随分と懐かしい姿だ。
真っ白なブレザーにえんじ色のネクタイ。
すらりとした長身に制服がよく似合っていた、高校時代の優哉。
そういえば、あの頃はまだ名前で呼ぶなんてできなかった。
『藤堂』
一歩前を歩く彼に呼びかけたら、ゆるりと振り返る。
わずかに逆光で表情が少しわかりにくいけれど、なぜか優哉はこちらを見て苦笑していた。
『佐樹さん、寝ぼけているんですか?』
「……え?」
二つの声がダブって聞こえるような感覚。
自分を覗き込む気配に気づいて、僕は夢から覚めたのだと気づいた。
「おはようございます」
「おは、よう」
「どんな夢、見てたんですか?」
「んー、高校時代の優哉。寝言、言った?」
「急に昔の名前で呼ばれるから、ちょっとだけ驚きました」
重たいまぶたを擦りながら体を起こしてみれば、優哉はすでに着替えていた。
僕が寝間着である、トレーナーとスウェットを着ているので、寝落ちたあとに着替えさせてくれたのだろう。
昨夜は途中までしか覚えていない。
自分だけ達して寝てしまったような気がするのだが、優哉はちゃんと満足できたのか。
「優哉、昨日……」
「大丈夫ですよ。最後まで気持ち良くしてもらいました」
「ん?」
ベッドの端に腰掛けた優哉が、チュッと小さく頬へキスをしてきて、なんとなくうやむやにされた。
しかし予想はつく。
おそらく意識だけ落ちた僕が、最後まで彼の相手をしたのだと思う。
寝ぼけたままというパターンは、恥ずかしながらこれまでにも何度かあった。
「そろそろ起きないと、ゆっくりご飯、食べられないですよ」
「うん」
若干熱くなった頬や、寝癖のついた髪を優しく撫でられ、僕は視線を落としつつ頷く。
恥ずかしくていたたまれない気分を察した優哉は、ぽんぽんと僕の頭に触れてから部屋を出て行った。
「はあ、なんかやらかしてないといいな。優哉が満足してるなら、いいんだけど。でも身に覚えがないと不安だ」
ひとしきりため息を吐いてから、僕はのろのろとベッドを抜け出す。
体はわずかにだるいが、仕事をしていればそのうち気にならなくなる程度だった。
毎回、優哉の配慮に頭が下がる。
お互い休みが合わないので、二人一緒に過ごせる確実な休みは冬くらい。
「来年は温泉に行きたいな」
いまは夏が過ぎたばかりなので、気が早いと言われれば確か。
とはいえ早めに目星を付けて予約をしておくのもありだ。
「なあ、優哉。年末年始の休みの予定だけど」
身支度を調えて、キッチンにいる優哉へ声をかけたら、すぐに返事が返ってきた。
「温泉のある宿に、一泊か二泊しようって言っていたやつですか?」
「あっ、覚えてたんだな。そうそう。どこかいいところ、もうピックアップしてもいいかなと思ったんだけど」
「俺が探しておきますよ。今日は休みだから、良さげな雑誌も見繕ってきます」
「助かる」
オープンキッチンの前にあるカウンターテーブルにつくと、自分でカップにコーヒーを注ぎ、僕は日課である新聞を手に取る。
コーヒーを片手に持ち、ざっと新聞へ目を通しているあいだに、食卓が整った。
「なあ、優哉」
「どうしたんですか、急に深刻な声を出して」
隣の椅子に腰掛けた優哉が僕の声に驚いた顔をする。
「いや、そろそろ僕も、老眼かなぁと思って」
「……なるほど、新聞の文字が読みにくくなってきたんですね。でも老眼には少し早いような。次の休みにでも眼科に行ってきたほうがいいですよ」
「視力が下がった、かな」
「その可能性は高いですね」
「優哉って視力いくつ?」
今日の優哉は仕事ではないので、コンタクトレンズをしていない。
厨房に立つと眼鏡が汚れやすいため、どうしてもつけないといけないが、普段は眼鏡が楽だと言っていた。
海外で仕事をしていた際、普段使いをしていた延長で、帰国してからもコンタクトだった時期がある。
ただ僕がなにげなく眼鏡姿の優哉が好きだな、と言ったら休日はこのスタイルに変わった。
スタイリッシュなメタルフレームの眼鏡がよく似合う。
染めたことのない真っ黒な髪の毛と相まって、知的な雰囲気が良い。
高校生だった時と比べ、髪の毛は少し長めだけれど。
最初の頃――ユウ時代――の印象と重なるので、違和感は特にない。
「結局優哉なら、なんでもいいんだよな、僕は」
