかない。
「友達やめようぜ」
そっと耳元に囁かれて、一瞬だけ頭がくらりとした。声にも色気たっぷりですね。
「……じゃっ」
「おいこら、待て広志、なにさっさと帰ろうとしてんだ」
片手を上げて立ち去ろうとした僕の襟首を、すかさず怜治くんは掴んで引き止めた。その素早さはコンマかと思いたいほどだった。いや、多分きっと僕がとろいだけなんだと思うけれど。
「お、お友達やめるなら、一緒に帰らないよ、ね?」
眉をひそめている怜治くんの前に引き戻されて、身体が萎縮してしまう。怖い人ではないというのはここ最近でよくわかったけれど、やっぱり不機嫌オーラを漂わせて、目の前に立ちはだかられると、どうしてもこちらは怯えてしまうのだ。
「友達やめるならこっちだろ」
「え? ちょっ」
いきなり胸ぐらを掴まれたと思ったら、怜治くんの綺麗な顔が近づいてきた。そして唇に触れた感触に、思わず心の中で叫び声を上げてしまった。しかも長い、って言うかいま舌ガ入りましたけどっ!
ジタバタともがく僕を易々と抑えて、思いきり濃厚なキスをかましてくれる怜治くんの片手は、人の尻を揉みしだいている。
「……ふぅ、んっ」
やっと離れた怜治くんの唇と僕の唇のあいだに、ねっとりと唾液が糸を引いたのが見えて、卒倒しそうな気分になった。というか、最後に変な声が出た。もう恥ずかしすぎて死ねる。
片腕で僕を抱きしめる怜治くんの肩を押して、後ろへ下がると、下がった分だけ引き戻された。もうこちらは恥ずかしくてどうしたらいいかわからないのに、逃げ出すことも許してくれないようだ。
仕方なくその場で顔を両手で覆い俯いたら、僕の顔を覗き込むようにして怜治くんは身体を屈めた。
「泣いてんのか」
「泣きたい気分だよっ」
「別に、初めてじゃないだろ」
しれっと言ってくれるが、こちらはあんなキスしたのも初めてだし、以前に怜治くんの実家でされたキスは、僕のファーストキスだったんだぞ。
「怜治くんは初めてじゃないかもしれないけど、僕は全部初めてなんだよっ」
「……」
「あっ」
しまった――思わず大声で宣言してしまったが、ここはどこかと聞かれれば公衆の面前、路上だ。しかも同じ学校に通う生徒が多く下校している駅までの帰り道だ。そんな場所で堂々と童貞宣言してしまった。こちらを振り返る視線が痛い。
いや、それ以前から僕らは人の視線をかっさらっていたではないか。いまさら感は満載だけど、これ以上目立ちたくない。それなのに――。
「じゃあ、あんたの初めて全部俺のな」
「はぁ?」
僕の腕をしっかりと掴み、満面の笑みを浮かべられて、僕にどうしろって言うんだ。っていうか、怜治くんの笑顔、はじめてみたんですけど。そんな顔もできたんだねって、言ってられるか!
「空気読めバーカっ」
怜治くんの浮かべた笑みに驚いたのは僕だけではなく、周りが一気にどよめいた。そして僕はその空気に耐えきれずに、掴まれた腕を振りほどくと、駅まで自分速度マックスでダッシュした。
あれから一週間。僕は級友に恨まれながらも、怜治くんの迎えを無視し、いや迎えが来る前に教室を飛び出し逃げ回っていた。とりあえず、すぐに駅に向かうと即行で捕まってしまうので、見つからないように学校の周りをウロウロしている。
でも一週間ともなるとそろそろ逃げ場もなくなってきて、危うく何度か怜治くんに遭遇しかけた。一生懸命僕を探してくれている姿を見ると、なんだか申し訳ない気持ちにはなってくるのだけれど、やはりそれとこれとは別のことだ。
「全部俺の、宣言されてお友達ごっこは難しいって」
どうしても怜治くんは僕と恋人になりたいらしいが、僕はいくら情が湧いても男同士はやはり駄目だと思う。っていうか、女の子ともまだなのに、初めてが全部、男とかそれはない。ないないない。それはやはり嫌だ。
「かといって、ずっとこうやって逃げて回るのにも限界があるよな」
ここはやはりきっぱりお断りをしなくては駄目だろうか。でもどうやって?
