君を待つ年の瀬
大晦日の夜――一人こたつに入って、ぼんやりテレビ画面を見つめる。時刻は二十時半、あと三時間も過ぎれば今年が終わる。
今年を振り返るとそれほど楽しい思い出があるわけではなかった。
けれど秋頃に恋人との関係が進展した。いままで飛び出したら飛び出しっぱなしだった彼が、時折こちらを振り返るようになったのだ。そして僕へと手を伸ばしてくれるようにもなった。
自由奔放を絵に描いた鉄砲玉みたいな人だったから、これは大きな進歩だ。
けれど人付き合いは相変わらず多いから、僕だけの彼ではないのが現実だ。今日も大学の仲間たちと忘年会。こんな年末ギリギリにやらなくてもいいのにと思うのだが、彼らには彼らの都合があるのだろう。
そのままカウントダウンまで一緒にいるのだろうか。あり得る、あの人なら。盛り上がって楽しくて、僕のことをうっかり忘れたりとか、大いにあり得る。
「鷹くん、早く帰ってきてくれないと僕、凍えちゃう」
去年の大晦日は一緒に過ごしたけれど初詣は置いて行かれたし、年始にはせっかく二人きりになったのに、オトモダチが乱入してきて散々だったし。彼はいつだってなにをしでかすか、想像ができないタイプだ。
いいほうに突拍子もないのは許せるけれど、最悪な展開は遠慮する。それでなくとも僕と彼は長いあいだ離れ離れだった。
ようやく付き合い始めたのは去年で、まだ熱々でもいい頃なのに今年は一人かと思うとため息が出る。
「お腹空いた、けど……しまった、なんにも買ってきてないや。コンビニ行くか」
動きたくないけれどこのままだと新年早々に餓死してしまう。今朝からなにも食べていない。先週から学校は冬休みに入っていたけれど、昨日まではバイトをしていたからご飯には困っていなかった。
なんなら今日もバイトを入れても良かった気がする。でも毎日のように出てくれるから年末くらいゆっくりしなよ、なんて余計な気を使われた。
「カップ麺の蕎麦があればいいかな」
もそもそ立ち上がってダッフルコートを着込むと財布を掴んで外へ出た。扉を開けた瞬間冷たい風が吹き付けて、顔が凍りそうな気分になる。昼間は暖かかったけれど、やはり夜になると冷え込んでくる。
早く行って帰ってこようと徒歩三分のコンビニまで急いだ。普段から静かな道のりはいつも以上に静けさがある。
家のあちこちで明かりが灯っていて、これから迎える年明けを待っているのだろう。
家族と、はあんまり思い出がない。愛されていなかったのではなく、自分が他人に興味がなかった。僕の世界は立った一人の人で構成されている。
その人を中心に世界が回っていて、それ以外の人間は見えていなかった。
いまもまだその名残は強い。来年には高三になるのに友達と呼べる人間がいない。もっと楽しいこと増やせよってあの人は言うけれど、染みついた人間の性質はそう簡単には変わらないものだ。
「でさぁ、その子がぁ」
「あっ、前っ」
「いった……あ、すみません」
自動ドアの前に立つと前を見ずに歩いてきた女の子に真正面からぶつかられた。あからさまに目をつり上げたその子は人の顔を見た途端、棘を丸める。
その反応を見ると関わるのが面倒くさくなり、なにも言わずに横を通り過ぎた。
「背高っ」
「すんごいイケメン」
「声かけようよ」
「やめなって、絶対彼女いるって」
「だよねぇ」
こそこそ話しているつもりのようだが声がデカいし、入り口で立ち止まってるのすごい迷惑。けれど無視して店の奥へ行けば彼女たちはまたおしゃべりに夢中になって歩いて行った。
絶対いるってなに、いないし、そもそも彼氏だし。その彼氏にも放って置かれてるし。人間見た目じゃないっての。
馬鹿じゃない。
ポケットの携帯電話を掴んで画面を見下ろすけれど着信はゼロ、メッセージもゼロ。友達がいないから連絡が来るのは母親か、バイト先か彼くらい。
「せめて帰れなくなったとか連絡くれればいいのに。まあ、怒るけど」
僕は基本的に短気だ。沸点が低いからキレやすい。それで何度、あの人をびびらせて嫌な思いにさせているかわからないほどだ。
彼が僕と付き合うメリットってなんだろうか、なんて考えると見当たらなくて考えるだけ空しいって気づく。
蕎麦と明日の朝ご飯のパンを買って、袋をぶら下げてきた道を戻る。それすら気が重くなってきた。けれどあの人はいつだって突然だ。
「和臣!」
「……鷹くん?」
「なにコンビニで蕎麦とか買ってんだよ。年越し蕎麦作るって言っただろ」
後ろから聞こえた声に振り返ると、外灯の明かりの下でもよくわかる、キラキラした金色の髪が目につく。驚いたように茶色い目を瞬かせて、駆け寄ってきた彼は僕の手にした袋をのぞいてため息をついた。
彼の手にも買い物袋が握られていて、長ネギがはみ出している。
「帰ってくるって思わなかった」
「はっ? 忘年会の一次会が終わったらすぐ帰るって言ったじゃん」
「だって鷹くんの約束って、いっつも守られてないよ」
「そ、そうか? 最近はわりと守ってるだろ?」
「……僕、寂しかったんだけど」
「こうして帰ってきたんだから寂しいとか言うなよ」
隣に並んだ彼の背は僕の肩くらいしかない。それでも顔をのぞき込まれて冷たくなった手を握られると、なんだか頼もしく見えてしまう。前は簡単に手を握ったりしなかったのに、やはり少し変わったのかも。
つまらない道のりが、隣に恋人がいるだけで光の粉を振ったみたいに煌めいて見える。自然と口の端が持ち上がって、肩が触れるほどに幸せになる。
「初詣に行くよね?」
「行く行く。その前に俺んちに寄るからな」
「なんで?」
「お前の着物を縫った」
「鷹くんって和裁もできるの?」
彼は手先が器用で縫い物は得意だ。昔からぬいぐるみや人形の洋服をちょいちょいと簡単に縫ってしまう。
いまの大学も趣味が高じて服飾の専門系。けれど和服まで作れるとは意外だった。
「知り合いに得意なやつがいてさ、教えてもらった。お前は背が高いから既製品は無理だろ」
「鷹くんのは?」
「俺の分まで手が回らなかった、次の年な」
「ふぅん、次の年か」
なにげない言葉だけれど、その言葉は僕、絶対忘れないよ。次の年も一緒だって言ったこと忘れたら承知しないから。
それでもお前とこれからの未来を一緒に歩くって言ってくれた言葉は信じてる。
ねぇ、だから明日も明後日もずっとずっと先も僕の隣で笑ってて。
君を待つ年の瀬/end