「それは嬉しいですが、俺の話は聞いてました?」
「んんっ、悪い」
ぼんやりと優哉に見惚れていたら、自分で質問をしたのに話を聞いていなかった。
「まったく佐樹さんは、一つのものに集中すると周りが見えなくなる」
「ご、ごめんって。つい、優哉の顔に見とれちゃって」
「俺の顔がそんなに好きですか?」
頬杖をついて、首を傾げてみせる優哉に胸がドキッとする。
わざとらしく目を細める仕草さえ、大人の色気を窺わせ、僕は自分の頬がじわじわ熱くなるのを感じた。
「す、好きだ。優哉の顔も、声も、仕草も」
「素直で可愛いですね。お利口さんな佐樹さんは、ご飯を食べましょう」
しどろもどろに応えたら、にっこりと笑った優哉にプチトマトを唇に押し当てられた。
そこで時間に気づき、僕は視線をテーブルにある時計に向ける。
「んぐっ、やば……、食べる、食べる!」
どれだけ僕はぼさっとしていたのか。
なるべく朝は余裕をもって行動をしたいのに、プチトマトをくわえて、新聞をテーブルの端へ置いた僕は朝食と向き合う。
「いただきます」
「どうぞ、召し上がれ」
慌ただしい僕の様子に小さく笑った優哉は、優雅にコーヒーカップを傾ける。
彼は朝食を先に済ませている場合がほとんどだ。
僕がゆっくり新聞を読んだり、のんびり食事したりできるようにだと思う。
「コーンスープがおいしい季節になってきたな」
皿がほぼ空になりかけたところで、程よい温かさのスープが出される。
きちんとコーンを漉して作っている、彼の手作りスープは身に染みるうまさだった。
「晩ご飯のリクエストはありますか?」
「うーん、そうだなぁ。久しぶりにカレーが食べたい」
「カレーですね。だったら……シーフードでもいいですか?」
「もちろん」
「じゃあ、出かける前に煮込んでおきます」
休みの日、優哉が家でのんびりしている姿はほぼ見た覚えがない。
相変わらず余暇を自分に使うのが下手だ。
日中を家事雑事で済ませたら、その後はきっと仕事の用事で出かけるのだろう。
優哉の交友関係をあまり知らないので、高校時代のメンバーや職場関係しかわからない。
友達が増えたりとか――忙しすぎてなさそうだな。
もっとだらだらしたらいいのに、と言ったことはあるけれど。
寝て一日が終わりそうだし、活動バランスが乱れそうで、と返された。
学生の頃、低血圧で朝が起きられなかった状況と比べたら、マシと言えるのか。
きっちり計画を立てて動くほうが、自分を保ちやすいタイプなのかもしれない。
働き過ぎではと、些か疑問を覚えるものの、健康を害さなければいい。
「佐樹さん、そろそろ」
「うん」
食器を片付けていた優哉が時計を見て促してくる。
出勤準備が完了したので、僕がリビングのソファに置いていた鞄を手に取ると、優哉もキッチンから出てきた。
「寒くないか?」
「ロビーまでだから、大丈夫ですよ」
優哉は朝、決まって下まで見送りに出てくれる。
おかげで最近はマンションの奥様方に、にこやかに挨拶されるようになった。
いまも外廊下ですれ違った、同階の奥様に「今朝も仲良しですね」なんて微笑まれたところだ。
優哉が一緒に住むようになって、しばらくは怪訝な顔をされたけれど、彼のよそ行きモードのおかげで皆、なにも言わずに見守ってくれている。
当初は恥ずかしかったが、もうすっかり慣れてしまった。
それもこれも、臆面もなく優哉が僕の手を握っているからだ。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
一階ロビーでエレベーターを降りて、手が離れる間際、そっと優哉の唇が頬に触れるのも、もはやお決まり。
さすがにこれは慣れないので、どうしても僕の頬は熱くなる。
いつもの如く、僕の視線がうろついたのを見た優哉が小さく笑う。
「帰るとき、メッセージを送るな」
「はい、俺はもしかしたら帰りが遅くなるかもしれないので、その際に伝えますね」
「うん。じゃあ」
姿が見えなくなるまで優哉はロビーに立っているから、今日も少しだけ早足に僕は駅へと歩くのだった。
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