行き当たった考えに、雄史の口が無意識に口が引き結ばれる。別に彼が自分だけを構ってくれていると、うぬぼれていたわけではない。
そう思うものの、急に見知らぬ誰かに志織を取り上げられたような気分になった。
「やっぱり志織さん、彼女いるんですか?」
「……やっぱり?」
「いや、いないほうがおかしいなって、思ったから」
「彼女は、いないな。欲しいとも思わないし」
「そうなんですか? じゃ、じゃあ、カフェ巡りは、お友達と?」
「うん、まあ、あと母親とか」
「そうなんだ」
少し返事を濁したように感じたけれど、そっぽを向いたベクトルがこちらへ戻ってきたような気もする。
沈みかけていた機嫌が一気に浮上して、雄史は見えないしっぽをぶんぶんと振った。
「雄史は、笑ってるほうがいいよ」
「え?」
「いま、すごい眉間にしわが寄ってた」
「す、すみません。別になにか志織さんに対して、不満があったわけじゃないんですけど」
頬杖をついた彼に指先を向けられて、慌てて雄史は額に手を当てる。それほどわかりやすく顔に出ていたのかと、恥ずかしさのあまり頬が熱くなった。
それでもまっすぐにこちらを見る瞳が、優しさを含んでいるのに気づくと、少しばかりほっとする。
そんな浮き沈みに翻弄されているあいだに、二人の元へケーキと紅茶が運ばれてきた。
写真で見るよりもボリュームのあるそれに、雄史の瞳がまた輝く。
手元にやって来たショコラのロールケーキは、ココアスポンジがふんわりとしていて厚みがある。
真ん中にはチョコレートクリームがたっぷりで、ソフトクリームのように角立っていた。そのクリームには、チョコチップがふんだんに散りばめられている。
志織が選んだ苺のロールケーキは、カステラのようなスポンジだ。
黄み色が強くて目が細かい、普通のスポンジと明らかに違うのがわかる。表面がこんがりとした色になっていて、こちらも真ん中で生クリームがつんとしていた。
外側にカットした苺が添えられているけれど、おそらくクリームの中にも入っているのだろう。
「おいしそうっ! あっ、こっちも写真、撮りますか?」
素早くフォークを握ってしまった雄史の前で、志織はスマートフォンでケーキの写真を撮っていた。
それに気づいて顔を上げると、手にしたものを下ろしておずおずと皿を差し向ける。すると彼はふっと吹き出すみたいに小さく笑い、瞳を和らげた。
「うん、ちょっとだけ借りるな」
「どうぞどうぞ、いくらでも」
「……、もう、いいよ。食べな」
「いいんですか? ほんとに食べちゃいますよ?」
カシャリカシャリと数枚、写真を撮るとすぐに皿が戻される。それと彼を見比べて雄史は念を押した。
けれど何度もうんうん、と頷かれて、フォークを握り直す。そしていただきますの声とともに、切り分けたケーキは口の中へと吸い込まれていく。
「んーっ、ショコラクリームにビターチョコがアクセントになっていていいですね。スポンジ、ふわっふわ。クリームこんなにたっぷりなのに、しつこくないです」
「うん、こっちもうまい」
「これは、ほかのものも食べたくなっちゃいますね!」
「食う?」
「いただきます! 志織さんもどうぞ」
そっと差し出されたケーキに、ペーパーナプキンで拭ったフォークを向ける。中まで掬ってと言う志織の言葉に深めに差し込めば、ごろっとカットされた苺が出てきた。
こぼさないように手の平を受け皿にして口元に運ぶと、甘酸っぱい苺となめらかな生クリーム、濃厚な甘みのスポンジが口の中で幸せを作る。
「これ、この、スポンジいいです! ぎゅって、ぎゅってしてます」
「……っ、雄史がいると、色々とわかりやすくていいな」
「笑わないでくださいよ」
「悪い。……でも楽しくていいよ」
「たの、しい、ですか?」
「ああ、すごく」
「そっか、んふふ、えへ、……ってなんか俺、気持ち悪い!」
思いがけない言葉をもらって、雄史の口から奇妙な笑いがついて出た。
それに気づいて自分自身にツッコミを入れたら、目の前の人はこらえきれないとばかりに、手の平で口元を覆う。
肩が震えるくらいの笑いをこらえているのに、馬鹿にされたような気持ちにならないのは、なぜだろう。
それどころか笑っているその顔がいいなと、思ってしまう。
「俺も、志織さんといるのすごく楽しいですよ」
「……ふぅん、そうか。彼女は、もういらないの?」
「えっ?」
「こうやってカフェで、一緒にケーキを食べてくれるような」
「あー、いまは、別に欲しいとは思わないです。ケーキは志織さんと、こうして一緒に食べられるし。彼女ができちゃったら、あのカフェに行けないじゃないですか。俺、毎日あそこで志織さんに会うのが楽しみ、……あ、れ? あ、いや、ご飯を食べるのが、……ケーキが」
ふいに自分の口から出た言葉に雄史は戸惑う。慌てて言い直すけれど、その言葉もすぐに途切れてしまった。
口に出すべき次の言葉を考えるが、頭の中でぐるぐるとなにかが渦を巻いているようで、なかなか先が続かない。
思考が止まってしまったような感覚に、焦りを覚えた。しばらく固まっていると、カチャリとフォークが皿に置かれる音が小さく響く。
「雄史は、俺といるほうがいいのか?」
「……あっ、は、……い。ごめんなさい。変なこと言いました」
調子に乗って言葉にしてしまった、それを後悔する。
冷静になって考えてみれば、少しばかり親しい程度の間柄で、ただの店の客で――しかも男相手に、会うのが楽しみだと言われるのはどういう気分なのだろう。
そんなことを思って、胸がひどくざわめき始める。
「雄史」
「すみません、あの、俺」
「そんなに俺といるのがいいなら、付き合う?」
「……え?」
「そういう意味で、俺はあんたがいいなって思ってたんだけど。そういうのとは違う?」
「付き、合、……う?」
それは例えるならば、ふいに頭の上から爆弾が降ってくるような感覚。そして大きな音を立てて爆発したそれで、なにもかもが吹き飛ぶような衝撃だ。
先ほどまで食べていた甘ったるいクリームの味も、自分の失言さえも忘れてしまうほどの威力があった。
窺うような視線を向けられて、雄史は口を半開きにしたまま、置物のように固まってしまった。
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