次候*水泉動(しみずあたたかをふくむ)
確かに旅行に行くのは了承した。
行き先も面倒だから相手に任せて、どこに行くのかも聞いてなかった。
自業自得といえば、それまでなのだが。
「ほほぉ、そなたが婿殿とな」
真っ赤な顔に長い鼻。右手でつるりと顎をなでているのは、どこから見てもまごうことなき天狗というやつだろう。
がっしりとした体躯は、かなり鍛えてそうで、身長も二メートル以上はありそうだ。
正面にどしりと座られ、威圧感たっぷりに見下ろされた暁治は、涙目になりつつ、隣に座する恋人に、視線をこそりと向ける。
「え、だって、やっぱオツキアイの次は、結婚前に親へ挨拶でしょ?」
恋人=朱嶺は、花が綻ぶような、朗らかな笑みを浮かべた。晴れやかな顔だけ見ると極上品だが、いっそ殴って砕いてやりたいと、暁治は思った。
モデル代と称して暁治とのらぶらぶ旅行をせしめた朱嶺。すぐにでも出発したそうな彼を引き留め、連休の朝に出発した二人は、桃が開いてくれた扉を潜って幽世へとやって来た。
前回来たあの道のりはなんだったのか。そう思うお手軽さだ。
受付を済ませると、朱嶺に手を引かれて、長い廊下を歩く。どうやら地下の大広間に向かっているようで、途中横切った大浴場の入り口から、温かな空気が漂ってきた。
先ほどからちらりちらりと、後ろの暁治を見る朱嶺は、どこかそわそわ浮き足立っている気がする。
「ねぇねぇ、はる」
「なんだ?」
「僕らはらぶらぶアツアツの恋人同士だよね?」
そう聞かれると反発したくなるのはなぜだろう。思う気持ちを抑えつつ、暁治は、うむとだけ頷いた。
「そろそろオツキアイも三ヶ月だっけ。いい頃合いだよね」
「まぁ、それくらいかな」
なにがいい頃合いなのか、よくわからないが。訝しげな暁治に気づいているのか、朱嶺はうんうんと頷いた。
「ゆーゆがね、人の世には、はうつーまにゅあるというのがあるって言うから、僕勉強したの」
石蕗の名前が出た、この辺りで暁治はなんだか嫌な胸騒ぎを覚える。普段鈍い学習能力も、いい加減働いてもいい頃合いだと思ったのかもしれない。
「オツキアイは、順番が大事なんだって」
「……そうだな」
その割に、こいつは色々すっ飛ばしてる気はするが、言っていることは間違いではない。それとも色々すっ飛ばしまくっているのを見兼ねて、お節介な保護者どもが気を利かせてくれたのだろうか。
「朱嶺、お前一体どこに――」
「着いたよ~」
暁治の言葉を遮ると、朱嶺はそばの襖をからりと開けた。
「親父殿! 僕の大事ならぶらぶはにぃ~を連れて来たよ!! すごくすご~く可愛いんだから、イジメないでねっ」
「なっ!?」
抵抗する間もない。暁治は腰を抱かれて、一緒に部屋の中へと運ばれた。一瞬の早業である。
かくして、冒頭に至る。というわけだ。
心の準備もなにもあったもんじゃない。騙し打ちである。
かと言って親に挨拶なんてハードルが高いもの、面と向かって言われても頷かなかったろうけれど。
周りを見ると、彼の両脇には山伏装束の者が数名控えていた。天狗の仮面を着けている者もいる。もしや朱嶺の兄たちだろうか。
素顔の者の中に、朱嶺の七番目の兄者こと、リヨン・リヨンのマスターを見つけて、ぺこりと頭を下げた。
ここはもう、腹を括るしかなさそうである。
「ええと――」
「婿殿の職業は画家だとか?」
どうしようかと口を開きかけたところ、向こうから切り出され、暁治は慌てて頷いた。ぶんぶん。
「あはい、一応は」
「一応?」
「あ、いえ。まだまだ駆け出しですので。今は教師と兼業しております」
「ふむ」
またしても、顎をなで頷かれる。無言の間が辛い。
「趣味は、なんですかな?」
「え~っと、料理、ですかね」
ぽりぽりと、頭をかきつつ、返事をする。自分は一体なにに参加しているのだろう。まるでお見合いだ。
厳つい顔をしかめつつ、ふむと頷く天狗は、またそれっきり黙り込む。居た堪れない。
前に桃を預かったとき、連絡をくれた声なのは間違いない。低く威厳があり、いささかしゃがれた声は、まさに天狗の頭領に相応しい。
「え、えぇと、朱嶺くんにはいつもお世話――」
しているのはこちらの気がしたので、暁治は口籠もった。
学校では人気者で、いつもクラスの中心です。ちょっと元気すぎるところと、人の話を聞かないところが少し困ったところでして。とか。待てそれでは家庭訪問だ。
なにを話せばいいのだろう。ちらりと横を見ると、朱嶺が笑顔でサムズアップしている。いっそ殴ってやりたい。
しかし考えてみれば、暁治は教師、朱嶺はとうに成人してはいるものの学生だ。そこを言われるとまずい気がするが、恋人として付き合ってるのは事実で。
「えぇと……朱嶺――悟くんとは、オツキアイさせていただいています」
……話が終わってしまった。
いかん。他にも言うことがあるだろう、俺。
言い訳させてもらえるなら、この部屋に入るまで、なにがあるかまったく知らなかったのだ。下準備もなにもなく、レベルいちでラスボスと対戦など、できるわけがない。
