部屋は広いけれど、寝る場所はここには一つしかない。必然的に眠るベッドは二人で一つだ。
とはいえ元よりダブルベッドで広かったので、男二人が横になってもそれほど窮屈さはない。
だが寝ているあいだに、背中合わせの背中がくっついてしまうくらいの広さだ。
そこに自分以外の誰かがいると、感じながら眠る。
窓の外から聞こえてくる雨音に比べたら、人の寝息や心音のほうがずっとマシだ。
最近はそのおかげか、雨の時期なのに眠りが深い。ぐっすりと眠れて、朝起きると気分がいいと感じる。
ただ一つ問題があるとすれば、目が覚めるとリュウに抱き枕にされていること、だろうか。
彼はそれほど体温が高くないので、暑苦しいとは思わないが、目が覚めるたびに目の前に顔があって驚かされる。
ここまで何度も続くと、彼のために抱き枕でも買ってやろうか、という気になる。
「……今日は、うるさいな」
ちょうど頭の上に出窓がある。そこからいつもより少し強い、雨の音が聞こえてきた。この時期になると、本当にこの配置が嫌になる。
しかし部屋の構造上、どうしてもベッドはこの位置になってしまうのだ。
ああ、本当に嫌な音だ。
雨が嫌いな理由の一番は、雨音かもしれない。音が耳障りで、とても不快な気分になるのだ。雨脚が強くなるほど気分が沈んでいく。
耳を塞いで、胎児のように身体を丸めると、薄いタオルケットに潜り込んだ。けれど耳を塞いでも、その音は鬱陶しいほど響いてくる。
なんだか身体の内から、ざらりとしたもので撫でられているような、不快感が湧き上がってきた。
浅い眠りの中で夢を見ているのだろう。
ポツポツ、ポツポツと雨音が聞こえる。それがどんどん大きくなってくると、激しいほどの拒絶が身体を強ばらせた。
嫌だ、この先へは行きたくない。
夢の中で漂う身体は、雨音の先へと進むことを拒んでいる。身体中の毛穴が開くような、粟立つ感覚に自分を抱きしめる手が震えた。
息が苦しいと呼吸を繰り返すうちに、足元が真っ黒な泥水に浸かっていることに気づく。
慌ててそこから抜け出そうとするが、そう思うほどに足がずぶずぶと泥水に沈んでいった。
もがくほど身体は身動きができなくなる。いつしか膝、腰、胸元、そして顎下まで沈んでいた。
「助けて」
腕を伸ばして助けを求めるけれど、そこには誰もいない。空虚な世界には、自分を救う人間などいないのだ。
このままではおぼれて死んでしまう。
息ができずに死んでしまう。
まだ死にたくはないとあがく自分がいる。
がむしゃらに腕を伸ばした。
そうしたらその手になにかが触れる。すがりつくように両手で捕まえた、それは人の足だった。
宙に浮かぶ人の両足。
それに気がついた瞬間、息が止まりそうになった。
振りほどくように手を払うけれど、足は真上にぶら下がっている。
「……ろむ、ひろ、む、宏武!」
逃げ惑う身体が泥水に沈んでいく。しかしもう駄目だと思ったその時、両腕をしっかりとした大きな手が掴んでくれた。
その手は沈みかけた身体をすくい上げる。それと共に酸欠を起こしていた肺に、新たな空気が送り込まれたような気がした。
「大丈夫?」
目を開けたら、リュウの顔が目の前にあった。心配そうな顔でこちらをのぞき込んでいる。瞬きして呼吸を整えると、彼の優しい大きな手は髪を梳き頬を撫でていく。
ああ、この手だ――そう思った。自分をすくい上げたのは、彼の手だと気づく。
「嫌な夢を見ただけだ」
まだ雨音がうるさい。今夜は眠れないかもしれない、とため息をついた。しかし毎年この時期にはよくあることで、数日眠れない日もあるくらいだ。
ここ最近は安眠だったから、この夢も見ることがなかっただけ。
「起こして悪かったな。寝てていいよ」
「宏武、眠れない?」
「気にしなくていい、よくあることだから」
身体を起こすと、リュウまで起き上がる。そしてこちらの顔をのぞき込んで、心の内をのぞき込むような視線を向けてくる。それでも不思議と嫌な気分にはならなかった。
まっすぐに見つめてくる茶水晶が、綺麗だなと思わず見つめ返してしまう。
しばらく見つめ合ったままでいると、ふいにリュウの顔がこちらへ近づいてくる。小さく顔を傾けた、その先になにが起きるか、すぐに気づいたけれど、頭で理解するのに時間がかかった。
ようやく脳へ伝達がなされた時には、唇と唇が合わさっていた。柔らかく触れる唇。
それは何度も触れては離れ、小さなキスを繰り返す。
けれども次第に口づけは熱を持ち始めて、舌先で薄い唇を撫でられる。湿り気を帯びて、それが火照り出す頃には、隙間から熱い舌が滑り込んできた。
「んっ……」
なぜこんなことをしているのだろう。そんな考えがよぎるけれど、身体は一ミリも動かずされるがままだ。
口内を優しく撫でられ、歯列をなぞり舌を絡め取られて吸い付かれる。
どんどんと深く激しくなっていくキスは、とても甘くて背筋がぴりぴりとしびれる気がした。
両腕を伸ばして目の前にある首元に絡めれば、身体は抱き寄せられ、ぴったりと彼の身体にくっついてしまう。
「ふっ、ぅん」
肌がざわめく気がする。それくらいリュウとのキスは気持ちがよかった。唾液が混じり合うほど、舌を絡ませ合うとぴちゃぴちゃと小さな水音が響く。
その音に耳をくすぐられて、堪らず熱い吐息を漏らしてしまった。するとさらにそれを煽るように、キスが濃厚なものになっていく。
気づいた時には身体はベッドに沈み、その上にリュウがのし掛かっていた。腰の辺りをこすりつけるようにされると、そこにあるものが熱く、固くなっているのがわかる。
それは自分だけでなくリュウも同様だ。
このままだと流される気がする。それなのに首元に回した腕に力を込めるばかりで、拒むことはできなかった。
あんなにも近づき過ぎてはいけないと、自分に言い聞かせたのに、彼の腕に抱きしめられるのが心地よくて、堪らない気持ちになる。
「宏武」
「ぁっ……ん、リュウ」
唇から滑り落ちた、リュウの唇が首筋を撫でる。それと共にTシャツの裾から滑り込んだ手が、意志を持って肌の上を這う。
こうして他人に肌を触れられるのは、久しぶりだったけれど、戸惑いはまったくなかった。
首筋や鎖骨の辺りに、きつく吸い付かれる感触も、なんだか感情を高ぶらせてしまうほどの喜びを感じる。
きっと自分はいま、現実から逃げだそうとしているのだろう。不安や恐れから逃れるために、リュウの手に落ちようとしている。
甘くて柔らかい陶酔に浸り、なにも見ないようにしている。
それはいけないことだとわかっているのに、自分を止めることはできそうになかった。
結局のところ、自分で引いた線を踏み越えていくのは、自分自身だった。やはり予感はすべて、確信でしかなかったのだ。
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