祝祭と冬の花
小さな三十数人程度の村から王都へ出てきて、リトの世界は物理的にも精神的にも一気に広がった。
育った場所は過疎化した村――というよりも、本来は管理の行き届いた隣村へ移住しなければならないのに、そのまま居着いた者たちが暮らす集落だった。
人が少ないので暮らす者は皆家族と変わりなく、森や農地もあり平和で穏やかで、多少の不便があっても村から離れたくない気持ちは理解できる。
だが若者は仕事や出会いを求めて村を出て行くため、リトが村の最年少だった。
自分はここで一生を終えるのでは、と思っていたリトに変化が訪れたのは、自身を育ててくれた祖母が亡くなってからだ。
若いのだから外の世界で色々と経験し成長するいい機会だと、村でよく世話をしてくれたマーサという女性が王都行きを支援してくれた。
「リト、仕事はもう慣れたか?」
「おかげさまで毎日充実しているよ。タットはこれからお昼? 随分と遅いね。昼の十二刻をだいぶ過ぎてるのに」
宿の食堂で給仕をしていたリトはかけられた声に振り向き、そこにいた人物に笑みを浮かべた。日に焼けた肌に赤茶けた髪と瞳を持った青年は、タット・ビリュー。リトを王都へ送り出してくれたマーサの末息子だ。
こちらへ来てからタットはあれこれと世話を焼いてくれて、いまも時折こうして様子伺をしてくれる。気さくなだけでなく二つ上と歳が近いので、リトにとっては気楽に付き合える相手だ。
仕事の途中らしいタットは、船着き場で働く職員の制服を羽織っていた。
普段から丸首のシャツ、ズボンにブーツというラフな服装だけれど、勤務中は袖と裾に金色の二重ラインと、背中に国の紋章が描かれたジャケットを着ている。
汚れても目立たないよう、ジャケットは鈍色が使われているのだが、流行の型を取り入れた制服は洒落ていて評判が良い。
リトも制服姿の人を見かけると素直に格好が良いなと思う。
近年、国の役職に就く者たちの制服が一新されたらしい。
一目で従事者だとわかるよう、紋章入りになったのが大きな影響だとタットが以前、話していた。他国の人間に平民だからと乱雑に扱われなくなったとか。
「来月は陛下の生誕祭だろう? 商売、観光がてら前乗りしてくる船が多くてな」
「国王陛下の誕生日は二の月なんだね。ロザハールは暖かい気候だから、冬のいまも他国に比べたら過ごしやすいもんね。誕生日の前後は街に冬の花が飾られるんでしょう? 僕も見てみたいなぁ」
冬の花と呼ばれる真っ白な花弁を持つ花は、ロザハールでしか咲かない、国が一手を担い生産をしている国花だった。
国の始祖である獅子ロザハールが、最愛の番〝メイヴィー〟の死を悼み、始まりの地に咲かせたと伝承されており、花も彼女の名前がつけられている。
太陽の下でも白く輝き、月夜でも幻想的に光り輝くこの上なく美しい花は、国王の生誕祭でしかお目にかかれない。
雪のように白いゆえに別名で冬の花と呼ばれているけれど、花自体は温室管理で年中咲いているらしい。
そんな話を聞いた時から、リトは冬の花にお目にかかりたくて仕方がなかった。森の近くで育ったので野花などには詳しいものの、美しく高級な花は目に留める機会がないのだ。
冬の花は祭りの参加者にも配られると聞いたので、ぜひ押し花にしたいと思っていた。
「休みが取れそうなら祝祭に付き合ってやろうか?」
「ほんと? 案内してくれるなら嬉しいな。最近では王都の道もかなり覚えたんだけど、人が多いと迷いそうで。でもタットも忙しいんじゃない?」
「忙しいのが目に見えてるから、逆にしっかり休みを取るよう国のほうからお達しが出てるんだ。いまの陛下は労働者の苦労に目をかけてくれてありがたいよ。リトの休みに合わせて俺も休み取るから、今月中に連絡をくれよ」
「祝祭は陛下の誕生日の前後三日、全部で七日間だよね?」
「そう、十三日が生誕の日だ。だから十から十六日まで祝祭が行われる」
「わかった。女将さんと相談してみる!」
まだ王都に知り合いが少ないので、いざとなったら一人でも祝祭に参加しようと思っていたリトは、タットの誘いがありがたかった。
相手が彼であれば余計な気を使う必要もなく、自由に楽しめるだろう。
「りっちゃーん! ちょっといいかしら」
「女将さんだ。丁度いいから話しておくね」
「おう、返事を待ってる」
「うん! また今度ね」
厨房から女将のハンナに呼ばれ、リトはタットに手を振ると足早にそちらへ向かった。
昼時を過ぎて客足がまばらだったとはいえ、立ち話をしすぎただろうかと思ったけれど、ハンナが声をかけた理由はそこではなかった。
