第12話 眠り姫はまだ目覚めない

 希壱と約束をした日。正直言えば、気乗りしなかった。
 とはいえ一方的な一真の感情で、約束を反故にするわけにはいかない。

 渋々、出かける準備をしていた一真は、そろそろ家を出なければという頃に響いた、インターフォンの音に眉を寄せる。
 休日の午前中に訪問勧誘は珍しく、届く荷物もない。

 もしやと思い、扉に設置されたカメラの映像を見てみると――

「わざわざ迎えに来やがって、なんだよ」

「早く一真さんに会いたくて。というか、疲れてないかなって心配になったから」

 モニターで確認し、玄関扉を開いたそこには、視線を上げなければいけない背丈をした、細目の男。
 若干、不機嫌に見えるだろう一真に、いつものニコッとした笑みを浮かべる。

「今日はやめておくか?」

「えっ? なんで? もしかして一真さん、調子が悪いの?」

「いや、そう言うわけじゃねぇよ」

「はあ……良かった。ああ、びっくりした」

 大げさなくらい驚きをあらわにした希壱は、胸に手を当て大きく息を吐く。
 その様子は、本当に驚いているように見える――などと疑うべくもないのに。

 嘘をつく必要もないのだから。
 勝手になにを想像しているのかと、馬鹿馬鹿しくて一真は自身に呆れた。

「一真さん?」

「ん?」

「ほんとに大丈夫?」

「ああ、問題ない。行くか」

「……うん」

 支度は調っている。靴棚の上にある鍵を手に取ると、一真は足を踏み出した。
 それとともに目の前の希壱は一歩、身を引いてからじっと見つめてくる。

「なんだ?」

「一真さん、なにか怒ってる? このあいだから少し機嫌が」

「なんでもねぇ。仕事が忙しいだけだ」

 言葉を遮るように話を完結させると、一真は黙って扉の施錠をする。
 希壱が言っているのはバスから彼を見た日の、あとの話。

 友人から連絡があって急遽出かけたと、包み隠さず教えてくれた。
 メッセージの返信が来たのは、翌日だったけれど。

「今日はどこに行く?」

「待って一真さん。今日は家でゆっくりしよう? 顔色があんまり良くない」

 一真が扉に背を向け、歩きだそうとしたところで、今度は行く手を遮られる。
 頬に触れた手をとっさに拒否し、押し退けても希壱は心配そうに一真を見下ろした。

「じゃあ、今日は」

「出かけるのはやめるけど。一緒にいたい。具合が良くないなら、近くにいさせてくれるだけでいい」

「お前、俺といて、楽しいか?」

「楽しいとか楽しくないとかじゃない。俺は一真さんといて、幸せなの」

「…………」

 そこまで言われるとこれ以上、邪険に扱えない。気持ちを入れ替えるため、一真は息をついて、閉めたばかりの鍵を解錠する。

「入れ、いまなにもないけどな」

「なら、宅配とか頼もうか? ご飯は食べられるの?」

「問題ない」

 元の位置に鍵を戻し、一真は羽織ったジャケットを玄関にあるハンガーへかけた。
 それにならい希壱も上着を脱いでから、あとをついてくる。

「熱はない? 体のだるさは?」

 リビングにやって来た希壱は矢継ぎ早に問いかけてきて、一真の背中を押すと、ソファに座らせた。
 さらには勝手知ったるなんとやらで、薬箱から体温計を取り出してきた。

「だるさはあるかもしれないな。起きるの面倒だった」

「そういうときは連絡くれていいんだよ。こうやって家で過ごせるだけで、満足だし」

 熱を測れとしつこい希壱に根負けして、測ってみると微熱程度だった。
 それでもだるくなるほどなら、高さではなく熱があるか否かだとぶつくさ言われる。

 テキパキと着替えを用意され、温かい牛乳まで出された瞬間、つい一真は「弥彦みたいだな」と言ってしまった。

 兄と比べられるのが嫌な希壱は、わずかに眉をひそめたけれど、文句は一言も言わなかった。

「ご飯は、どうしようかな」

「お前の好きなもの頼めば?」

「一真さんが食べられなかったら、頼む意味がない」

 スウェット上下にカーディガン。念押しで膝掛けまでかけられた。
 すっかり室内着に着替えて、ソファに座っている一真の横で、先ほどからスマートフォンとにらめっこをしている希壱。

