ゆったりとした音楽が流れていた中に司会役の男性の「お待たせしました」と言う声が響く。普段は店で音楽などは流していないが、こういったパーティーのために音響も整えたようだ。右手の壁には大きなスクリーンがあり、ハッピーウェディング、陽司・あずみの文字からぱっと映像が切り変わる。
そこに映し出されたのは真っ白な階段。それは店の玄関ホールにあるもので、レジカウンターの後ろから二階へ続く。玄関の位置から映し出されたそこがズームアウトされて、今度は板張りの床からゆっくりと二階踊り場までカメラが流れた。そしてしばらくすると主役の二人が姿を現す。
新郎はシルバーブルーのタキシード、花嫁は華やかなオレンジのマーメードラインドレス。カメラに向かって片平が手を振り、花婿のエスコートでゆっくりと階段を下りてくる。カメラはそれを捉え動いていくが、一瞬だけカクンとブレて笑いを誘った。
レジカウンターを回りフロアの入り口まで来ると全員がスクリーンから視線を離し二人を振り返った。ちょうどその近くにいた僕たちは片平と視線が合い笑みを交わす。
「どうぞどうぞ、こちらまで」
司会の声に合わせてサポートをする女性が主役たちをモニター前まで誘導する。近しい友人たちと言うこともあるのか、披露宴以上に二人とも笑みがこぼれていた。時折声をかけられて片平は楽しげな笑い声を上げる。
「披露宴でお疲れのところ集まってくださりありがとうございます。今日のこのお店は奥さんの幼馴染みの店でして、飯も旨いし、デザートも最高で、顔が抜群にいいってところでちょっと嫉妬気味です」
マイクを渡された新郎――陽司さんが低音の甘い声音で茶目っ気たっぷりに話し出すと笑いが広がる。さりげなく紹介された優哉は会場からの視線に小さく笑みを浮かべて頭を下げた。
「お店は今月の初めにオープンしたばかりです。今回が初イベントと言うことで、次もお世話になるために皆さん好印象を残しておいてください。あ、オーナーさんは彼女募集してないので目の色を変えてる女子は落ち着いて。披露宴は大盛り上がりでありがとうございました。祝いの席と言うよりイベント会場みたいでしたねと式場の皆さんに言われました。ええ、楽しいことはいいことです。それと……ああ、えーと、まだまだ話したいんですけど、そろそろ乾杯して欲しい感じですかね?」
「飲み物がない方は話の長い陽司さんを無視して取りにいってください。アルコールもノンアルコールも飲み放題です」
軽快なトークが進む中、司会の人と交わす絶妙な会話がおかしい。そのたびに笑いが沸き起こり、言葉通りに遠慮なくみんなはのんびりとドリンクを取りにカウンターに向かって行く。
なおも話は続いていくが、しまいに片平に話が長いと言われて彼は耳を伏せた大型犬のようになる。
「奥さんに怒られたのでそろそろ本当に乾杯にしましょう」
いまから尻に敷かれてるぞ、大丈夫か、亭主の威厳はどうした、など声がかかり、照れたように笑う陽司さんはとても嬉しそうに見えた。いまこの瞬間が幸せで仕方がない、それがすごく伝わってくる。
乾杯は片平の指名で彼女の担当編集者が名指しされた。穏やかそうなその人は恐縮しながらも祝辞を述べて大きな声で乾杯コールをする。その声に一斉にグラスが持ち上がり、店の中に揃った乾杯の声が響き渡った。
コールが終わると厨房からどんどんと料理が運ばれてくる。日笠さんだけでなく優哉とエリオ、総出で皿が並べられていった。綺麗に並ぶフィンガーフードは色味が鮮やかなだけではなく味もいい。
デザートも豊富で一度手を伸ばせば次へ次へと皿に載せられていく。そして食事をしながらの歓談。主役たちがそれぞれ招待客たちのところへ足を運ぶ。楽しげな笑い声が広がってとてもいい雰囲気だ。
「西やん、ほらもうちょっと食べておきなよ」
「え? ああ」
「優哉にも食べなよって言われたでしょ」
「……言われたけど、なんでわかるんだ」
「そのくらいはわかるよ。気持ちがいっぱいで進まない?」
ぼんやりとこの場の様子を眺めていたら皿の上に一口ピザやサラダなどが盛られる。のぞき込んでくる三島に目を瞬かせれば、なぜだか笑われてしまった。しかし確かに少し幸せに当てられて心の中は色んな思いでいっぱいだ。
