キッチンのオーブンをのぞけば、焼き上がって冷めたクッキーがそのままになっている。取り出してみると焼き色はちょうどいいように見えた。一口かじってみるが味も悪くない。
「よし、いいか」
焼き上がったクッキーの中で綺麗な形のものだけを拾い集めていく。それを小さな小皿に乗せると、今度はやかんを火にかけた。
「佐樹さん、茶葉を探してるなら右上の棚の中」
「ああ、そっか。こっちか……って、のぞくなよ」
キッチンにある後ろの棚を漁っていた僕は、かけられた声に驚いて振り返る。すると優哉がカウンター越しにこちらをのぞき込んでいた。
「ハーブティー?」
「うん、もう夜も遅いしカフェインをとるのはよくないからな。明日が早いならなおさらだ」
棚の中からハーブティーの小瓶を取り出した。去年の暮れに母親がお歳暮でティーセットを送ってくれたのだ。普段は珈琲ばかりだからまだ封を開けていなかった。
一緒に棚から取り出したティーポットに茶葉を入れると、ちょうどよく沸いたやかんの湯を注いだ。本当はポットとカップを温めたほうがいいのだが、いまはとりあえずそれは省いた。
「これでよし」
ティーポットとティーカップを二つ。そして選別したクッキーが載った皿をトレーに載せる。それを持ってリビングに足を向けると僕は優哉を振り返った。
「こっちに来い」
「あ、はい」
呼びかけると優哉は早足にこちらへやって来た。視線でソファに座るように促すと、大人しくそこに腰かける。それを目にとめて僕もその横に腰を下ろし、手に持ったトレーをテーブルに置いた。
三分ほど経ったのを見計らい、蒸らしたお茶をティーカップに注いでいく。
「アップルミントですね」
「うん、これ結構好きなんだ」
林檎の甘い香りとミントのすっきりとしたさわやかな香りがふわりと漂う。カップにそれぞれ注ぐと、それを一つ優哉の前に差し出しその横にクッキーの皿を添えた。
「優哉のチョコレートに比べたら大したものじゃないけど、バレンタインのお返しだ」
「そうか、ホワイトデー」
ふいに顔を上げて優哉はカレンダーを見つめた。時刻はすでに二十四時を過ぎて日付も変わっている。ようやく僕の慌てた意味に気づいたようだ。
「うん、少しフライングしたけど」
「気づかなくてすみません」
僕の言葉に優哉は申し訳なさそうに頭を下げる。きっとお返しが来ることなど想像していなかったに違いない。無防備な優哉の表情に小さく笑ったら、少し頬を染めて彼も笑みを浮かべた。
「いただきます」
じっと見つめる僕の視線に気づいたのか、ちらりとこちらを見た優哉は小皿に手を伸ばした。そしてやや形の歪んだ四角い一口大の市松模様のクッキーを手に取る。ためらうことなくクッキーを口に含んだ彼はそれを咀嚼して飲み込んだ。
「うん、これも美味しい。チョコの部分がちょっとビターでいいですね」
「……そっか、よかった」
「作るの大変だったんじゃないですか? 佐樹さんお菓子なんて作ったことなかったですよね」
ハーブティーを飲みながら、また一つまた一つとクッキーを口に運ぶ優哉を見て、ほっと息をついてしまった。無理をして食べている様子でもないので、本当に彼の口に合ったのだろう。
「うん、練習した。結構頑張ったぞ」
「俺のために頑張ってくれたんだって思うとすごく嬉しいです」
「お前に喜んでもらえて僕も嬉しい」
ふいに顔を見合わせてお互い笑みを浮かべると、自然と唇を寄せ合った。優しく口先に触れた唇はほんのり甘くてミントの香りもする。
なんだか彼の全部が僕だけのものに包まれているようで嬉しくなってしまう。腕を伸ばして優哉の胸元に抱きつくと、僕は満足感でいっぱいになった。
「佐樹さんありがとう」
「どういたしまして」
頬を緩めて柔らかく微笑んだ優哉は僕を強く抱きしめた。そしてすり寄るように僕の髪に触れる。伝わるぬくもりが心地よくて思わず目を閉じてしまった。
些細なことだけど頑張ってみてよかった。こんなに嬉しそうな顔を見られるのなら、またいろんなことにチャレンジしてみてもいいかもしれない。少しでも彼の思い出に残ることをしていきたいな。
「次はもっと頑張る」
「楽しみにしてます」
優哉が笑うだけで僕も本当に幸せだと思えるから、いくらでも喜ばせてやりたいって思う。そんなふくれ上がる想いは無限大になって僕の力に変わるんだ。そうするとそれがたまらなく幸福なんだってことにすごく気づかされる。そして彼が誰よりも愛おしいって改めて思うんだ。
「優哉、いつもありがとうな」
「大したことはしてませんよ。それに佐樹さんのためならなんだってできますよ」
「僕だってお前のためなら」
言葉を紡ぎ終わる前に唇をふさがれた。優しく触れた唇は何度も重ね合わせるうちに小さなリップ音を立てる。甘く濡れる感触に淡い吐息が漏れた。
「佐樹さんにそんなこと言われたらいい気になってしまう」
「なってもいいのに」
両手を伸ばして優哉の髪に触れ、それを梳いて撫でる。気持ちよさそうに目を細める表情を見るともっと触れたいと思ってしまう。余すことなく触れて彼をこの腕に閉じ込めてしまいたい。そんな願望が顔を出す。
「優哉、好きだよ」
言葉に想いを込めて吐き出すと、優哉は僕の左手を持ち上げてそこにそっと口づけを落としてくれた。指先に唇が触れると自然と身体の力が抜けていく気がする。
すべてが満たされた気分になるのだ。彼の想いも僕の想いも一つになったような不思議な気分。それが嬉しくて僕は頬を緩めて笑みを浮かべた。
いつだって優哉は僕の気持ちを丸ごと抱きしめてくれる。もらったものをただ返すだけじゃ足りないくらいだ。
「もっとお前に気持ちを伝えたいのに、全然足りない」
「じゃあ、佐樹さんを全部俺にください。そうしたら全部、俺の中に閉じ込めるから」
「……いいよ。全部、お前のものだから」
腕を伸ばして抱きしめ合うともつれるようにソファに沈み込む。触れるだけじゃない深い口づけを交わせば、心の奥まで彼に触れられたような気持ちになる。もっと欲しいとねだるように抱きしめて、自分から求めるように舌を絡ませた。
「……んっ」
隙間がなくなるくらい抱きしめ合って、何度も唇を合わせると次第に息が上がって瞳が潤み始める。そんな僕を見下ろす優哉は瞳に艶めいた光を宿す。
「佐樹さん、なに考えてるの?」
「お前のこと」
口元から滑り落ちた唇が喉元をくすぐる。そこから伝うように耳元を舌先で撫でられれば、肩が恥ずかしいくらい大きく震えてしまう。けれど流されてしまいそうな感情をこらえてしがみつくと、優哉は優しく背中を撫でてくれた。
「ん、優哉、次はお前の誕生日な。今度は、忘れないから」
「嬉しいです。すごく楽しみだ」
「うん、頑張るから」
まだあと三ヶ月も先だけど、いまからなにをしようかと僕も楽しみになんだ。今度はもっと頑張ってさらに驚いてもらいたい。僕にできること目一杯するからそれまでどうか待っていて。願いを込めてそっと口づけると、優哉は目を細めて幸せそうに笑ってくれた。
贈り物/end
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