眠りから意識が浮上すると、すーすーと穏やかな寝息が聞こえてきた。それにまだ重たいまぶたを持ち上げれば、胸元に希がぴったりとくっついて眠っている。
さらに視線を動かした先には、あどけない顔で眠る淳の姿があった。
いつもこのパターンだな――そんなことを思いながら、雅之は幸せの光景に目を細める。
あれから淳が来たことに気づいた希は、一緒に寝ると聞かなくて、二人の甘い時間は呆気なく終わってしまった。
それでも週末は決まって、こうして三人で寝ているので、二人だけの時間のほうが異例だったのだ。
だがかなりいいところでのお預けになってしまい、身体のほうは色々なものが溜まっている。
二人の時間になったら、たっぷり味わわせてもらおう。そう心に決めて、ウトウトとまたまどろみの中に意識を沈めた。
次に目が覚めた時にはアラームが鳴っていて、少しだけベッドが軋み、淳が起き上がったのを感じる。けれど雅之は目を閉じたまま彼の様子を窺った。
アラームの音が止むと再びベッドが沈み、少しずつ気配が近づいてくるのがわかる。
それでも寝たふりをしていると、すぐ傍まで近づき、淳は雅之のこめかみにキスを落とした。
そして指先で髪を撫で、またそっとキスをしてくる。
頬に落とされた唇の感触に、まだ寝たふりをしていようと思っていた、雅之の口元が緩む。そうするとそれに気づいた淳が、慌てて離れていこうとした。
けれどとっさに腕を掴み、雅之は彼を引き止める。
「お、起こしちゃってごめんなさい」
「大丈夫、もう起きる時間だし、実は起きてたんだ。ただ淳くんがあんまりにも可愛いから」
こちらを見下ろす視線に笑みを返すと、じわじわと彼の熱が広がっていくのがわかった。
頬、首筋、耳まで赤くて、ほのかに染まる肌がひどくそそられる。逃げ出そうと身体を引かれたので、掴んでいた手首を引き寄せた。
「こっちおいで」
「あっ、の、希くんが、起きちゃいます」
「じゃあ、しーっ」
ごろんと寝返りを打った希に、淳は肩を跳ね上げる。けれど愛息は相変わらずすやすやと、寝息を立てていた。
一度寝たら、決まった時間まで起きないところがあるので、あまり心配はいらない。
昨日の夜に起きてきたのは珍しい出来事だ。それでもまだ困ったように眉尻を下げるので、雅之は手を伸ばして、少し強引に淳を引き寄せる。
躊躇いがちに近づいてきた身体を、腹の上にまたがらせて、するりと腰を撫でると肩が震えた。
「雅之さん、駄目です」
「ごめんごめん、思わず」
きゅっと唇を噛んで、睨んでくるその顔まで可愛い。そう言ったらますます、林檎のようになってしまうのだろう。
たくさん甘やかして、可愛がってあげたいと思う気持ちに、意地の悪い感情が湧いてくる。
いままで雅之は恋人に対して、こんな気持ちになったことがない。可愛い笑顔もいいけれど、困らせるのもたまらないなんて、自分の一面に驚く。
しかしそれだけ彼に感情が向いているに違いないと、いまはその答えは横に置いた。
「この眺めいいね」
「え?」
「今度しようか」
こちらを見下ろす純朴な恋人は、言っている意味が理解できずに首を傾げた。けれどわざと突き上げるように腰を動かしたら、湯気でも噴き出しそうな勢いで真っ赤に染まる。
うろたえて、ひっくり返りそうになった身体を引き寄せると、抵抗のないまま雅之の腕に収まった。抵抗がないというよりは、動揺しすぎて反応ができないと言ったところだろう。
なだめるように背中を叩いて、ごめんねと耳元に囁けば、涙目で睨まれた。しかしそれがますます雅之の気分を持ち上げる。両手で頬を包み、そっと力を込めて引き寄せた。
「あっ、……ん」
不自由な体勢に身をよじろうとしたけれど、さらに引き寄せて口づける。舌を絡めると淳はおずおずと応え、舌先を伸ばしてきた。甘噛みして吸いつけば、無意識に腰が揺れる。
胸元を両手できゅっと握ってくる、その仕草にまたたまらなくなって、たっぷりと口の中まで味わった。
「んっ、んっ、……あっ、だめ」
「ムラムラしてきた?」
「……、雅之さん、意地悪だ」
「だって淳くん、可愛いんだもの」
「もうっ」
ムッとしたように顔をしかめるが、その顔も可愛くてニヤニヤと笑ってしまう。そんな大人げない雅之の反応に、淳の口がさらに引き結ばれる。