「ソレは、儂の末の息子だが」
やがて無言に耐えかねたのか、天狗の頭領が口を開く。
「儂とは親子の血の繋がりはないが、そやつは息子の中でも一番力が強い。儂の跡継ぎにと思うていたが、嫌だと言い始めた。なんでも好いた相手ができて、添い遂げたいとな」
「は、はい……」
じろりと睨まれて一瞬で固まった。その様子を見た朱嶺は、唇を尖らせる。
「親父殿、威圧は解いてよね。もう、はるをいじめたら、メッだよ? ただでさえ、顔が怖いんだから」
「ふん、これしきで狼狽えるような腑抜け、我が一族の末席には相応しくはないぞ。正治殿の孫と言うが、挨拶ひとつできぬとは。少しは期待したが」
固まっていた暁治は、祖父の名にぴくりと身体を揺らした。
「天狗の頭領殿」
居住まいを正す。確かにいくらパニックになったとはいえ、彼の言う通り、挨拶くらいはすべきだろう。ましてや朱嶺の親で、初対面なのだ。
「ご挨拶遅れて申し訳ありません。改めて初めまして。私、宮古暁治と申します。朱嶺悟さんとお付き合いさせていただいています。これからもよろしくお願いします」
ぺこりと、頭を下げる。
「はる、そこは『私にください』じゃ、ないの?」
不満げな朱嶺の頬をつねった。
「お前は物じゃないだろ」
「うん!」
言葉とともに、手を振り切って抱きついてくる朱嶺を押し返す。石蕗たちの前では慣れたとはいえ、初対面で衆人環視の中ではまだ恥ずかしい。
「ごほん」
まだ話の途中だった。
「ふん、儂は悟の父だ。修行中の身ではあるが、天狗の纏めをしておる。まぁ、まだまだ及第点にはほど遠いが、その頑固そうな性根は見どころがありそうだ」
「うん、はるはすっごい頑固だよ!」
それって褒め言葉なのだろうか。暁治が首をひねっていると、ふぃっと、周りの空気が和んだ。
「え?」
もしかして、これでよかったのだろうか。マスターが認めてないとか言ってたのって、暁治が挨拶に来なかったから?
まだ呆然としている暁治に、どうぞと盆が差し出された。氷の入ったグラスが載っている。少しピンクがかった白いジュースだ。
「あ、どうも」
顔を上げるといつの間にそばに来たのか、盆を手にしたマスターが頷いている。ちょうど喉が渇いていたこともあり、暁治は一気に飲み干した。
ここの旅館名物らしい。桃のジュースだ。宿泊客に無料で振る舞われているものらしく、前に来たとき気に入って、よく飲んでいたから知っている。ちなみに朱嶺は炭酸水で割るのが好きだ。
「美味い」
「これ、美味しいよね」
朱嶺も貰ったらしい。隣で飲んでいる。相変わらず能天気な恋人を見て、暁治はため息をついた。天狗の頭領には一応了解は貰えたようなのだが、まだまだ悩みは尽きない。
「そうなの? 例えば?」
「例えばだな、お前三百歳だろ」
「うん、まだぴちぴちだよ!」
「ピチピチは意味わからんが、俺は二十五だ。歳の差というか、俺の方が先に……」
「あ~、なるなる」
朱嶺は、飲み干したジュースをそばに置くと、なんだそんなことかと、ぽぅんと手を打った。
そんなことか呼ばわりは腹立たしいが、言いたいことは伝わったらしい。
妖の世界に生きる朱嶺と違って、暁治は普通の人間だ。今は共にいられても、その内別れはやってくるだろう。遺してゆく者と残される者。どちらが辛いかはわからないけれど。
朱嶺は、俯く暁治を見つめながら、こてりと首を傾けた。
「はる、そのジュース、なにか知ってるっけ?」
「ん? 桃のジュースだろ」
「うん、幽世名物、桃源郷の蟠桃ジュースだよ」
「桃源郷?」
「そうそう。土産物売り場にあるジュースの瓶のラベルに猿の絵があったでしょ? あの桃、孫悟空って猿も大好物でね。ひとつ食べると百年寿命が伸びるんだって」
「へ?」
まだジュースの入ったグラスと、朱嶺の顔を見比べる。次に旅館の至るところに置かれていたジュースの冷却クーラーが脳裏に思い浮かんだ。
「えぇぇぇぇっ!?」
旅館で、『ご自由にどうぞ』と貼り紙があったら『普通』は飲むと思う。そしてジュースにそんな効果があるなんて、『普通』は思うわけがない。
なんていうチートの大盤振る舞い。暁治は文字通り頭を抱えた。
「俺、あのジュース、十杯以上は飲んでるんだが」
自分の意地汚さが情けない。うなだれる暁治のそばで、ほわり、花が綻ぶような笑顔が目に映る。
「いっぱい寿命伸びるね」
「いっぱいじゃない!!」
「いゃぁぁ、はる痛い痛いって!!」
げしげしと、繰り出すパンチを受けて、朱嶺が悲鳴を上げた。
色々やるせない気分の暁治と、殴られるままの朱嶺を見ながら、天狗の頭領は深く頷く。
「婿殿のパンチ力はなかなか見どころがあるな」
「鍛えればいいとこ行きそう」
「早速修行に誘うか?」
「朱嶺頑張れよ~」
弟に似て能天気な声を上げる天狗たちは、手にしたジュースを飲みながら、いつ果てるともない痴話喧嘩を観戦していたという。