冬の日差しが穏やかな午後。時計の針は十三時を過ぎたところを指している。腕の時計を確認し、オープンと書かれたプレートを目に留めると、僕は生け垣に挟まれた石畳の道をゆっくりと進んだ。
そしてその先に現れた小さな白い一軒家を見つめ、思わず笑みを浮かべてしまう。それは夕日色の三角屋根と真っ白い外壁が際立ち、とても可愛らしい佇まいをしている。田舎町のマイホームといった風情だ。
しばらく小さな白い家を眺めてから、僕は石畳をさらにまっすぐと進んで行く。そしてその先にある玄関ポーチに上がり、入り口へと向かう。扉の横には「Felicita~フェリーチタ」と書かれた看板が掲げられている。
その看板の文字を目に留めてから、僕は真っ白な扉に手をかけてゆっくりとそれを開く。そうするとすぐに奥のほうから「いらっしゃいませ」と声が聞こえてきた。
優しい声と共にやって来たのは、白いフリルのエプロンを身につけた日笠さんだ。相変わらず温かい笑顔で出迎えてくれる。
「佐樹さん、こんにちは」
「こんにちは、今日は空いてる?」
「ええ、どうぞ」
にこやかな笑みを浮かべながら、日笠さんは慣れた様子で僕を奥へと案内してくれた。小さなレジカウンターの横を通り過ぎ広いフロアへ行くと、五つ置かれたテーブルは三つすでに埋まっていた。
カウンターテーブルにも一人で来た思われる客が二人ほどいた。テーブル席は若い女性ばかりだが、そこにいるのはどちらも年配の男性のようだ。そのうちの一人は馴染みの客なのだろう。カウンター越しに厨房の中にいる二人と会話をしていた。
「こちらへどうぞ」
ぼんやり店内を見ていたら、日笠さんは僕を左手にある一番手前の席に案内してくれた。僕は肩掛けの鞄を下ろし、コートを脱いでそこにある椅子に腰かける。するとそこはちょうどよく店内がぐるりと見渡せ、厨房の様子もよく見えた。
「ランチはどうなさいますか?」
「今日はなにがおすすめですか」
メニューと水の入ったグラスをテーブルに置くと、日笠さんは小さく首を傾げた。その視線に応えて問いかければ、彼女は自信満々の笑顔を浮かべる。
「芽キャベツとルッコラの生ハムパスタですね。オリーブオイル系のパスタです」
「うん、じゃあそれでBセットで」
「ケーキはガトーショコラがおすすめですよ。濃いめの珈琲を入れますね」
「よろしくお願いします」
ランチのBセットは前菜にパスタまたはピザ、それにケーキやドリンクが付く。ここはパスタだけではなくピザもかなり美味しい。
専用窯で焼いたピザ生地はもちもちした食感で食べ応えもある。ケーキも日によって違うものがあり、食べるのがとても楽しみになるほどだ。
ここには月に二、三度ほど週末の休みに顔を出す。もう三ヶ月ほどだろうか。友人を伴って来る時はディナーの時間に来ることが多いが、ほとんどはランチ時に一人で来る。
「ここ数日は暖かい日が続いていますね」
「ああ、積もった雪も溶けて動きやすくなりましたよね」
穏やかな日笠さんの声に顔を上げると、小さなカップに入ったミネストローネがテーブルの上に置かれた。温かな湯気を立てるそれを引き寄せながら、僕は店に明るい日差しを注ぎ込む出窓を見る。
二月の半ば、先週のことだがかなりの大雪が降った。積もるほどの雪は二日くらい降り続け、道行く交通機関をかなり麻痺させてくれた。けれどここ数日は暖かい日が続き、道の脇に積もったままだった雪がすっかり消えてなくなったのだ。
「そういえば佐樹さん、来月はお誕生日なんでしょう?」
「え?」
「オーナーがこのあいだぼんやり考えごとをしていましたよ。楽しみですね」
驚いて目を丸くした僕の顔を見ながら、日笠さんは優しく目を細めて笑った。その暖かな眼差しに頬がじわじわと熱くなったような気がした。
この顔のほてりは間違いなく目に見えて顔が赤くなっているだろうことがわかる。そんな僕に「ごゆっくり」と柔らかく微笑むと、彼女は僕のテーブルから離れほかのお客たちのもとへ歩いて行った。
「仕事場でぼんやりするとか恥ずかしいやつ」
視線を持ち上げ厨房の中へと目を向けると、てきぱきと無駄な動きもなく作業している人の姿が見える。中にいるのはコックコートを着た二人の年若い青年たち。
二十代半ば過ぎの青年はエリオだ。いつも笑顔が明るくて、快活な彼はこの店のムードメーカーでもある。人なつっこい性格でお客たちともすぐ仲良くなってしまう。彼が笑っていると自然と周りも笑顔になれる。
そしてもう一人、すらりと背が高い黒髪の青年は優哉、この店のオーナー兼シェフ。僕の恋人。彼は涼しげな目元と相まって、黙っているとすごくクールだと思われがちだ。けれど笑うと優しくて温かい表情を浮かべるのを僕は知っている。
「そういえば、祝ってもらうのは初めてだな」
初めて出会ってから十年、付き合うようになってから五年、もうすぐ六年目だ。しかしそのうちの四年ちょっとは傍にいなかったので、そういえば誕生日をお互いちゃんと祝ったことがない。
僕の誕生日は三月、彼の誕生日は六月だ。僕は一度、祝う機会があったにもかかわらず、知ることもせずに過ごしてしまったことがある。あれは正直痛い思い出だなといまでも思う。黒い歴史の一つだ。
「誕生日か、あんまり意識したことなかったけど。生まれた日は大事だよな」
基本的に僕はイベントごとにうとい。かろうじてクリスマスは忘れないが、バレンタインは完全に頭になかった。十四日の朝に手作りのチョコレートをもらってようやく思い出したくらいだ。
「そうだ、ホワイトデーになにかお返ししないと」
僕の誕生日よりも前にチョコレートのお返しができる。我ながらかなり機転が利いているのではないだろうか。せっかく思い出したことを忘れないようにそれを手帳に書き込むことにした。
「優哉の誕生日は六月十、四日だったな」
見落とさないように大きく丸を書いてホワイトデー、誕生日と書き込んだ。これでうっかり忘れても手帳を見れば思い出すだろう。
「なにを返せばいいのかな」
ホワイトデーのお返しなんていままでデパートに陳列されているそれ専用のお菓子くらいだった。しかし優哉に返すのはそれでは納得がいかないような気になった。
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