こぼれた弱さ

 他人に振り回されるなんて真っ平ごめんだ。こんな面倒くさいことほかにない。どうして関わったりなんかしてしまったんだろう。

「……痛っ」

 ふらふらと階段を上っていると、数段上ったところで俺は思いきりよく段差に爪先を引っ掛けた。しかし傾いた身体を支えようと前に出した手がつくよりも先に、後ろから伸ばされた腕で引き戻される。

「気をつけてください。自分がどれだけ飲んだか忘れてるんですか?」

「煩いな」

 呆れた顔をしながら俺を見下ろす瀬名に眉をひそめると、ため息を吐いて彼は俺を追い抜いていく。しかしすれ違いざまにぽつりと呟かれた言葉に、俺は目を丸くした。
 ――すいません。
 その言葉の意味はすぐにわかった。思わずとはいえあれだけ騒いだのだから。けれどまさか謝られるとは思わなかった。あまりにも実直過ぎる。そんな瀬名の背中を見ながら階段を上っていくと、ふいに射し込んだ外灯の明るさで目が眩んだ。

「気分悪い?」

 急に立ち止まった俺を、瀬名は心配げな表情を浮かべ振り返った。

「違う。ちょっと眩しかっただけ」

 光が刺さるチクチクとした痛みに目を擦れば、それを遮るかのように瀬名は俺の手を掴む。

「なに?」

「あんまり目を擦ると充血しますよ。折角綺麗な色なのに、勿体ない」

「は?」

 人の手を掴んでなにを言うかと思えば。

「あのさ、綺麗綺麗って。結局、君さっきからそればっかりじゃない?」

 外見じゃないとあれだけ騒いだわりに、瀬名は俺の目を覗き込むかのように凝視する。

「俺、渉さんの全然素直じゃない捻くれた性格が好きなんすけど、パーツも好きで」

「は?」

「この髪とか、宝石みたいな目とか、キラキラしててホント綺麗じゃないっすか。顔は正直そんなに好みじゃない……っ」

 無遠慮に人の髪や顔に触れる瀬名に目を細め、俺は思いきり彼の足を踏みつけた。突然の痛みに声も出なかったのか、目を白黒させながら瀬名は息を飲み込んだ。

「君さ、本人目の前にしてそういうこと言う? 俺でも言わないけど」

 確かに自分も真っ直ぐ過ぎて扱い難いとか、顔が好みじゃないとか思ったりもしたが、あえて口にしたことはない。

「俺はさっき、見た目で好きになったんじゃないって言いましたよね。まあ、なんであんたなんだろうって、思ったこともありましたけど」

 明け透けな物言いとはこういうことを言うのだろう。本当に裏表のない馬鹿正直者。一瞬腹立たしくもあるが、それでもため息でやり過ごしてしまいたくなる真っ直ぐさが、瀬名らしさなのかもしれない。しかし俺はそんな瀬名が苦手なのだと気づく。
 彼は無遠慮に人の内側に入り込んで来る。それもちっとも悪気のない顔をして、剥き出しにされたその内を踏み荒らしていくんだ。

「思った時点で、諦めれば良かったのに」

「俺は男が好きなわけじゃないし、渉さんのことを女みたいだって思ったこともない。性格は全然素直じゃないし、意地っ張りで可愛げもない。でもそんなあんたが好きなんですよ。どうしても諦めきれないことって、ありますよね」

 迷いのない瀬名の目に、思わず身体がふらりと逃げ出すように後ろへ下がる。そして彼に諦めればいいと言った自分の言葉が、まるで自分自身に言い聞かせてるみたいでどうしようもなく胸が痛くなった。

「今ここで拒否られても、俺は絶対に諦められない」

「諦めろよ」

「嫌だ」

 ある――確かに、どんなに無理だとわかっていても諦められないことが。

「諦めろって」

 距離など殆どない。その空間を埋める気配に更に身体が逃げ出しそうになった。けれど瀬名の手が俺の腕を掴む。その瞬間、肩が跳ね上がり身体が震えた。

「俺に触るな! 好きだからってなにしても許されるわけじゃない」

「待ってくださいよ。俺はあんたを傷つけたいわけじゃないのに、なんでそんなに怯えてんの、なにが怖いんですか」

「離せ、俺は」

 そうやって無理矢理に、無自覚に、人の内側を暴こうとするその想いが、堪らなく怖い。

「まだ、好きなんだ。まだあの子が好きなんだよ」

 どんなに笑って誤魔化したって、忘れた振りをしたって、今もまだ俺は去っていたあの背中を愛しいと思う。俺はまだ諦めきれていない。いや、そう簡単に諦められるわけがない。忘れるのが容易いなら、こんなに悩んだり苦しんだりはしない。

「……そんなこと、知ってるに決まってるじゃないっすか」

 消え入りそうな程小さな声で呟いた俺に、瀬名は奥歯を噛みほんの僅か顔を歪めた。

「痛い、離せって」

 腕を掴む瀬名の手に力がこもり、咄嗟に俺はそれを拒むように腕を振り上げた。けれどそれでもなお離そうしない瀬名は、無理矢理に腕を引いて俺の背をかき抱いた。

「俺がどれだけあんたを見てきたと思ってるんすか。渉さんに好きな人がいることも、その人が好きだからこそ必死で諦めようとしてたことも、俺は知ってる。けど、俺はそんなあんたをずっと見てきたのに、全然……諦めらんないんですよ」

 自分を誤魔化して気づかない振りをしても、それは想像以上に根深くて思った以上に諦めが悪い。

「なんで俺、こんなにあんたが好きなんですか」

「……知らないよそんなこと」

 この腕を振り払ってしまいたいのに、振り払えない。まるで自分を見ているみたいで、俺は瀬名を突き放せなかった。
 いつまで経っても諦めきれなくて、好きで好きで――でもあの子の隣に立てるのは自分じゃない。

「この目に誰が映ってても、俺は渉さんが好きなんだ」

「だから、諦めろって」

 瀬名の言葉に息が詰まるほど苦しくなって、無性に泣きたくなった。だから――ほんの少しだけ、彼の肩で泣いた。

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