Days with you/02

 常日頃べったりな雪羽と日向ではあるが、それも学校の中で過ごすほんの一部分に過ぎない。二人はまず在籍するクラスが違う。二人の通う学校は生徒数が多いためにクラスも比例して多く、一学年八クラスある。そして雪羽はHクラスで日向はAクラス。教室が校舎の端と端に分かれていた。

 教室を行き交うための距離は、五分とかからないが五分近くはかかる。往復十分弱だ。そのため授業の合間にある休憩には会いに行けない。会うのは昼と放課後のみ。朝に会えないのは雪羽が毎朝遅刻ギリギリで駆け込んでくることがほとんどだからだ。

 けれど二人はそれでも構わないと思っている。学校でこれ以上一緒にいると、二人が怪しいとか、付き合っているんじゃないかとか、軽い噂では済まなくなるかもしれないから。
 そうすれば余計な詮索をされて友人たちにも迷惑がかかる可能性も出てくる。二人だけの問題ならばなにを言われても我慢はできるが、周りまで巻き込むのは避けたいと思っていた。
 けれどそんな二人の想いを推し量れない人間も存在する。

「神谷くーん!」

「なに?」

 放課後になり教室掃除をしていた雪羽はふいにクラスメイトに名前を呼ばれた。その声に振り返れば、出入り口で女子が手招いてる。その手を不思議に思いながら近づいていくと、廊下に見覚えのない女子生徒が立っていた。少し引っ込み思案そうなお下げ髪の彼女は、雪羽を見て肩を跳ね上げそわそわとする。
 なに気なくネクタイの色を確認してみるとグリーンのタイをしていた。それは三年生の色だ。

 見覚えのない三年生がなんの用だろうかと、雪羽は様子を窺うように小さく首を傾げる。雪羽を呼びつけたクラスの女子はなにやら二人を見比べてにやにやとしているが、なんとなく告白とかそういう雰囲気ではないと感じた。
 じっと見つめる雪羽の視線が居心地悪くなったのか、三年の女子はブレザーのポケットから取り出した封筒を胸元に突きつけて踵を返す。驚いて雪羽は声をかけようとしたが、声をかける間もなく彼女は走り去ってしまった。

「なになに? 神谷くん先輩から告白?」

「んー、多分違うとは思うけど」

 胸に押しつけられたのはピンク色の洋型封筒で、糊づけはされておらず中身がすぐに見て取れた。中には便せんが一枚。開いてみれば女の子らしい丸文字で「旧校舎裏で待ってます」と一文書かれているのみだ。
 これだけ見れば告白でもされるのだろうかと、勘違いしそうになる。けれど雪羽にはそれをそうとは受け取れずにいた。難しい顔をして便せんを見下ろす雪羽に、並び立った女子が不思議そうに目を瞬かせる。

「どうしたの?」

「ああ、ううん。なんでもない。あ、早く掃除終わらせよう」

 努めて明るく笑みを作った雪羽は、封筒をポケットに突っ込んで掃除を再開する。クラスメイトたちはまだ気にしている様子を見せているが、当の本人がなにごともない顔をしているので、そのうち気にする者もいなくなった。
 その後も掃除を終えていつも通りクラスメイトと談笑し、みんなが帰り支度を始める頃に雪羽も教室を出た。普段だったら真っ先に日向へメールを送るところだが、今日はそれをせずに旧校舎へと向かう。そしてたどり着いた旧校舎の前は通り過ぎて、裏側へと足を進めていく。

 そこは普段からまったく人が立ち入らない場所だ。木々に覆われて少しばかり陰ったそこは、かなり陰気で雰囲気はよくない。こんなところを告白の場所にする変わり者は、そういないだろうと雪羽は肩をすくめて息をついた。
 告白と勘違いさせるような手紙から鑑みても、これはからかいや悪ふざけだったのかもしれない。しばらくそこで待ってみたが人が来る気配もないので、雪羽は日向へ連絡して帰ろうと携帯電話を取り出した。

「もしかして、いつものところにいるかな?」

 ふいに顔を持ち上げて雪羽は旧校舎を見上げる。けれど二人がいつも集まる教室はここからは見えない。しかしなにも連絡が来ていないことを考えると、そこにいることは想像できた。メッセージを送るのをやめて携帯電話をポケットへ戻すと、雪羽は来た道を戻るように方向転換をする。

「やだ、あんな手紙でのこのこ来る人が本当にいるのね」

 雪羽が足を踏み出そうとしたところで校舎の陰から人が出てきた。すらりとした長い手足に些かきつい瞳。三年のネクタイをした彼女は、雪羽を見るなり鼻先で笑いながら、背後にいる背の高い男に目配せをした。
 その第一印象はかなり感じが悪い。顔は綺麗な顔立ちをしているのに、性格の悪さが表面に出ている。

「俺が来なかったら、手紙を持ってきた先輩がなにを言われるかわからないですしね」

 第一声から考えてみても、手紙のいたずらは彼女であるのは明白だ。少しばかり嫌味を含めて肩をすくめれば、整った眉が不機嫌さを現すように跳ね上がる。

「……生意気」

「高みの見物しに来たのなら申し訳ないですが、俺もう帰りますよ。大した用はないんですよね?」

「待ちなさいよ」

 勘違いした男がいそいそとやってくるところを覗いて笑ってやろう、そのくらいの気持ちだと思っていた。けれど彼女は通り過ぎようとした雪羽を引き止める。勢いよく掴まれた腕に驚いて振り返れば、先ほどよりきつい顔をして彼女は睨み付けてくる。

