末候*楓蔦黄(もみじつたきばむ)
「おい、まだ着かないのか?」
「もう少しだよ!」
そう請けあって、元気に坂道を登っていく朱嶺の背中を睨みつつ、暁治は彼に続いて重い足をまた一歩踏み出した。
ことの起こりはサツマイモ騒動のときのことだ。
「はる! 見て見て!!」
七輪を納屋に片付けに行った朱嶺が、庭で鷹野が大きな布を広げている。帆布のように丈夫そうな分厚い布で、骨組みのようなものも一緒に入っていた。中央寄りには大きなデフォルメされた狐の顔が描いてある。メーカーのロゴだろうか。
奥からは寝袋も二つ出てきた。同じく狐のロゴ入りだ。先日納屋を片付けたとき、一応リストも作ったのだが、こんなものがあっただろうか。
「テントか」
「じいちゃんのかにゃ?」
「う?ん、正治さんが若いころキャンプ行ってたとか、聞いたことないけど」
「それにしちゃ、ずいぶん新しくないか」
見たところ傷みもなさそうだ。ワンタッチで組み立てられて、骨組みも軽い。どう見ても最新式のテントと遜色ないだろう。
「使えるかは、実際試してみないとわからないけどな」
「そんじゃ、実際試してみようよ」
朱嶺が、あっけらかんと、そう言った。
寝袋は二つ。テントも定員はそれくらいだろう。くじ引きでキイチと鷹野が残ることになった。
「なんで駄烏と暁治が一緒なんにゃ!?」
一部文句が出た。キイチは猫になれば一緒の寝袋で寝れないこともなかったのだが。
「そんなのダメ! それなら僕がはると寝るの!!」
と、今度は駄々っ子が出た。いくらなんでも男二人は寝袋に入らない。雪の世話と、桃をまた独りにしてしまうこともあり、なんとかなだめて留守番役になってもらう。せっかくだからと、鷹野も泊まりに来てもらうことにした。
本音を言えば、わざわざ山に登りたくなどない。いっそ居候どもを追い出して、のんびりしたかったのだが、くじ引きはくじ引きだ。
暁治はため息をつくと、鉛のような足を一歩また一歩踏み出す。
「まだだいぶあるのか?」
「後少し! もうちょっとだよ!!」
地元民の後少しほど、あてにならないものはない。昔聞いた他愛ない話を今ごろ思い出す。後の祭りだ。
キャンプにいい場所があるのだと、手を挙げた朱嶺を信用して、すでに三時間以上歩いている。これまでの経験を踏まえて、すでにそこで間違っていたことに気づくべきだった。学習能力のない暁治である。
もっと近場でいいじゃないかと思ったのだが、今からそれを言うには遅すぎる気がした。
「この辺も石蕗の土地なのか」
山林とはいえ持ち主はいる。今回は火も使うから許可も必要だ。知り合いが地主なのはありがたいことだと思う。
「うん、この辺の山は大体そうかな」
「そりゃすごいな」
「僕ら側のヒトが地主になってくれるのは、僕らにとってはありがたいことだけど、手入れが大変でね。草刈りとか」
「そんなこともしてるのか」
「だよ。もちろん僕らも手伝ってるけど。学校卒業したら重機の免許取る予定。後大変なのは不法投棄とかかな。そっち担当の妖もいるよ」
「ほんと、大変そうだな」
地主もいいことばかりではないようだ。不法投棄の責任者を割り出して、色々な方法で懲らしめたりすると聞き、自業自得とはいえ、相手が少し気の毒になった。
「あ、あそこだよ!」
道の先が開けると、ぽつかりとした空間が見えた。小さな庵もある。
「おい、もしかしてテントいらなかったんじゃないか?」
規模は小さいが、雨風も凌げそうな、ちゃんとした建物だ。
「えへへ、だってでーと! したかったんだもんっ!!」
知っていたらしい。確信犯だ。ほにゃりと頬を緩める姿にドキリとする。なにが『もん』だ。
あのとき石蕗に剥がされたキャンバスの布は、朱嶺に気づかれる前に戻しておいたが、もしや見られてなかったかと、まだドキドキする。
二人で稲刈りに行ったとき、なんとなく描き留めたスケッチを、なんとなくキャンバスに広げただけなのだが。
頭の中で、「なんとなくにしては、ずいぶん大判サイズに広げたんですね」と、訳知り顔で入ったツッコミはスルーである。