 出前を頼むつもりだったようだが、一真の体調を考慮して頭を悩ませているらしい。

「うどんにしようか。ここなら丼物もあるし、俺はセットでいいかも」

 ようやく目星がついたのか、スマートフォンの画面を見せてくる。
 店舗が各所に多くある名の知れた店で、駅前にあるうどん屋だ。一真も何度か利用した覚えがある。

「そこでいい。とろろ昆布となめこのうどん頼んで」

「わかった。ほかにはいい?」

「脂っこくなければ」

「……一真さん。もしかして胃の調子が悪いの? 痛みとかはない? 吐き気は?」

 なにげない一言から推測した希壱が、ずいと顔を近づけてくる。
 顔色を確認しているのだろうが、いきなりすぎて、一真の肩が驚きでわずかに跳ねた。

「いつもより顔色が青白いんだよね。でもそこまで酷そうではない、気はするんだけど。いまは良くてものちのち悪化する場合も」

「大丈夫だって、頼むなら頼んでしまえよ。昼近くなると届くのが遅くなるぞ」

「うん。食べられそうなの適当に頼むね。残ったら俺が全部食べるから」

 再び、希壱の視線がスマートフォンへ向けられ、一真は無意識に息をつきながら、胃の辺りをさすった。
 ここ最近、調子が悪いのは確かだ。

 キリキリする感じと、食欲のなさ。朝晩に少しだるさを覚える。
 いまの仕事を始めたばかりの頃も、神経を使って同じような症状になった時期があった。

 そのため一真は、そこまで気にしていなかったのだけれど。

「微熱とだるさが続くようなら、一度病院で診てもらってね。一真さんはそれでなくとも繊細なのに」

「そんなことを言うのはお前だけだ」

「そう? だったら本当の一真さんを知っているのは俺だけだね」

 注文をし終えた希壱がそっと肩に腕を回してくる。先ほど触れるのを拒否したので、気にしているのだろう。

 仕方なしに一真は希壱の手を黙って受け入れた。すると優しく肩をさすったあと、彼は一真の頭を撫でてから、ゆっくり自分の肩へ引き寄せる。

「少し寝ててもいいよ。ベッドのほうがいいかな?」

「……このままでいい」

 肩に頭を預けて一真は目を閉じた。さして眠くなかったが、希壱のぬくもりがひどく心地いい。

 ――あんたは本当は誰かが傍にいてほしいタイプよね。

 一真はふっと、いつぞやのあずみの言葉を思い出す。
 自分で意識をしたことはない。それでも近年はともかく、学生時代は人の多いグループに混じっているほうが落ち着いた。

 特別そこに混じってなにをするわけでもなく、周囲に人がいるだけで良かった。
 ただ、恋人がいた時でもこうして、無防備に身を預けた覚えがない。

 膝枕くらいはあったかもしれないけれど。それとこれは、少し意味合いが違うだろう。
 スキンシップといたわりくらいの違い。

 もしかしたら相手の気持ちは、希壱と一緒かもしれないので、一真の受け取り方の違いだろうか。

(片手間に付き合った覚えはないのに。なんでこう希壱と比べるんだ? でも当時のこと、あんまり思い出せないんだよな)

 当時と言っても高校一年と二年の頃だ。記憶が霞むほどの昔でもない。なのだが彼女たちの顔もどことなくおぼろげだ。

 そのあとに恋した、二人への想いが強かったから――にしても、曖昧すぎる気がする。

(やばい、名前すら思い出せねぇ)