「あんたみたいな見た目もぱっとしない、地味な男なんかのどこがいいのかわからないわ」

 忌ま忌ましそうに顔を歪めるその顔をじっと見つめ、雪羽は少し考え込んだ。以前、姉の鞠子が三年の中にかなり日向に入れあげている女子がいると言っていた。顔はかなり可愛いけれど性格は最悪だとげんなりしながら語っていたことを思い出す。

「君島、美智先輩、ですよね」

「なによ」

「日向のことでしたら、俺があなたから聞くことはなにもないです」

「なに勝ち誇った顔してるのよ! あんたなんか釣り合わないんだから、隣に立つのも腹立たしい。いますぐ別れなさいよ!」

「じゃあ、それを日向に言って、別れるってあいつが言ったら考えてもいいですよ」

 きつさもない大人しそうな見た目とは裏腹に、まったく怯まない雪羽の態度に美智はぐっと唇を噛む。もの言いたげに口を開きかけるが、それもすぐ吐き出されずに飲み込まれた。自分の分が悪いことを自覚しているのだ。けれど納得がいっていないのは目を見ればわかる。しかしそれを受け止めずに雪羽は小さく頭を下げた。

「それじゃあ、帰ります。失礼します」

 ゆっくりと横を通り過ぎると、両手を握りしめていた美智が振り返った気配を感じる。突き刺さるような視線を背中に感じるが、あえて振り向かずに先を歩く。

「私は絶対に認めないんだから!」

 静かな空間を引き裂くような叫び声だ。その声に小さく息を吐いて雪羽はさらに足を進めた。美智の横を通り過ぎた時に背の高い男がなにか言いたげな目をしていたけれど、立ち止まる状況でもなかったので雪羽はそのままその場をあとにした。
 そしてぐるりと回って旧校舎の正面口へ向かえば、入り口に人が立っているのに気がつく。その人は雪羽を目に留めると、片手を上げてひらりとそれを振った。

「日向」

 そこにいたのは見間違えようもない人物で、雪羽は驚きをあらわにしたまま駆け寄る。

「どうしたんだこんなところで」

「お前が入り口を通り過ぎていくのが見えたから、様子を見に来た」

「え? じゃあ、さっきまでのやり取り全部聞かれてた?」

「ああ、聞いてた」

 小さく頷く日向に雪羽の頬がじわりと赤く染まる。そしてまっすぐと向けられる視線に照れくさそうに目を伏せ、ゆるりと手を持ち上げると日向のブレザーの裾をつまんだ。

「格好つけて言ったけど、正直ちょっと不安はあるんだ」

「俺が別れろって言われて別れると思ってんのか?」

「それは、そうは思わないけど」

「思わねぇならそんな辛気くさい顔するな。俺が選ぶのは雪羽だけだ」

 目を伏せたまま俯く雪羽に日向は少し大げさなため息をつく。そしてゆっくりと持ち上げられた手が雪羽の頬を包み込んだ。指先で上向かされて、近づいてきた日向の唇がやんわりと重なる。吸い付くように触れた唇は、小さなリップ音を立てて何度も柔らかな唇をついばむ。
 けれどその唇を雪羽は慌てて両手で押し止めた。

「待った! 日向、ここ外だから」

「可愛い顔されると襲いたくなる。上に行くか?」

「うん」

 うなじが赤くなるほど紅潮した雪羽の頬をべろりと舐め上げた日向が目を細める。その視線にそわそわと目をさ迷わせる雪羽は、掴んだブレザーを引っ張って足早に旧校舎の中へと足を進めた。
 いまは放課後なので一階では美術部が活動をしていて、一つ上がった二階では吹奏楽部が練習する音が響いている。けれど廊下に人は見当たらず、雪羽はブレザーを放すと日向の手を握った。

「雪羽、可愛い。早くキスしたい」

「ちょ、待った。まだ、待てよ」

 じゃれるように背中から覆い被さってくる日向に階段を上っている雪羽の足がよろめく。慌てて踏ん張るが、首筋や頬に唇を寄せられてふやけたように力が抜ける。けれど腰を抜かした雪羽の身体を日向はとっさに抱き寄せた。そして膝裏に手を差し入れるとそのまま持ち上げる。あっという間に横抱きにされた雪羽は抵抗する隙もない。

「日向! 下ろせ!」

「いやだ、時間がもったいない」

 一人分の重みなど感じさせない軽やかさで階段を上っていく日向に、雪羽は恥ずかしさと悔しさが入り交じった複雑な気持ちになる。易々と抱き上げられてしまう自分の小柄さが恨めしくて、自分を抱き上げている日向のぬくもりに胸が跳ね上がって、言葉にならない唸り声を上げた。
 そんな雪羽の反応に日向は抱きしめる手に力を込めて楽しげに笑うばかりだ。その横顔を見上げて文句の言葉も出ないと、雪羽は小さく息をついた。