まっすぐな想い
――好き、好き、好きだよ
――お願い振り向いて
純粋で飾り気のない愛の言葉。
すっと心に染み込んできた声は、甘酸っぱい恋の香りがしそうな、ひどく心地の良い、優しい声音をしていた。こんなにも想いがこもった声を聞いたら、どんな人でも振り向いてしまいたくなるだろう。
初めて彼の『声』を聞いた時、天音はロマンス小説の一文を読んでいる気分で、なんて微笑ましい恋だろうかと思った。
「返却分、確かにお預かりしました」
カウンターの向こうに立つ青年から、いつものように本を受け取り、天音はやんわりと笑みを返す。
「ありがとうございました」
向けた笑みに、律儀に会釈を返してくる彼は、赤茶色い髪にピアスといった、いまどき風の大学生。
一見すると目つきが悪く、無愛想にも見えるけれど、胸には人の心を震わせるほどの、熱い想いを秘めている。
彼は聞くだけで、天音を甘く、くすぐったい気持ちにさせた、あの『声』の持ち主だった。
「今日は閲覧室、十八時までだから、気をつけてくださいね」
天音が勤める図書館に、彼が来るようになってもう一年以上は経つだろうか。閲覧室で本を読んでいくのは、いまではお決まりのパターンだ。
彼の驚くべき点は、ほぼ毎日のように訪れているのに、さらに本を借りて行くことだ。
「すごく本が好きなんだろうな」
閲覧室へ向かう青年の後ろ姿を見つめ、天音は感心したように息をつく。読書好きな人は多いけれど、この図書館に彼ほどやってくる人はそう多くはない。
ありがたいことだ――利用者があっての図書館。もっと彼のような人が増えるといいのだけれど。
そんなことを思いながら、天音は返ってきたばかりの本を、こそりと指先で撫でる。
すると小さな『声』が、頭の中にふんわりと優しく響き始める。それとともに目の前の空間は、光の粒子が舞うかのようにまばゆくなった。
――やっぱりあれはもっと頑張るべきだった。
――できないことを嘆いても仕方ないな。
――これからはもっと気をつけよう。
断片的な『声』が浮かんで弾けると、光も連動するように瞬き、空間に広がった。これは本に染み込んだ、青年の心の声だ。
天音はものに触れると、そこに残った人の思念を聞くことができる。図書館でしか顔を合わせない、彼の想いを知ることができたのは、この力ゆえだ。
普段はなるべく聞かないよう、コントロールすることを心がけていて、手袋をすることで、聞こえてくる声をさらに鈍らせていた。そのため外出時の手袋の着用は必須だ。
しかし青年の声だけは、なぜだか手袋をしたままでも、クリアに聞こえてくる。
初めて彼の声が聞こえてきたのは三ヶ月ほど前だ。突然のことだったので、コントロールが乱れているのではと、自分を疑いもしたが、ほかの人の声はちゃんと防ぐことができていた。
手袋越しではっきりと聞こえるのは、彼だけだった。
当初は耳を塞ごうと強く意識したけれど、すっかり波長が合ってしまったらしく、どうやっても流れ込んでくる声を、抑えることができない。
しばらく悩んだ末に、天音は自分から彼の声に耳を傾けるようになった。
青年の声からは、マイナスの感情が聞こえてこないので、塞いでも聞こえるならば、いっそ最初から受け入れたほうが、自身への負担も少ない。
穏やかな心の声は、素直で誠実そうな一面が垣間見られ、少し疲れた時、気持ちがささくれた時、聞くだけで癒された。いまの天音にとっては、彼の声を聞くひとときは、ちょっとしたご褒美だ。
おかげで彼がやってくる時間帯に、進んでカウンターへ入るようになった。
――今日は同じ講義だ。会うの久しぶりだな。
――相変わらずで安心した。
そんな彼には、どうやら片想いをしている相手がいるらしく、想い人とのやり取りに一喜一憂している、その様子がいつもひどく可愛らしい。
あの愛の言葉は、きっとその人へ宛てたものだろう。
「早く想いが届くといいのに。可愛いな」
「遠藤くん、配架を手伝ってくれる?」
「はい」
ふっと現実に引き戻されて、天音は本を返却用のブックトラックに載せた。そうすると周囲で煌めいていた光が、一瞬で霧散する。