祝い事は優哉がいないあいだにも色々あった。あったけれど彼が傍にいるいま、この瞬間に幸せを浴びると心がひどく反応を示す。自分もキラキラとした輝きの中に飛び込みたくなる。
人の想いは時に連鎖して心に幸せの種を落としていく。もう隔てるものがない、目の前の輝きに手を伸ばしていいのだと思うと気持ちが羽が生えたように軽くなる。
「やっぱり思っているより寂しかったんだな」
「なに? 幸せを噛みしめてるの?」
「うん、そうだな。そうかもしれない」
それを認めるのは少し気恥ずかしかったが、この気持ちの浮つきは誤魔化しようがない。四年半分の隙間はどう頑張っても三ヶ月なんかじゃ埋められないのだから、これからもっと噛みしめながら実感していってもいいだろう。
「二人も結婚式とかしたら?」
「は? な、それは、ないだろ」
「どうして? いまはそういうカップルも少なくないんでしょ?」
「んー、まあ、そうだけど」
戸惑う僕とは裏腹に三島はちっとも疑問も抱かずいいと思うのに、と呟きながら皿の上のものを突く。その横顔をしばらく見つめてから黙って僕は手元に視線を落とした。きっと周りは祝福してくれるだろうけれど、なんとなくその気持ちに踏ん切りがつかない。
夢を見るくらいだから憧れはあるのだと思う。彼とそうなりたいって言う願望はあるはずだ。けれどちょっとだけ怖いのかもしれない。また失敗したらどうしよう、なんて気持ちが心の隅っこにある。
もう臆病さはない、そう思っていたけれど漠然とした不安はあったようだ。光には影はつきもの、そんなことを思って息をついた。
「ああ、疲れた。もう帰りてぇ」
「ちょっと峰岸、声が大きい。もう少し我慢しろよ」
「うるせぇなぁ。……ん? センセ? どうした、ぼんやりして」
「えっ? いや、なんでもない。それよりいいのか、女の子たちまだ話したそうだぞ」
「いいもなにも俺はめんどくせぇのは嫌なんだよ」
ふいに顔をのぞき込まれて視線を持ち上げると心配げな表情を浮かべる峰岸がいた。先ほどまで片平の友人たちに囲まれていたのに、どうやら逃げてきたようだ。ちょっと名残惜しそうな目をしている子たちがいる。
「峰岸は僕に遠慮して相手を作らないのかと思っていた。そろそろいいんじゃないのか?」
「……別に、そんなんじゃねぇよ。ただ、いまはちょっと面倒なだけだ」
「ふぅん、そうなのか。僕はもう寂しくないから大丈夫だぞ」
「そういうの、無自覚な惚気」
「いっ、たいな」
指先で額を弾かれて鈍い痛みが走る。けれど見上げた顔はなんだかすごく満足げな顔をしているので文句が言えなくなった。たぶん僕に気を使っていたのは間違いではないのだろう。
僕たち二人が揃っていないと落ち着かない、それを一番口にするのは峰岸だった。怖いなんて言ってる場合じゃなくて、早くこの不器用な男を安心させてあげなくてはいけないなと思えた。
「僕は人に恵まれて、幸せ者だな」
「西やんが幸せだと俺たちも幸せだって思うよ」
「あんたはなにも考えずに笑ってればいいんだ」
「僕にも人の幸せを祈らせろよ。特にお前たち、心配だしな」
「余計なお世話だ」
「心配されるほどじゃないよ」
二人揃って口を曲げる、子供みたいな反応に声を上げて笑えばますますふて腐れた。これからもっと幸せだって思えることを増やして、傍にいる彼らも笑顔でいてくれたらいい。
寂しかったけれど、それでも前を向いて歩いてこられたのは彼らのおかげだ。みんなが僕の傍で笑っていてくれるから、僕も笑っていられた。それを忘れるところだった。幸せになろう、誰よりも。そしてこれからの毎日を笑顔でいよう。
「センセはなんでも顔に出て可愛いな」
「え?」
「決意を新たにって顔だね。俺たちのありがたみをいま感じた?」
「あー、うん」
「正直すぎ!」
「しょうがねぇ大人だな」
両脇の二人は顔を見合わせると吹き出すように笑う。呆れられているのはわかるけれど、なんだかその空気がいいなって自然とつられるように笑ってしまう。周りは少し不思議そうな顔をしているが、視線を持ち上げた先には優しい眼差しがあった。
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