あの日の笑顔07
最寄り駅についたあとは優哉に聞いた言葉を頼りにケーキ屋を目指した。そこは小さなスペースにイートインコーナーがあり、空いていたのでそこでしばらく時間を潰させてもらった。
僕たちの格好を見て結婚式の帰りだと気づいた店主は優哉の店だろうと聞いてくれて、できたばかりの店だけれどいいお店だよと言ってくれる。店主もとても素敵な人だったが、彼の作る素朴な見た目の可愛いケーキも目を見張るほどおいしく、そこで至福の時間を過ごせた。
「なんかここはいいところだよね。なんて言うか明るい気が満ちてるみたいな」
「うん、商店街も賑やかだし、活気もあるしな」
ケーキ屋を出て二次会へと向かう途中、ふいに三島は辺りを見回しながら優しく目を細める。その視線を追うように商店街を見れば、そこに集う人たちはみんな実にいい笑顔を浮かべていた。
この町の話をしてくれた優哉も三島と同じようなことを言っていた。色んな候補地があったけれどこの町に一番心が惹かれたのだと。古くからあるところも新しいところも優しく調和されていてとても居心地がいい雰囲気を感じたらしい。
ここでなら長くやっていけるんじゃないかと思ったと、満足そうに笑っていたのを思い出す。
「駅からさほど離れてないのはいいよな」
「のんびり歩いても十分だからな」
「ちょっと隠れ家的なお店だからそれもいいよね」
店への入り口に当たる細い路地、生け垣に挟まれた石畳の道に三島と峰岸は視線を向ける。この二人は先月末のオープニングパーティーに参加しているので、店に来るのは二度目だ。
「みんなこの場所がぬくもりがあるって言ってくれたって、優哉はすごく嬉しそうだった」
閑静な住宅街にひっそり佇む小さなレストランに訪れた人たちはみんな、この店を憩いの場所だと称した。ここはこの町に溶け込み癒やしも感じさせてくれる。
石畳を抜けた先にあるのは広めの庭と一軒家を改装した可愛らしい佇まいの店舗。もう少し落ち着いたら空いた庭に小さな菜園でも作ろうかなと話していた。調理スタッフのエリオとホールスタッフの日笠さんがそういうのが好きなんだそうだ。
「こんばんは……って、あ!」
「やっぱり峰岸くんだぁ!」
店に入るとレジカウンターのところで挙式で会った片平の親友たちが受付をしていた。僕や三島には普通の顔をしていたが、峰岸を見ると二人揃って大きな声を上げる。その声に名指しされたほうはちょっと煩わしそうな顔をした。
「ちょっと雰囲気が変わったからどうなんだろうって思ってたんだけど、本物だった! 王子と一緒でキングもいい男っぷりが相変わらずやばい!」
「いま峰岸は僕と一緒に学校の先生してるんだぞ」
「え! なにそれ! 私もう一回、高校生やり直していい?」
「モデル辞めちゃったのは噂で聞いててもったいないなって思ってたけど、なんだか昔よりも柔らかい雰囲気があるから先生も似合うね」
少しだけまた昔話で盛り上がったが、ほかの来客が来たのでコートを預けたあとはその場を譲った。もうすぐ時間と言うこともありほとんど招待客は揃っているようだ。身近な人たちだけと言うことで顔見知りが多いのかみんなウェルカムドリンクを片手に談笑している。
フロアの中央にビュフェ用のテーブルがあり、オープンキッチン横のスペースが特設のドリンクカウンターになっていて、日笠さんが対応している。視線が合うと優しい笑みを返してくれた。
視線を持ち上げて厨房を見ると、ふいに顔を持ち上げた優哉と目が合う。僕に気づいた彼はやんわりと目を細めて笑ってくれた。たった数時間離れていただけなのに、待ちわびた逢瀬のような気分になる。
思わず顔が緩みそうになって唇を引き結ぶ。そうしたらそれに気づいたのだろう彼は口元を緩めた。
「センセ、顔が情けないことになってんぞ」
「う、うるさいな」
「話しかけるならいまじゃない?」
「いいよ、いまはそれどころじゃないだろうし」
「ちょっとくらいなら優哉もきっと嬉しいよ。飲み物の取りに行くついでにさ」
ニヤニヤと笑う峰岸の視線に顔を熱くしていたら、三島に腕を取られてしまう。人の合間を縫ってまずはドリンクカウンターへ向かい、ノンアルコールのシャンパンをもらう。そのまま戻ろうとすると二人分の赤ワインを手に取った三島に視線で促された。
