今年もあと数時間――そんな夜に、悲鳴のような声が響き渡る。
その声に志織が脱衣所を覗くと、体重計の上で恋人が蒼白な顔をしていた。さらには悲愴な顔で見つめてくる。
「雄史、どうかしたのか?」
「う、う、……体重が、三キロも増えてます」
「え?」
「ご飯がおいしくて、最近食べ過ぎたかも」
「三キロ、……って」
正直言うならば、たかが三キロだ。
バスタオルを腰に巻いた半裸の雄史は、まったく太っているように見えない。しっかりと割れた腹筋。胸板も腰回りも、無駄な脂肪は一切ついていなかった。
贅肉が増えたと言うより、筋肉量が増えたのではないかと思う。けれど本人にしてみると、由々しき事態のようだ。
普段から筋トレや運動に励んでいるので、身体の管理を徹底しているためだろう。志織はあえて言葉に出さずに肩をすくめた。
「ご飯、減らすか?」
「ええっ!」
「脂質の少ないメニューにするとか」
「うー、でも志織さんのおせち、……食べたい」
「じゃあ、冬休みくらい気を抜いて、休みが明けてからにしたら?」
まるで子犬が鳴き声を上げる寸前、のような顔。それは子供みたいでひどく愛らしい。
格好良さが一ミリもないわけではないが、やはり志織から見ると、可愛さが先に立つ。しかしそれを言うと拗ねるので、あまり口にはしない。
「少し運動量、増やします」
「さっきもジョギング、五キロ走ってきたのに? 大晦日の夜に走ってるのは、雄史くらいだと思うぞ」
「いや、あの、でも、このところサボり気味だったし」
「……雄史の底なしの体力って、こういうところから来てるんだな」
「えっ! それってもしかしなくても、夜がしつこいって」
「そういうことは言ってないだろう。ほら、湯冷めするから着替えろ」
しょぼんとした顔に、つい笑いが込み上がる。そうするとふわっと表情がほころんで、勢いよく飛びついてきた。
まるで大型犬――と思うけれど、じゃれつくようにキスをしてくる、彼を志織は優しく受け止める。
だが次第に、ついばまれる唇に熱が灯り始めた。舌先で催促されて、口を開けばするりと舌が滑り込む。
それに志織が舌を絡め返すと、腰に腕が回りきつく抱き寄せられた。
「んっ、……雄史」
引き寄せられると少しばかり身体が傾ぐ。いままで志織はキスを仕掛けることがあっても、キスをされることは少なかった。
ましてや最初の頃は、自分が受け手に回ることなど想像もしていない。
しかしまっすぐな瞳で見つめられると、頷かずにはいられなかった。ただし――時と場合にもよる。
「志織さん、したい」
「馬鹿、このあと初詣だろう」
「あっ、ご、ごめんなさい。そっか、料理の途中ですよね?」
「うん。とりあえずそれ、治めてやるから我慢しろ」
「は、はい」
キスだけで張り詰めた、雄史の熱を指先でなぞれば、真っ赤な顔をして肩を跳ね上げる。これではまるで、志織のほうが襲いかかる狼だ。
視線を合わせたまま、タオル越しに唇を這わせて、きゅっと根元を握る。意地の悪い志織の仕草に、彼は小さく口を尖らせた。
「志織さんの、えっちな顔を見てるだけで、俺……やばいです」
「こらえ性がないな」
「えっちな志織さんが悪い」
昂ぶった熱を押しつけてくる彼に、小さく息をつく。火は、止めてきた。時間を置きすぎて、困るものはなかったはずだ。
バスタオルを解いて、ゆっくりと志織は口を開き、硬くそり立つ熱を口に含む。それとともに無意識だろう手が、頭を押さえつけ、喉の奥に当たった。
「はあっ、んっ……ご、ごめん、志織さん」
「平気だ」
腰を使われて、少しだけ志織の眉間にしわが寄る。けれど慌てて腰を引こうとする、彼を両手で引き止めた。さらには含んだものを離さず、たっぷりと舌で愛撫する。
「まっ、待って、それすぐに」
「一回抜いて、一寝入りしろ」
「ふっ、……ぁっ」
喉の奥で搾り取るように締めつければ、あっという間に吐き出す。口の中に苦みのあるものが広がるけれど、そのまま飲み下した。
「し、志織さんっ! 料理してたのに、飲んじゃって平気? 味が……」
「ああ、まあ、ゆすいどく。それより風邪を引くから。向こう行って着替えてこい」
「は、はいっ」
焦ったように覗き込んでくる顔を掴んで、そっと鼻先にキスをする。そして身体を押しやって、追い立てた。
すると自分の格好に恥ずかしくなったのか、雄史は慌てた様子で駆けていく。しかし部屋に入ったのと同時に、悲鳴が聞こえた。
「にゃ、にゃむ! 爪立てないで!」
相変わらず彼は志織の愛猫に、手厳しい扱いをされている。顔を見れば威嚇するし、噛みつくし。
けれどクリスマスにもらったプレゼントは、文句を言わずにつけていた。俗に言うツンデレ、と言うやつかもしれない。
そんなことを思いながら、志織は洗面所で口をゆすぐ。
「雄史! いまのうちに少し寝ておけよ。起きたら年越し蕎麦だ」
「はーい!」
あの調子ではどうせ帰ってきたら、ベッドに直行だ。途中で力尽きられても、困る。かなりペースに巻き込まれている気がしたが、志織的には彼に抱かれるのは悪くない。
むしろ雄史だからいいと、思ったからこそだ。
「もう少し量を増やすか。一晩がっついたら腹を減らすよな」
台所に戻った志織は、作りかけのおせちを見て、腕を組む。
黒豆、伊達巻き、栗きんとん、数の子、茶碗蒸し、ぶりの照り焼き、茹で海老、マグロとアボカドの和え物。
鶏のチャーシュー、ローストビーフ、煮豚。
あとはなにを足そうかと首を捻る。
冷蔵庫を覗いて、冷凍しておいた刺身と、そぼろを見つけた。そぼろは卵を炒って二色丼。いくらと甘エビも使って手鞠寿司。
「足りなかったら雑炊でも作るか」
いつも見ているだけで、腹がいっぱいになるくらい食べているのに、あれだけの体重増加で済んでいるのは、ある意味奇跡だ。
それだけ代謝がいいのだろうが、やはり普段の運動量か。一日、何キロカロリー消費しているのか、知っておく必要がありそうだ。
「カロリー管理も覚えるしかないな」
やることが増えるのは、面倒どころかわくわくと楽しくなってくる。元より志織は、新しいことを覚えるのが好きだ。
それプラス、恋人の喜ぶ顔があれば言うことはない。
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