しまいには眉間にしわが寄って、さすがにからかいすぎたと、ご機嫌を取るように抱き寄せた。
包み込むように抱きしめれば、抵抗を見せていた身体がぴったりと、胸元に寄り添ってくる。すり寄るように頬を寄せるのが、幼い子供みたいで可愛い。
柔らかい髪の毛が、首筋に触れてくすぐったいけれど、黙って彼の好きなようにさせた。
静かな中で淳を抱きしめていると、またウトウトと眠気がやってくる。柔らかい髪を撫でて、そのまま意識が落ちそうになったところで、それを引き止められた。
Tシャツの袖を引っ張ってくる小さな手に気づいて、雅之は重たいまぶたを持ち上げる。視線を向けると、いつの間に起きたのか、希がこちらを覗き込んでいた。
「あっくん、ずるい。まさっ、のぞも抱っこ」
「……ん? ああ、希、おはよう」
「ちょ、雅之さん、下ろして!」
「え? あ、そっか、ごめん」
希が傍で両手を伸ばすのを見て、片手を伸ばしたら、もう片方の腕で抱いていた淳がジタバタとする。
それに雅之は首を傾げかけたが、また希がどこでポロリとこぼすかわからないと、抱きしめていた身体を放した。
しかしそれとともに、飛び退くように離れていかれて、少しばかり寂しくなる。
「よし、みんな起きたから朝ご飯にしようか」
「のぞ、甘いしゅわしゅわぱんがいい!」
「フレンチトーストか。うん、美味しいの作ろう」
ぎゅうぎゅうと抱きついてくる希を抱き上げて、ベッドから降りると寝室を出る。
三人で代わりばんこに顔を洗って、淳が希を着替えさせてくれているあいだに、雅之はフレンチトーストの仕込みを始めた。
ついでに少し傷んできた林檎をコンポートにして、デザートに加える。希が大好きなのでよく作るのだが、レンジで簡単にできるので、朝の忙しい時間にもってこいだった。
「希、今日はどこに行きたい?」
「んー、ライオンさん!」
ダイニングテーブルでフォークを持って、スタンバイオーケーの希は、雅之の言葉に小さく唸ったあとぱっと表情を明るくした。
毎週土曜日は彼の好きなところへ、遊びに行く日になっている。先週は水族館、その前はテーマパークだった。
「じゃあ、動物園だな。昼ご飯はどうしようかな」
「パンダさんのサンドイッチがいい」
「ああ、あれか。着いたらすぐ買わないと昼にはなくなるな」
希の言うパンダのサンドイッチとは、レッサーパンダの焼き印を押した動物園特製のサンドイッチで、人気が高く時間を外すと手に入らない。
春先でもまだそれほど暑くはないが、保冷バッグを持っていこうと、雅之はキッチンの戸棚を漁る。
「希くん、動物園はライオンさんのほかになにがいるの?」
「んーとね、パンダさんとキリンさんと、のぞ、トラさんも好き!」
「トラさんか、格好いいよね」
「うん!」
保冷バッグを探し当てて雅之が後ろを振り返ると、淳が絵本を開いて希の気を引いてくれている。
彼がここへ来る前は、息子の話し相手をしながらご飯を作ったり、家事をしたりで随分と慌ただしかった。
離婚してなにが大変だったかと言えば、やはり子育てと仕事の両立だ。当時の希は一歳になったばかり、その上いまの総務部に移る前の雅之は、経営企画部の第一線で仕事をしていた。
実家の親に面倒も見てもらっていたが、希に時間がまったく取れない日が続き、このままではいられないと、すぐさま部署異動を願い出た。
当初はかなり渋られて未練もあったが、いまでは部署を変えて良かったと思っている。
毎日定時に帰宅して、一緒にご飯を食べてお風呂に入って、一緒に眠る。当たり前のことが当たり前にできる、いまが大切だと思えた。
そんな中、淳が来てくれるようになって一年くらい。まだまだ目の離せない希の傍にいてくれて、本当に助かっている。
改めて彼には感謝しなければいけない。
「おっと、時間時間」
つい二人の和やかな姿を見つめてしまい、慌てて雅之はキッチンに向き直る。卵液を染み込ませたパンは、もういい感じになっていた。
バターをたっぷりと落として、フライパンに並べていけば、香ばしい香りが広がり、それに気づいた希が「いい匂い」ときゃっきゃっと笑った。
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