「ほら、優哉もこっち気にしてる」
「いや、でも」
「もう始まっちゃうし、いまだけだよ」
「んー、そうだけど」
「じゃあ、俺はあっちにいるから」
いつまでもはっきりしない僕に大丈夫大丈夫と言いながら、さっさと三島は峰岸のところへ戻ってしまった。そのままあとを追いかけても良かったのだが、視線を感じる。ゆっくりと振り返ればまたまっすぐと視線が重なった。
その眼差しに逡巡する気持ちとは裏腹に足が勝手に動いてしまう。少し周りへ視線を向けると、誰もこちらの様子を気に留めていないのを確認して厨房前にあるカウンターテーブルに近づいた。
「やっと来てくれましたね」
「だって、お前仕事中だし」
「目の前にいるのにそのままは寂しいです」
「ご、ごめん、悪かった」
「いえ、ありがとうございます」
「うん」
こういう時にありがとうって言える優哉はやっぱり優しい。こういう気遣いは誰でもできるわけではない。しかし僕にも優しいけれど彼は家族や友人にも優しい人だ。昔は優しすぎて傷つくことも多かったけれど、いまはそういう部分は少なくなったように思う。
「いままでどこで時間を潰してたの?」
「ああ、ほらお前が前に教えてくれたケーキ屋さん。商店街にある」
「ガトーイムラですね。おいしかったでしょう?」
「うん、いまの時期限定のプチブッシュドノエルがあってさ。ちょっと大きめだったんだけど誘惑には勝てなかった」
来週はクリスマスなのでほかにも限定のケーキがたくさんあった。目移りしたと言ったら今度お土産に買って帰ろうかと言われて、前のめりに返事をしてしまう。三島や峰岸のケーキも一口ずつもらったけれど、チーズケーキもフルーツケーキもおいしかった。
「そういやコーヒーがさ、ここのと似た感じだったんだ」
「コーヒーはあそこの店主さんにお店を紹介してもらったんですよ。さすが佐樹さんコーヒー党ですね。味に気づくなんてすごいです」
「焙煎の感じが近いなって思って、そっか、そうなんだ」
毎日コーヒーを飲んでいる自分も伊達ではないなと我ながらちょっと感心してしまった。しかし少し得意気になっていると微笑ましそうに笑われる。気恥ずかしくなって視線を落としたら、小さな声で可愛いと囁かれた。
その言葉にじわじわと熱くなる頬と耳。火照りを誤魔化すようにシャンパンに口を付けるけれど、なんとなくいたたまれなくなってしまう。
「そろそろ二人のところに戻るな」
「……はい。あ、あとで少しは食べてくださいね」
「うん、わかった」
最後にもう一度視線を合わせて、微笑んだその顔につられるように笑みを返した。本当ならもう少し話していたいけれど、これから出す料理の準備中だから大人しく踵を返す。戻ってきた僕に気づいた二人にまだ時間あるけど? なんて言われて恥ずかしさが増した。
「なんか二人は熟した夫婦のように感じることもあるけど、付き合いたてのカップルみたいな可愛さもあるよね」
「二人して惚気が半端ないからな」
「そうそう、優哉もわりとすごいよね」
「いいだろ、別に」
ずっと僕は優哉に恋をしている。けれど心はいつまで経っても初恋みたいな初々しさがある。どれだけ時間が流れても初めてみたいな想いを胸に抱く。それは慣れないとか距離があるとかではなくて、いつでも新鮮な気持ちで日々を過ごし、彼をますます好きになっているのだと思う。
いままで傍にいなかった時間が長かったから、それもあるけれど、優哉といると自分が少しずつ成長して変わっているのがわかる。一枚一枚、薄衣を剥がすみたいに新しい僕が生まれて、そのたびに彼を好きになるような。
僕は一度大きな失敗をしている。だから少し慎重になっている自分にも気づいているが、それほど臆病にはなっていないと思う。いまでも時折思い出すけれど、あの頃よりマシになった自分を確かめて安堵している。
ちゃんと人を好きでいて、思いをかけられて、相手に優しくあれる。昔の僕はきっと心に余裕がなかったのだろう。でもいまは一呼吸置いて周りを見渡せるようになった。それはやはり優哉という存在がいてくれるからだ。