あの容姿で凄まれると、どうしたって萎縮してなにも言えなくなってしまう。でもそういう関係で恋人同士になるってこと自体、無理があるんじゃないんだろうか。うん、そうだ、やはりちゃんと断ろう。
「にゃぁう」
「ん?」
急に足元で小さな声が聞こえた。その声につられて下を向けば、艶やかな黒い毛並みと金とブルーの瞳を持った猫がいた。
「オオクラさんっ」
その麗しい姿に飛びつけば、ひょいと僕の腕の中に収まってくれた。相変わらずもふもふで毛並みも綺麗で美人猫だ。
この猫とは学校裏で昼休みを過ごしている時に出会い、それ以来、よく一緒に昼を過ごすことが増えた。でも最近は少し肌寒い季節になってきたので、僕が外へ出る回数も減り、なかなか会えずにいた。
「久しぶりだね。相変わらず綺麗だなぁ、可愛いなぁ」
ゴロゴロと喉を鳴らして擦り寄ってくるオオクラさんに、自然と顔が緩んでくる。やはりこういう癒やし要素は、日常に必要不可欠だとしみじみしてしまう。
「怜治くんもいつもあんな怖い顔しないで、笑っててくれれば僕だってビクビクしなくてもいいんだけどなぁ。ねぇ、オオクラさんそう思わない?」
「なぁぅ」
返事をするように僕の目をじっと見つめて鳴くオオクラさんは、またすりすりと僕にその身を寄せてくる。
か、可愛い――やはり動物は癒やされる。僕の日常に足りないのはこれだ。毎日毎日、怜治くんのしかめっ面でなにを考えているのかわからない態度に、僕は顔色を窺っておどおどしっぱなしだ。
僕の笑った顔が好きだなんて言っていたけれど、やはり怜治くんの前にいると、笑えるシチュエーションがない。
「少し疲れちゃったかなぁ」
決して怜治くんが嫌いなわけじゃないけれど、一緒にいると緊張してしまって安らげない。
やはりお付き合いするなら一緒にいると落ち着けて、騒がしくなくて、とろくさいこんな僕のことでも理解してくれるような優しい子がいい。動物好きな子だとなおいいなぁ。
「そんなに俺といるのが疲れるのか」
「えっ?」
急に背後から聞こえた声に、思わず大げさなほどに飛び上がってしまった。胸元にいたオオクラさんが肩ごしに声の主を見て、可愛らしい鳴き声を上げるが、僕はガチガチに固まり、錆び付いた機械みたいなぎこちない動きで振り向いた。
「も、もしかして、オオクラさんに、探させた、とか?」
「オオクラさんならすぐに見つけるし、あんたなら見つけたらすぐ近づくだろうと思った。案の定だな。そんなにオオクラさんがよくて俺が嫌か」
うわぁ、不機嫌度がマックスに、いやもしかしたら不機嫌メーターが振り切ってるかもしれないくらい、怒気を孕んだオーラが、背中あたりから燃え上がってるみたいに感じる。
僕も浅はかだった。オオクラさんは怜治くんの猫なんだから、こんなにタイミング良く現れるなんておかしいと思うべきだった。
「いや、オオクラさんは猫だし、怜治くんと比べるのは」
「オオクラさんは綺麗で可愛いけど、俺は怖くて一緒にいるのが嫌なんだろ」
さ、最初から聞いてたんだ。
言い訳をあれこれ考えてみたけれど、ちっとも見つからなくて、あたふたしているあいだにも怜治くんの不機嫌さは募るばかりだった。
「どうしたら、あんたは俺のこと好きになるんだよ」
「き、嫌いじゃないよ」
「でも一緒にいて疲れるんだろ」
「う、あ、それは……こうやってすぐ詰問される感じが怖いっていうか」
いつも怜治くんの話し方はキツいというか、問いただされる感じというか、なにか悪いことをして責められているような気分になる。
「それはあんたがなにも言わないからだろ!」
「え?」
「俺はあんたにいつも聞いてるだろっ、どうしたらいいんだって、それなのにあんたはなにも答えないし、逃げるし、避けるし、疲れるとか言うし、俺はどうしたらいいんだよ!」
珍しく取り乱した様子で声を荒らげる怜治くんに驚いてしまった。両手で髪をかき乱し俯いてしまったその姿に、僕はかける言葉が見つからない。
そうか、僕は怜治くんに聞かれていたのか。なにをどうしたら自分を好いてくれるのか、どうしたら僕が笑ってくれるのか。
そういえば、最初から怜治くんはそう言っていたじゃないか。でも見た目や話し方が怖くて、僕は怜治くんの言葉をちゃんと聞いていなかった。
「ごめん」
「……それは、なんのごめんだよ」
目の前まで近づいてきた怜治くんに片腕を掴まれた。そしてびくりと肩を跳ね上げた僕の様子に、怜治くんはため息をついて眉をひそめた。
「オオクラさん、帰るぞ」
「にゃぅ」
僕の腕を放し、こちらに背を向けた怜治くんに呼ばれると、オオクラさんはするりと僕の腕を抜けて怜治くんの傍へ走り寄っていく。そんな後ろ姿を見て、胸がズキリと痛んだ。
こんな風にまっすぐにオオクラさんがついて行くのだから、多分きっと、僕が思っている以上に怜治くんは優しい人なんだろう。
動物は人間なんかよりずっと敏感で繊細だ。それに人見知りで人に懐かないオオクラさんが、唯一、信頼を置いている人間が怜治くんなんだ。
「ごめん、嫌いじゃないよ。これは嘘じゃない。でも怖いのもほんとなんだ。怜治くんがどういう人なのか、僕まだわからなくて、でも――」
しかめっ面の内側にあるものに、本当に僕は気づいていない?
怜治くんには裏表がなくて、不器用で僕をどう扱ったらいいかわからなくて、戸惑っていつも眉間にしわを寄せてしかめっ面になってしまう人だ。
見えている部分、全部に嘘がなくて、まっすぐでそれが彼なんだってことに、気づいていないふりしてない?
「嫌いじゃないよ」
「早く、俺のこと好きになれよ」
振り返った怜治くんがこちらへまた戻ってくる。目の前に立ちはだかって僕を見つめる視線は相変わらず鋭いけど、どこか寂しそうだ。その目を見上げたら、身を屈めた怜治くんの唇が僕の唇にそっと触れた。
あまりにも優しいキスに、なぜか僕の心臓はドキドキと忙しなく鼓動が早まっていった。
[君が見つけたもの/end]