「モルドール商会? そこへおつかいに行けばいいんですか?」
「ええ、いま手が離せないの。そこへ行ってこの注文書を店の人に渡してくれればいいから」
食堂に団体客の予約が入ったらしく、厨房は夜の仕込みで大わらわだった。料理長はハンナの亭主で、王宮で腕を振るった経験もある実力の持ち主だ。
彼の料理が恋しくてやってくる客も多くいるため、たまにこうした予約が入る。
「目立つ建物だけど、地図も書いたから」
「中心街にある三階建てのお店ですよね?」
手渡された封筒と地図にリトは視線を落としたものの、行き先はよく知っていた。モルドール商会は、ここへ行けばなんでも揃うと言わしめる国一番の商会で、王室御用達の店でもある。
中心街にある本店は周辺の店と比べる必要もないほど大きかった。
リトは以前、遠目に見た程度だったが、大事件でも起こらない限り、迷ったりたどり着かなかったりなどは起こりえないだろう。
「帰りはのんびりしてきていいわ。もう少しで休憩だったでしょう?」
「いいんですか!」
「ふふ、いいわよ。りっちゃんもまだ王都をあまり歩いてないでしょ?」
優しく微笑んだハンナはふっくらした頬を緩め、瞳を和らげた。リトよりもいくつか年上の子供が二人いる彼女は、単身王都へやって来たリトも自身の子供のように扱ってくれる。
祖母と二人きりで育ち、親を知らないリトからするとくすぐったくも嬉しい感覚だった。
「じゃあ、行ってきますね」
「りっちゃん、りっちゃん! コートを羽織っていきなさい。いまはまだ一の月初旬よ」
「あっ、そっか」
仕事着のシャツに前掛けを身につけただけの軽装だった自分を思い出し、リトは慌てて歩みを止めた。
簡素な服装で村を歩き回っていたためわりと寒さに強く、そのまま外へ出てしまい、見る者が寒そうないでたちに震えること数度。
そろそろ学習しても良さそうだが、習慣とは簡単に変わらないと学ぶ今日この頃だ。
自室に戻り真新しいフード付きのロングコートを羽織ると、リトは再度ハンナに声をかけて店を出た。
西地区から中央街へは徒歩で半刻程度はかかる。乗合馬車も区間を走っているけれど、リトは大抵徒歩で行く。
道を覚えたいのと、通り過ぎる獣人を近くで見たいという好奇心ゆえだ。
彼らは自分たちの力を理解しているのか、人族に対してとても優しく丁寧に接してくれる。
種族によっては人族がか弱い生き物に見えているらしく、中でも華奢と言われるリトはいつも幼子のように扱われた。
それは侮っているというよりも、うっかり傷つけたり壊したりしては大変だ、と言う彼らの配慮だった。
「ほんとにいつもより随分と人が多いなぁ。祝祭を楽しむ目的の人が多いのだろうけど、陛下の誕生日を祝おうとする人も多いんだよね。みんなが手放しで褒めるほどだから、本当に素敵な王様なんだろうな」
店を営む者も道を歩く人たちも、キラキラとした笑顔を浮かべている。
毎日に満足している、充実しているからこそ浮かべられる笑みは、当然ではないとリトは知っていた。
国の北側にあった村は隣国の国境が近く、そちらからロザハールに逃げ込んでくる人たちに何度か遭遇した。
圧政に苦しんで生まれた国を捨てる彼らの姿は、自身がどれほど恵まれているのかを思い至らせるには十分だった。
これまで外の世界にあまり興味がなく、国を治める王様の存在もおぼろげだったけれど、いまは感謝の気持ちが自然と湧いてくる。
勧められ、王都に出てきて正解だったとリトはにんまり口角を上げて笑った。
雑多な雰囲気の西地区から中央街へ向かい歩くと、周りの雰囲気がどんどんと変わってくる。道行く馬車も貴族の華やかで立派なものが多く、通り過ぎる人も着飾った人ばかりだ。
貴族など接する機会がほとんどないので、緊張感を覚えたリトはつい道の端を歩いてしまった。
それでも街を眺める視線はあちこちへと流れる。温暖な気候で王都は雪が降ったり水が凍りついたりする寒さがないからなのか、建物は爽やかで涼しげな色合いが溢れていた。
白やクリーム色の外壁や青や緑の屋根。どの建物でも窓辺で花を育てていて、華やかさだけでなく優しさも感じさせる。
石砂利など見当たらない整備された道も、夕刻になると灯される外灯も、寂れた村とは比べものにならない。
王都へたどり着くまでに、街をいくつか通り過ぎてきたものの、国の中心は他とひと味違う。
「やっぱり迷いようがないくらい、相変わらず目立つ建物だった」
特にここは王都でも格別な場所だ。
見上げるほど高い建物と、大きく開かれた入り口に尻込みをしつつ、リトは拳を握りしめて〝モルドール〟の看板を掲げた店へ足を踏み入れた。