《閑話》穏やかなある日の風景

賑やかな目覚め

 ウトウトと浅い眠りから覚めると、すぐ傍から可愛らしい子供の笑い声が聞こえてきた。
 朝から元気に騒いでいる我が子をたしなめているのは、毎日聞いていてもうっとりとしてしまいそうな、聞き心地のいい優しい低音。

 しばらくそのまま、二人の様子に耳を傾けていたかったリトだけれど、どうやら寝たふりはバレてしまったようだ。

「母さま、おはよう」

「リト、起きたのか? 騒がしくてすまないな」

 父親の腕から飛び降りた幼子はベッドに駆け寄ると、ひょこりと端から顔を覗かせる。
 ピクピクと動く丸みがある耳と、クリクリの黄金色の瞳に、リトは思わず顔をほころばせた。

「レヴィー、ロヴェ、おはよう」

 ふわふわのオレンジブラウンの髪を撫でれば、リトとロヴェの長子である、レヴィーことレヴィアンは嬉しそうにはにかんだ。
 生まれる前からその姿を見てはいたものの、驚くほどに父親とうり二つである。

 現在四歳になったレヴィーを見ていると、きっと幼い頃のロヴェもこんな感じだったのだろうなと、リトはひどく微笑ましい気持ちになった。
 本当にたまらなく可愛くて、すっかり我が子にメロメロになっている。

 こしょこしょと頬を撫でたら、無邪気にキャッキャと笑う姿も、悶えそうなほど可愛らしい。

「リト、俺には?」

「ふふっ、大きな子供ですね」

 ベッド脇まで来て身を屈めるロヴェに、思わずリトは笑ってしまった。
 それでも愛しい旦那様の機嫌を取るのも大事なことだ。少し身を起こして頬へ口づけると、まるでレヴィーのように目を細め、柔らかに笑った。

「今朝の具合はどうだ?」

「特に問題はないです。寝覚めもいいし、気分もいいです」

「二度目とはいえ、こんな細い体に子が育っているのは、不思議に思えるな」

「もう七ヶ月を過ぎたのに、お腹はさほど目立たないですよね。レヴィーの時もそうだったけど」

 ロヴェがヘッドボードに枕を立てかけてくれ、体を起こすとリトは自身のお腹を撫でた。
 レヴィーは安定期を迎えて、三ヶ月を過ぎた頃に生まれた。もし同じくらいの早産であれば、あとひと月過ぎたら、腹の子も生まれてくる可能性がある。

 男性体は長く胎内に留めておけない、と前もって言われていても、一度目は妊娠に気づいてからあっという間に思えてしまった。
 前回はリトもロヴェも初めてのことで、かなり慌てふためいた感じはあったが、いまはわりと落ち着いてその日の準備をしている。

「僕の妹にもうすぐ会えるね」

「この子はやっぱり女の子なの?」

「そうだよ!」

 ロヴェにベッドへ上げてもらい、小さな手でお腹を撫でているレヴィーは、少し前から腹の子は妹だと言い張っていた。
 生まれる前からリトたちの所へ会いに来てしまう、少々特殊な子供。加え、どことなく勘の鋭い面も持ち合わせているので、可能性としてはあり得る。

「僕、お兄ちゃんになるんだ」

 ぴったりとお腹に頬を寄せて嬉しそうに笑う姿に、リトはロヴェと顔を見合わせて苦笑してしまった。
 いまは両親二人にべったりで、甘えん坊なレヴィーが兄になるのだと意気込んでいるが、大丈夫だろうかという思いがある。

「レヴィアン、妹が生まれたら母さまは、あまりお前に構っていられないぞ?」

「……僕はいい子にできるもん」

「そうか、ならば、妹のために立派な兄になるよう、頑張らなくてはいけないな」

「僕は父さまより格好いい獅子になるんだから!」

 拗ねてぷぅっと膨らんだレヴィーの頬。
 先日の件を根に持っているのだろうと、リトは忍び笑いをした。

 ロヴェと夜に二人の時間を過ごしていた時、寝付けなかったらしいレヴィーが珍しく寝室にやって来た。
 普段から家族でよく頬へ口づけし合うが、なにやら両親がとびきり仲良くしていると感じたようだ。ゆえに「僕と父さま、どっちが好き?」とリトに詰め寄ってきたのだ。

 夫としてロヴェが一番で、我が子としてレヴィーが一番と答えたものの、結局どっちが上なのかと最後まで引かなかった。
 仕方がないのでロヴェは旦那様で番として愛しているので、ちょっとだけ父さまのほうが上かもしれないと答えたのだった。

