賑やかな喧騒。道を窮屈そうに通り過ぎる人の群れ。
珍しく健全な繁華街を歩いた気がする。普段は煌びやかな光や色のきついネオンばかり見ているので、正直言ってここは自分に場違いな気がした。
「面倒くさいなぁ。いっそ帰ってもバレないよねぇ」
顔を持ち上げ視線を動かしても、目に留まるのは控えめなネオン。呼び込みは居酒屋の学生バイトか、やたらと気合いの入った声が響く。そんな中、週末で浮かれた会社帰りのサラリーマンやOL達が、すれ違いながらそこかしこの居酒屋へと吸い込まれていった。
「あー、打ち上げとかウザイ、帰りたい」
周りの浮かれ具合とは裏腹に俺の口から出るのはため息と愚痴ばかりだ。時折近寄ってくる酔っ払いや女達を避けながら、俺は手元のメモ紙を見下ろしやる気のない足取りでのらりくらりと歩いた。
「ここ、か」
大通りでタクシーを降りて、紙に書かれた目的地に辿り着いたのは良いが、店の入り口に立ち尽くしたまま全く気が乗らない。しかしため息交じりで思案していると、背後から続々やってくる見知った顔に、有無を言わせず連れ込まれる。
「お疲れさまー」
「お疲れ」
広い座敷に集まり始めた人。皆、顔を合わせる度に挨拶を交わしているので、座ることもままならず、ひっきりなしだ。
「月島さん、お疲れです」
そこへふらりと入れば、一斉にあちこちから同じような声をかけられる。
「はいはい、お疲れぇ」
恐らく三十畳くらいはあるであろうこの場所に、これでもかというくらい押し込められた人数は五十人弱はいるだろう。その窮屈さと耳障りな話し声があまりにも耐えがたく、俺はそんな部屋の隅に人知れず腰を下ろした。
「主役がそんな隅っこでいいの?」
「あ、……戸塚さんか」
余計な世話焼きでも近づいてきたかと身構えたが杞憂だった。部屋の角に座った俺の横へ座布団を寄せ、顔を覗き込んできたその人の姿に一瞬だけ刻まれてしまった眉間の皺がほぐれる。そしてそんな俺の表情を見ながら、戸塚は頬を緩めて笑った。
「俺は主役じゃないでしょ? それはあっち」
俺が伸ばした指の先には、男達にちやほやと持てはやされている女が一人。けれどため息交じりに指差したその方向へ視線を動かしつつも、戸塚は小さく首を傾げた。
「そう? 僕はやっぱり月島くんだと思うけど」
「別に良いよ、面倒くさいし」
今日の打ち上げは彼女のプロモーション企画として敢行された写真集の発行と、ファッション誌でのグラビア連載用の撮影が無事終了したことで催されている。
「でも、アンケートとかメールは月島くんに対してのことが多いよ? 写真集と今もまだ連載が続いてる雑誌の発行部数も軒並み右肩上がりだし」
「ふぅん、興味ない」
「月島くんらしいね」
どこからともなく回ってきたビールグラスを俺の手に握らせ、戸塚は肩をすくめる。そして足並みを揃えるなどという感情が微塵もない俺は、乾杯の音頭を無視し、手にしたグラスに口をつけた。
「で、雑誌社の方から、今期大好評を博している月島先生の写真展したいんだって、今回のやつで」
「……やだよ」
地鳴りのような乾杯コールに眉をひそめ、俺は微かに聞こえてきた戸塚の言葉で更に顔をしかめる。けれどそんな返答など予測済みなのだろう。聞くまでもない答えに、戸塚は裏の読めない笑みを浮かべる。
「戸塚さんのその顔、俺嫌いだなぁ」
「ごめんね。仕事だから」
彼がこの顔で笑う時はもう既に決定事項なのだ。ムッと口を尖らせた俺に対し、戸塚はほんの少し困ったように笑いながらも、スーツの内ポケットから封筒を取り出す。
「これ、ちらし版下のコピーなんだけど」
「……戸塚さん。わかってはいるけど、もう進行してるのにわざわざ聞かないでくれるかな」
手元で開かれた紙面に思わず目を丸くすると、戸塚は乾いた笑い声を上げる。目を細めれば、ますます眉尻が下がった。
「一応、報告しないとね」
「俺の意思の尊重は? 著作権ってなに?」
「やっぱり怒った?」
ふいと顔を逸らし俯いた俺を戸塚は慌てたように覗き込む。その気配を感じ、視線を持ち上げてこちらを窺う目を見れば、不安そうな色が浮かんでいて肩の力が抜けた。
「戸塚さんがどうしてもって言うならいいよ」
「じゃあ、どうしてもお願いします」
顔を上げた俺に対し、正座をして頭を下げた戸塚。その姿を見てしまうと、結局いつもと変わらない結果になる。昔から俺は戸塚の困り顔に弱い。一時とはいえ惚れた弱みか。
「良いよ。その代わり、甘えさせてくれる?」
「うーん、ちょっとだけだよ」
俺の言葉に戸惑ったような表情を浮かべ、戸塚は足を崩しながら壁に寄りかかった。その様子にほんの少し口元を緩めて俺は彼の肩に頭を乗せ凭れかかる。
「やっぱり、戸塚さんは癒やし系だよねぇ」
「そうかな? でも最近、月島くんは瀬名くんがお気に入りでしょ」
「は? なんでそうなるの」
思いも寄らぬ名前が戸塚の口から飛び出し、俺を見下ろす彼の目を思わず眉をひそめて見つめてしまった。しかし彼はなぜか不思議そうに首を傾げるだけだった。
「けどみんな言ってるよ? 瀬名くんに構いっきりで、寂しがってる子と喜んでる子がいるけど」
「構ってないんだけど。あっちが勝手に寄って来るだけ」
「そうなの? でも長く一緒に仕事してきてたけど、急に仲良くなったから付き合ってるのかって噂もあったけどな」
「やめてくれるそういう噂。もう、俺は戸塚さんで癒やされるんだから」
いつそんなに構ったと言うんだ。確かにあの晩以来、やたらと瀬名は自分に絡んでくることが多い。しかもそれと同時に毎朝の日課もさり気なく阻止されて、こっちはストレスが溜まりまくりで良いことなど一つもない。
「わ、危ないよ」
急に首へ腕を回して抱きついた俺に、戸塚は手にしていたグラスを持ち上げ零れだすのを回避した。しかしそんな声など無視して、俺はひたすら彼の首筋に擦り寄った。
「くすぐったいよ。……もう仕方ないなぁ、よしよし。今回もお仕事頑張ったね。やりたくないことやらせてごめんね」
逃げ出そうとする戸塚の身体をぎゅっと強く抱きしめれば、子供をあやすように頭を撫でられる。
「んー、でもそろそろ離してくれると嬉しいかな」
「まだ癒やされてない」
腕を放そうとしない俺の背中を叩き、戸塚は重たいため息を吐き出す。けれど周りが俺の行動に呆れや失笑をするのはいつものことだ。
「甘えさせてあげたいのは山々なんだけど。なんだか僕、ひどく怖い顔して睨まれてるんだ」
「ん、誰に?」
戸塚の言葉に首を傾げながらいつまでも抱きついたままでいると。突然後ろから腕を掴まれた。
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