庵は普段から手入れされているのだが、元々の目的はテントだ。せっかく持ってきたことだしと、二人して張ってみた。特に傷んではいないようだ。
建物には風呂トイレも布団もあると聞き、ますますキイチたちに申し訳なくなる。
「おし、 飯の準備するか」
「え、まさか鍋持って来たの?」
朱嶺のリュックから土鍋を取り出す暁治に、「道理で重いわけだよ」と、本人が呆れた声をあげる。特に文句もなく元気だったから、気にせず任せきりにしていた。
「まさかこんなに歩くとは思わなかったんだよ」
近所の山だと言うから、気軽に行ける距離だと思っていた。前に釣りに行った沢よりは確かに近かったが、それでも数時間だ。
暁治のリュックには、冷凍して来た鶏肉とペットボトル。切ってきた白菜にんじん、ネギなどの野菜とキノコ類。
「鶏鍋?」
「締めにはラーメンもあるぞ」
そのつもりで、今日のパック出汁は塩味だ。
晴れているとはいえ、そろそろ朝晩は冷え込む季節。温かい鍋は嬉しい。
「ねぇ、それよりこっちこっち!」
朝から歩いて来たとはいえ、もう昼をだいぶ過ぎている。着いてからご飯にしようと思って、まだ昼も食べていないのだ。
「じゃ、お弁当持って行こうよ」
昼はキイチたちがお握りを握ってくれた。から揚げ、ウインナー、卵焼きと、定番お弁当メニューに、栗きんとんをラップでお団子にした甘いデザートだ。
人もいない個人所有の山だ。盗人もいない。暁治はやれやれとため息をつくと、折りたたみ式の給水タンクを持ち出した。
近くに川があるはずなので、ついでに水も汲めばいいだろう。
一応水は持って来たのだが、火を使うのでたくさん必要だ。薪は庵の側に乾いたのが積んであったので、ありがたく使わせてもらう。キャンプ用品は、石蕗に借りた。姉の趣味がキャンプらしく、よく付き合って行くらしい。
また歩くのかと思ったが、意外に近くだったようだ。
気づけば赤や黄色に色づいた、見事な紅葉に囲まれていた。上ってくる途中、ところどころ色づいたイチョウや楓は見ていたのだが、ここまで見事に色づいた場所はなかった。
「ここ、とっときの場所」
にぱぁと、飛び切りの笑顔に見つめられ、暁治の顔も色づいた。
「そ、……そうか」
「うん」
気のせいだろうか。朱嶺がすぐそばにいる。ぺっとりと、腕と腕が触れる距離だ。いつものように離れかけ、暁治はそこで足を止めた。
相手が動かないのに気づいたらしい。朱嶺はすりぃと、肩口に頬を寄せて来た。
赤く色づく紅葉舞い散る中に二人きり。
そう、今更ながら気づく暁治である。
普段はキイチや鷹野がいて、あまり意識したことはなかったが、一応これとは恋人同士――のような気がするし、さすがにここで逃げるのはまずいだろう。
ドキドキと、早鐘を打ち始める心臓をなだめつつ、暁治はつとめて平静を装った。が。
「ねぇねぇ。これって、婚前旅行ってやつだよね!? はるっては、こういうロマンチックなの好きだから、僕考えたよ」
ねぇねぇではない。なぜこいつはこんな開け透けなのか。まったく身もふたもない。
褒めてと頭を差し出され、思わずなでてしまう自分が憎い。もしかして今回のことは、すべて彼の計画ではないだろうか。そんな疑心暗鬼さえ浮かんでくる。そもそもテントを持って来たのは朱嶺だ。
いや、さすがにそこを疑うのはよくないと思い直す。
「そいや、あのテント。パパッと張れてすごかったね。さすがゆーゆんちの、最新式テント」
「お前なぁ……」
片端からバラされて、謎もなにもあったもんじゃない。暁治の腰に両手を回して、もっと褒めてと得意げにこちらを見上げる彼の頬を引っ張った。思えばキャンプ用具も借りているし、なにかしらあいつが絡んでるのはもう諦めてはいるのだが。
まさかその辺に隠れてないよなと、思わず辺りを見てしまった。
「なに見てるの?」
見下ろせば、朱嶺が暁治を見ている。周りの景色のように色づいた瞳は、少し潤んでいて。その奥には同じくらい熱を帯びた暁治の顔が見えた。
「まぁ、……今回だけは、流されてやってもいいか」
諦念。暁治はため息混じりに呟くと、朱嶺に身を寄せながら、ゆっくりと目を閉じた。