触れて触って抱きしめて

幸せの場所

「誠くん、鍵がない」「また鞄の中で鍵を行方不明にしたの?」「ごめん」「いいよ」 ようやくたどり着いた玄関扉の前で、助けを求めるように天音が見上げると、誠は苦笑しながらベルトループに引っかけたキーチェーンを手に取る。 その中から鍵を一本選び出…

穏やかな時間

 まだ夏の暑さが残る九月の半ば。 夕焼け空を眺めながら、天音は駅前に立っていた。今日は仕事が休みで、恋人の誠と、ここで待ち合わせをしているのだ。「もう授業は終わったかな?」 鞄に入れていたスマートフォンを手に取ると、タイミング良くメッセージ…

一途な愛情

 雨が窓を叩く音で目が覚めた時には、部屋の中は暗くしんと静まり返っていた。ふと誠の気配を探そうとして、後ろから抱き込まれていることに気づく。 自分を抱きしめる腕をそっと撫でると、天音は大きな手を口元へ引き寄せた。「誠くん」「なに?」「え? …

溢れるほどの愛

 触れるだけだった口づけは、次第に熱を持ち始める。求めるように天音が舌を伸ばせば、絡んだ舌先に優しく愛撫された。「誠くんのキス、好き」「あんまり、可愛いこと言わないでよ」 ゆっくりと離れていった唇を、追いかけるように天音は手を伸ばす。そっと…

優しく触れて

 触れるだけの子供みたいな拙いキスは、いままでしてきたキスの、どれよりも甘さを感じる。けれど応えるように唇を食まれて、天音はぞくりとする快感に身体を震わせた。「天音さん、もう逃げたりしないでね」「ごめんなさい。一方的に避けて、誠くんの気持ち…

救われる心

 二人並んで歩き出すと、誠は繋いでいた手を離してくれた。天音に逃げ出す気配がなくなったからだろう。 それでも時折存在を確かめるみたいに、視線が向けられた。その眼差しに天音の胸は、はち切れそうになる。熱を感じる誠の瞳には、愛おしいという感情が…

本当の気持ち

 一人で空回るくらいなら、誠に思っていることを伝えるべきだった。どうして逃げ出したのか、訳を話すべきだろう。受け止めてもらえなくとも、一人うじうじしているよりもマシだ。 道江と店の前で別れたあと、天音は意を決して誠のアパートへ向かった。連絡…

身勝手な感情

 さよならを言いたくないから逃げ出した。 薄々気づいていたが、自覚をすると胸が苦しくなる。 急に沈み込んだ天音の様子に、気づいているだろう道江は、わざと明るい話題を選んで話してくれる。気遣いがひどく嬉しいと思うけれど、時折聞こえてくる大きな…

心に巣くう記憶

 心の声を聞く力は、時折傍にいる人へ伝染する。天音がものを介するのに対し、相手は直に触れるだけで天音の声を聞く。 これまでの経験では、長く付き合った相手に移ることがほとんどだった。 伝染するまでの期間は早くて一年。遅くとも二年ほど経った頃だ…

心が軋む

 目が覚めたのは明るい日の光が、射し込み始めた頃だった。意識が浮上した途端に、鉛を入れられたかのような頭が、脈打つように痛み始め、天音は眉をひそめる。「うー、ガンガンする」 目を閉じていても、平衡感覚が狂ったように、ぐるぐるとしているのがわ…

心地いいぬくもり

 ふわふわとした夢見心地の中、天音は温かなぬくもりと声を感じていた。 髪を撫で梳く、大きな手。心の内側に響く優しく甘い声。そのどれもが気持ち良く、傍にあるぬくもりに頬を寄せる。 かすかに感じる熱に、天音の胸はきゅっと甘く締めつけられた。「……

好きな人

 予約したという店は、商業ビルの五階にある、洒落た個室メインの居酒屋だった。席はベンチシートで、目の前の窓からは雨に濡れた街並みが見える。 もっとラフな居酒屋を想像していたので、選択の意外性に驚いた。それでも個室のほうがゆっくり話せるから、…