クトウという町

 出発の日は思っていた以上にあっという間に訪れた。
 前準備、下準備はユーリがするわけではない。と言っても、外へ出るにあたって覚える事柄も多い。

 今回の視察はある意味、世間知らずの坊ちゃんによる初めてのおつかいだ。
 供をしてくれるデイルたちになるべく迷惑をかけたくなかった。

 なるべく、とつくのが悲しいところではあるのだが、そこばかりはどうしようもない。

「ユーリル、気をつけるのよ」

「なにかあればいつでも連絡するんだぞ」

「もっと腕の立つやつを増やすか?」

「ちゃんと薬とお茶は持った?」

 そもそも出立前の家族がこのような状態だったのだから、いくらユーリが大丈夫と言っても、誰も信用してくれない。
 前日は忙しい陛下を除いて、だけれど珍しく家族が集まり昼食をとった。

 その際もたくさん激励の言葉をもらった、はずなのに。
 出立前、母と兄姉たちは今生の別れか、と思うほど心配していた。

「か弱くて小さかった殿下が一人旅、とか思うと気が気じゃないんだろうなぁ」

「私が父親だったら、悪い男に拐かされたらと心配になります」

「二人とも僕がまだ成人していないからって。……そんなに僕は頼りないだろうか」

「そういえば、成人前にこのように大きな公務も珍しいですね」

「言われてみればそうだな。ヘイリー殿下なんて十九歳を過ぎてからだったな」

 ユーリの話を聞いているのか、いないのか。
 ライとフィンは後方で馬を操りながら会話をしていた。

 今回の旅路は四人、馬での移動。周りからは馬車のほうが、と言う提案が多かったのだけれど、小回りが利いていいとユーリは意見を押し通した。

 確かに馬車は荷物も積み込めて、中で眠れて、色々と便利だ。しかしいざというとき、機動力に欠ける。

 その代わり皆から顔だけは隠しなさいと、ユーリは初夏だというのに、マントのほかにストールも巻かれていた。
 暑くて、むしろ体に悪いのでは、と思ったものの。馬上で風を浴びているとちょうど良い。

 乗馬はデイルや兄のヘイリーと、鍛錬をし始めてからすぐに習い、功を奏した。
 体幹を鍛えられ、意外と筋力の増強にも最適なのだ。

「ユーリさま。体がキツくなったら、遠慮せず言ってください。先は長いので無理は禁物です」

「うん。自分が大丈夫と思う範囲より、ゆとりを持つように気をつける」

 馬を並行させていたデイルに声をかけられ、ユーリは素直に頷いた。
 いまは緊張と少しばかりの興奮で、体は無理ができてしまう状態だ。

 そのまま調子に乗ってしまうと、あとでごっそり体力と気力を持っていかれる。
 鍛錬を始めた時に一度、経験済みだった。

「あとライード。呼び方には気をつけろ。これまで外に出ていなかった、ユーリさまの存在を知られると厄介だ」

「おっと、そうだった。うっかりいつもの調子で話していた」

 後ろを向いてキツい声音で注意されても、素直に言葉を受け入れるライは、まっすぐな心根の持ち主だ。
 これでもっと魔力が多かったら間違いなく皇帝候補になっただろう。

 そう考えれば、とんでもなく有力な人物たちを連れているのだと、ユーリは改めて気づかされた。
 おかげで安心感とともに身が引き締まる思いだ。

「ユーリィさま、最初の目的地は帝都から二日ほどの場所にあるクトウという町です。人口が増えて近年、村から町へ改められた場所になります」

「え? フィン、人口が急に増えるのは珍しいよな?」

「はい、移住者が増えた点も調査するため、最初の場所としました」

 後ろから聞こえてくるフィンの声に耳を澄ませながら、ユーリは深く頷く。

(それにしてもこの魔道具、すごく便利だな)

 馬と馬のあいだで声が届くのは、フィンの声が大きいのではなく、風魔法の陣を刻んだ――耳に引っかける――装飾品による効果だ。
 同じ陣を刻んだ魔道具同士で会話ができる。

 距離を取りすぎると届きにくくなるけれど、こうした馬での移動、馬車と外の護衛など、声を交わしやすいので、商人や貴族に人気のある品だ。

「移住者が増えたのなら、移住する目的がある、と言う意味でもあるな」

「そこが大きく気になる点なのです」

「なるほど。デイル、なにか噂などは?」

 フィンとユーリの会話を、神妙な面持ちで聞いていたデイルへ視線を向けると、わずかに彼の眉間にしわが寄った。

「私のほうでも調べたのですが、不自然なほどなにもないのです」

「ゼロということは百である、という考えが当てはまりそうだな」

 後ろ暗い、もしくは人に言いたくないなにかがそこにある。

「いきなりドンピシャ、っと結果にたどり着くかもですね」

「ライ、そのように楽観視はできませんよ。ユーリィさまの御身を第一として、細心の注意を払いなさい」

「わかってるって。汚れ仕事は俺に全部任せてくれ。なんでもやるぞ」

 拳で胸を叩くライと、あきれ顔のフィンは良い相棒といった雰囲気だ。
 二人の会話にユーリは小さくクスッと笑ってしまった。

 それとともに、少しばかり緊張していたと気づく。ほっと肩の力が抜けると、吹き抜ける風に草花の匂いが混じっているのも感じられる。

 そのあともユーリの体調を考慮し、ゆっくりと休憩を挟みつつ移動。目的の町――クトウには出発の三日後、日が暮れた頃に到着した。

 町になってさほど経っていないからか、人が特別多い印象はなくのどかな雰囲気だ。
 元々は素朴な村だったのだろう。

 木造の建物が多く、最近建てられたらしい、煉瓦や石造りの建物が真新しく目立つ。
 道も整備途中の場所がちらほらと見受けられ、本当に急な発展だったのだと、予想ができてしまった。