 二人に関してなら、いくらでも思い出せるのに、ひどく不思議に感じた。

 ――早く告白してしまえよ。

 高校二年の秋口だった。それは恋した男へ一真が告げた言葉だ。
 ずっと好きだったという、西岡への想いを秘めたままの相手にもどかしくなった。

 ――お前がそんなんじゃ、俺が先へ進めないだろ。さっさとフラれるなりなんなりしてこいよ。

 実際は、いつまで経っても一歩を踏み出せずにいる、彼の後ろ姿に焦れったくなった。見ているだけでは満足できないくせに、一歩も踏み出せないでいる。

 まるで自分自身を見ているように思えたのだ。彼が動かなければ、自分も身動きが取れない。だから背中を押した。

 二人が向き合い、これでやっと、くすぶる感情から自分も開放される。と思ったのは大きな間違いだったけれど。

 まさか二人を同時に、好きになるとは一真も予想しなかった。
 若さゆえと言っても、なかなかあるものではないだろう。いままであった焦れったさやくすぶりが、結局は乗算されることとなった。

(俺は、あとどれだけ、過去に立ち止まっている気なんだろう)

 まだあの頃の気持ちを引きずっているのか。そうあずみに問われた時、否と答えたが、いまならわかる。

 自分はいまだに、二つの恋から抜け出していない。自身で見切りをつけたはずなのに、終わりが見つけられていないのだ。

 一真は当時、二人からの断りの言葉や、謝罪を遮り、受け取らなかった。フラれるのは嫌だから、なんて幼稚な感情で――

 いま現在、二人への恋愛感情はまったく残っていない。これは確かだ。
 ただ二人を好きでいたあの頃が一番、楽しかったのだ。

 片想いは辛かったけれど、惚れた二人の傍にいられた。二人のあいだをふらふらして、あずみや弥彦に煙たがられながらも、充実した青春時代だったと言える。

 あまりにも色鮮やかで、一真の心は高校最後の年に、置き去りになったままだ。
 いまが不幸せというわけではない。だと言うのに、キラキラとした思い出から抜け出せないのは、なぜなのか。

 あの頃は良かった。なんていつまでも立ち止まっている自分に呆れる。

「……フラれてしまえば良かった」

「一真さん?」

 ぽつんと心に落ちた気持ちは言葉になっていたらしく、わずかに希壱が身じろぎ、一真を覗き込んだ。

「寝てたか?」

「うん。二十分くらい。もう少しで配達が来ると思うから、ちょうど良かったかも」

「そうか。……どうした?」

「ううん」

 ずっと自分を見つめたままの希壱に、一真は首を傾げる。けれど彼は答えをはぐらかし、やんわりと笑って一真の肩を引き寄せた。

「少しだけ顔色が良くなったね」

「そうか?」

「うん」

 頬にすり寄ってくる、希壱の温かなぬくもりは、じわりと胸に沁み込んで心を落ち着かせる。
 それは夢で感じていた、寂しさと虚しさを癒やす、とても優しい心地だ。

 しかし安心感を覚えていた一真とは違い、希壱はぽつんと不安を漏らす。

「一真さんの寝顔、綺麗だったけど。目が覚めなかったら、どうしようかなって思った」

「縁起でもないこと言うなよ」

「ほら、童話の眠り姫? 茨に閉じ込められたお城ごと、全員が眠りについちゃったやつ。夢の中のほうが幸せなのかな?」

(人の夢を覗き見たみたいに、妙に的確なたとえをしやがって)

 高校時代の懐かしさに浸っていた自分を、希壱に見透かされた気がする。

(そういえば、あずみもまったく同じ言い回しをしていたな)

「俺は、一真さんの王子様になれるかな?」

「……どうだろうな」

 自分の内側を覗かれた気になって、感情がささくれたのか。一真はとっさに曖昧な返事をしていた。
 いつもの希壱は、一真のひねくれた部分をよく知っているので、笑い飛ばすのだが――

 寂しそうに笑い返され、一真はまっすぐに彼の顔を見られなくなる。

「まあ、一真さんみたいな男前ならともかく。俺じゃあ、王子様って柄じゃないよね。せいぜい、従者とか?」

「馬鹿なこと言ってんなよ」

 自分の半端な発言のせいだというのに、自身を卑下する希壱の言葉で、心がじりじりとした痛みを伴う。
 どんどんと痛みが広がり、ついに我慢ができなくなった一真は、おもむろに希壱の胸元を掴んだ。

 そしてぎゅっとシャツを引くと、彼の唇へキスをする。
 一瞬、驚いた反応を見せた希壱だけれど、どこか安心したように、一真の体を強く抱きしめた。

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