「レヴィーもいつか番に会えるよ」

「うん」

 いまもまだレヴィーに番紋は現れていないので、未来の伴侶に出会うのはもう少し先のようだ。
 幼い頃から絵本などで、獣人や番に関しては色々と学んでいる。

「さあ、レヴィアン。母さまが起きたから食事にするぞ」

「はーい」

 ロヴェの言葉を聞いて、ぴょんとベッドから飛び降りたレヴィーは、小走りで部屋の扉まで駆けていく。
 機嫌良さげな尻尾が揺れて非常に愛らしい。

「リト、手を」

「ありがとうございます」

 身支度を調え、大きな手に支えられてベッドから降りれば、そっと肩に上掛けを掛けられる。
 袖に腕を通すのを見届けたロヴェは、さりげなくリトの腰へ手を回し、隣室へ向かい歩き出した。

 普段であれば彼はとっくに執務をしている時間なのだが、リトが朝食をとれるようになると、三人一緒に揃うようにしてくれたのだ。
 具合が悪いときはレヴィーと二人で食事をしてくれ、日中も寝込んでいれば息子を膝の上に載せ、執務をしていたと聞く。

 絶対に自分の一番はリト以外あり得ない、と言い張っていたロヴェだけれど、なんだかんだとレヴィーの面倒をよく見てくれる良き父である。

「ダイト、抱っこ! 椅子に座りたい」

「はい、レヴィアン殿下。失礼します」

 隣室へ行くと、朝食用の食卓テーブルで、いつものようにレヴィーがダイトにせがんでいるところだった。
 そして間を置いてから部屋にやって来た、リーフィス侍女長がテーブルに皿やカップを置いてくれる。

 部屋の中にミリィの姿が見えないが、ここ数ヶ月ほど休暇中だ。
 これまで国王に番がおらず、子も望めない状況だったゆえに、ロヴェに近しい者たちは色々と控えていた。

 おかげでレヴィーが生まれてから、王宮は育児休暇の申請が続いている。
 人手不足になるほどではないものの、明らかな出産率の上昇にロヴェは驚いていた。それと共に、少しばかり申し訳なさそうな顔もしていた。

 だが慶事が続くのはいいことだと、リトが諭したからか。
 近頃は仕事と育児を両立したい部下のため、なにやら新しい施策を考えているようだ。

「レヴィアン、好き嫌いしていては立派な獅子になれないぞ」

「……父さまはこれ好きでしょう? 僕のあげる」

「父さまがお前の歳の頃、好き嫌いなんてなかった」

 皿の野菜をこっそり避けた、レヴィー見ていたロヴェはフォークに刺して、小さな口へ向ける。
 ムッと口を引き結ぶ様子にリトは笑ってしまうが、母に笑われたのが恥ずかしかったらしく、レヴィーは侍女長を振り返った。

「嘘だぁ! リー、ほんと?」

「本当でございます。陛下は幼い頃から好き嫌い一つなさいませんでした」

「うぅ、だってこれ、味があんまりしないからおいしくない」

 レヴィーは味のはっきりした食べ物を好むので、あっさりとした味の野菜類を食べたがらない。
 あまり調味料ばかりを使って食べさせるのは体に良くないが、子供のうちは仕方ないものなのか。

「ほら、もう少しだけソースをかけてやるから、半分でも食べなさい」

 野菜用のソースを付けたし、再びロヴェが口元へ持っていくと、レヴィーは渋々口を開く。
 顔はものすごく不本意そうではあるけれど、眉間にしわを寄せながら食べる我が子は、あまりに可愛すぎた。

 傍に控えている従者たちも皆、ほっこりとした気分になっているだろう。

「父さま、お仕事、頑張ってね」

「ああ、行ってくる」

「ロヴェ、いってらっしゃい」

 食事が済むとすぐにロヴェは執務室へと向かう。
 脚に抱きつくレヴィーの頭を優しく撫でてから、彼はリトの頬へ口づけをした。

 毎日の日課を済ませて見送るときは、父の背中が見えなくなるまでレヴィーは廊下を覗いている。
 その後ろ姿が寂しげに見え、リトはとても愛しさが溢れる感じがした。

「レヴィー、着替えたら温室へ行こうか」

「うん。今日、エルは来るかな?」

「んー、どうだろうね。来るといいね」

 リトの体調が悪くない限り、ロヴェが執務へ向かったあとは、レヴィーと庭園の温室に行くことになっている。
 獅子の宮殿でなにか起こる可能性はほぼないとはいえ、身重の番と幼い我が子を安全な場所へ置いておきたいに違いない。

 温室の外では白の騎士団、温室内では管理をしている者たちが控えており、急な体調変化にも備えられていた。
 いい運動にもなるため、リトも積極的に散歩がてら行くようにしている。

「母さま、お手をどうぞ」

「ふふ、ありがとうございます。素敵な獅子さま」

 父を真似ているのか、小さな手を差し出されたので、優しく握り返したリトはレヴィーとともにのんびりと温室へと向かった。