 ただ、今回の調査の結果、町の発展が途絶えなければいいと、ユーリは懸念する。

「ユーリィさま。宿の部屋を二つ、押さえられました」

「フィン、ありがとう。宿が空いていて良かった」

 旅で一番初めにするのはやはり宿の確保。それが不可能であれば野宿になる。
 道中は集落で泊めてもらったり、管理小屋らしき空き家を拝借したり。

 三人ともユーリに極力野宿はさせたくない、という雰囲気が感じられた。
 本人はいざとなれば仕方がないと思っていたので感謝ばかりだ。

「今日の宿は湯も用意してくれるそうですよ」

「それはありがたいな」

 発展しきらない場所だと、宿泊場所が小規模のときもあるのだけれど、ここはよそからやって来る者たちが多いらしく、宿も大きかったとか。

 本来、小さな村は湯を沸かせる魔道具や薪を用意できない場合がほとんどだ。
 そのため身繕いする湯はそうそう用意してもらえない。

 ここまでも水を少し温めてもらったり、川の水で沐浴だったり。
 この先、体を拭うことさえ難しい日もあるだろう。

 公の視察ではないゆえに、身元を知られるのは避けたい。そうすると設備の整った宿より下位の宿を選びがちになる。
 家族は体に悪いからなるべく良い宿にと、ユーリに何度も言っていたけれど。

(あんまり身綺麗すぎても警戒される可能性もあるし)

 それでなくとも同行者全員、顔がいい。
 女性が思わず振り向くほどだ。時折男性も振り向く――のは、ユーリの美貌のせいだが、本人は相変わらずわかっていない。

 顔が隠れるほど大きなストールを巻いているのに、美しさは隠しきれないと、従者三人は周りへの牽制を忘れていなかった。
 そんな様子にユーリは不思議そうにするばかりだ。

「今日は時間も遅いです。いったん部屋に下がって夕食時に一階の食堂で合流しましょう」

 外であれこれと聞き回るよりも、食堂で交わされる会話から情報を得るほうが有意義だろう、というのがフィンの判断だった。

 二晩、体を休めたとはいえ、日中はずっと馬を走らせてきたので、ユーリとしてもありがたい提案だ。

「ユーリさま、長い道中、お疲れさまでした」

「うん。デイルも」

 部屋は当然の如くデイルと一緒だ。
 入ってみるとわりと新しい宿らしく、手狭だが綺麗に整っている。

 ベッドの寝具も薄っぺらくない。物珍しげにユーリが部屋を眺めているあいだ、デイルは部屋の隅々まで点検をしていた。

「問題はありません。大丈夫でしょう。ユーリさま、衣装を解いても大丈夫ですよ」

「ああ、ありがとう」

 点検が終わるとストールやマントを脱いで、ようやく椅子に腰を落ち着ける。
 ユーリが人心地をついていると扉がノックされ、デイルが対応した。
 どうやらライがたらいを持ってきてくれたようだ。

 たらいに張られたたっぷりの水へ小型の魔道具を浸けると、しばらくして湯気が立ち上る。
 温度を確かめてデイルはそこへ布を浸した。

「足元を拭いましょう」

「あっ、うん」

 目の前で膝をついたデイルがブーツの紐を解いていく。
 普段は侍女にしてもらうことが多いのだけれど、侍従しかいないときはこうしてデイルが手ずからしてくれる。

 姉のミラ曰く、ほかの男に触らせるくらいなら――という理由らしい。
 誰が身支度を調えてくれようと気にしないユーリだが、どうしてもデイルに跪かれ、触れられるとそわそわする。

 いまも丁寧に素足を布で拭う彼に、なんとも言えない感情を覚えた。

(いつも見上げるデイルが低い位置にいるからだろうか)

 見下ろすとデイルのつむじが見える。
 ユーリはぼんやり見つめ、彼は右巻きなのか、などとどうでも良い考えを巡らす。そうでないと、触れる手の感触や熱に胸の音がおかしくなる。

「ユーリさま? 御髪を」

「へ? あっ、髪、髪くらいは自分で、やる。デ、デイルもくつろぐといい」

 ふいに顔を上げられてバチッと視線が合ってしまった。酷い動揺で声が裏返ったけれど、ユーリは手を伸ばしてデイルから新しい布を預かる。

「……はい。では失礼します」

(そういえばデイルの私的な姿は見たことがなかったな)

 マントを脱いで自身の身繕いを始めたデイルをじっと見てしまい、結局ユーリは冷めた布を彼に取り上げられた。

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