君が教えてくれたもの01
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 思いがけず同じ趣味を持っていた怜治くんと僕。話をすればするほど好きなものが被っていたりして、以前よりずっと会話が増えた。
 あの作者はどうだ、あの登場人物はこうだろう。いままで他の友達とはできなかった話を、存分にできることが楽しくて、怜治くんの傍がなんだか居心地がいいものに変わった。

 言葉数は多くないけれど話はちゃんと聞いてくれるし、表情はわかりにくいけれど、まっすぐな瞳は目は口ほどにものを言うの典型だ。言葉は足りないと感じるが、不満に思うこともない。
 嫌みな言い方ではなくこれで彼が友達だったなら、これ以上ないくらいの親友とかになれたかもしれないのだが。やはりそう思うのは彼に対して失礼なことだろう。

「どうした、難しい顔して」

「あ、ううん。なんでもないよ。それよりわざわざ迎えに来てくれなくても、怜治くんの家まで行けたのに」

「……待ちきれなかったんだよ」

「あ……うん。そっか」

 期待させるように傍にいる僕のこと、焦れったくないのかな。曖昧な関係のままでいいと思っているはずはないのに、彼は僕を急かそうとはしない。いまはただ傍にいるだけでも構わないと、言われている気分になる。
 いつか僕が振り向くと信じているのだろうか。本当にそんな日が来るのか、いまの僕には想像すらできない未来だ。

「今日はオオクラさんが朝からご機嫌で、待ちきれないって感じだった。俺が出る時に一緒に飛び出しそうだったから、なだめるのに苦労した。いつもならこたつから出て来ねぇのに」

「そうなんだ。久しぶりに会うの楽しみだなぁ。それにしてもほんと最近寒くなったよね」

 秋になり、落ち葉が舞い始めるようになって気温がぐんと下がった。怜治くんが初めて僕の前に現れたのは春の終わりだったから、もうそれから半年くらい過ぎたことになる。
 思っているよりも長く一緒にいるんだと気づいて、なんだか不思議な気持ちになってしまう。最初の頃はギクシャクしてばかりだったのに、いまでは家に遊びに行くまでになるなんて。あの頃の僕に言ったら信用してもらえないだろうな。

「あ、ちょっと、れ、怜治くん」

「手、冷たいな」

「離して」

 そっと近づいた手が僕の手を握りしめた。先ほどまでポケットに突っ込まれていた手は僕の手より温かくて、繋がれた感触をよりリアルにする。小さな僕の手よりも一回り大きな手。
 包み込むみたいに握られて、変に胸がドキドキとしてしまう。目的地までの一本道。人通りはないけれど、誰かに見られるのが恥ずかしくて、僕は逃れるよう手を引いた。

「広志は冷え性だよな。いつも手先が冷たい」

 僕のささやかな抵抗をものともせず、怜治くんは指先に力を込めて僕の手を離そうとしない。僕の反応を楽しんでいるような素振りさえ見せる余裕がある。僕が本気で嫌がって振りほどかないのを、見透かされているみたいでちょっぴり悔しい。
 振り払おうと思えば振り払えるし、僕がちゃんと態度で示せば怜治くんは手を離してくれるだろう。でもいまここで気まずい雰囲気になるのが嫌なんだ。僕は怜治くんとこじれるのは嫌だと思っている。そこが僕の曖昧さだ。

「怜治くんが友達だったらいいのに」

「……俺は広志の友達にはならねぇ」

「うん」

 わかってはいるんだ。それが叶わない望みなんだってこと。いまの関係は友達ごっこの延長線で、最終的に怜治くんとは付き合うか、離れるかしか選択肢がない。いまはそれまでの猶予期間なのだ。

「にゃぁーん」

「広志、オオクラさんが迎えに来た」

「え?」

 しばらく俯き歩いていたらふいに怜治くんが足を止めた。遠くから聞こえてきた猫の鳴き声と怜治くんの声に顔を上げれば、道の先から近づいてくる小さな影が見える。それに目をこらすと、影はあっという間に僕たちの目の前にまでやって来た。

「オオクラさん! 来てくれたんだね」

「なぁう」

 艶やかな漆黒の毛並みと宝石みたいに煌めく金とブルーの瞳。麗しい姿と聡明そうな面立ちは不思議と心を惹きつけられる。
 なごなごと鳴くオオクラさんは、言語を操ることはできなくとも、ちゃんと言葉は伝わっている気がした。まっすぐとこちらを見る目が雄弁だ。

 僕や怜治くんと視線を交わしたオオクラさんは、僕たちの足の周りを回り、甘えるように身体を擦り付けたあと、道を先導するように来た道を歩き始める。ぴんと縦に伸びた尻尾がご機嫌を表しているようだ。

「あれ? もう着いたんだ。前に来た時とちょっと道が違った?」

 オオクラさんのあとについて道の角を曲がると、少し先に大きな門構えの家が見えた。ぐるりと高い塀に囲まれた日本家屋は一度訪れた怜治くんの家だ。前に来た時とは違う角度で見えた目的地に僕は首を傾げてしまった。

「学校から家と駅から家は近い道が違う」

「そうなんだ。だから迎えに来てくれたんだ。えっと、ありがとう」

「別に、俺が待ちきれなかっただけだ」

 道が違うからという言い訳よりも、僕に会いたいと言ってくれる怜治くんの気持ちは、まっすぐすぎて突き刺さってしまいそうだ。ちょっと胸が苦しくなった。

「行こう」

「うん」

 久しぶりにやって来た怜治くんの家の前には、相変わらず曇り一つない、磨き上げられた黒い車が駐められている。大きな門扉の横にある潜り戸を抜ければ、少し先に玄関が見えた。
 左手は庭に繋がっているが、今日は以前に来た時とは違って強面の人たちはいない。ほんの少しほっとしてしまった。

「今日はおうちの人たちはいるの?」

「ああ、二人ともいる。ほかのは出払ってもらった」

「そうなんだ」

 事前に聞いた話では怜治くんのほかには家族が二人いて、三人暮らしをしていると聞いている。ほかの人たちというのは強面のお兄さんたちのことだろう。もしかして僕に気を使って家にいないようにしてくれたのかな。

「にゃーう」

 玄関扉を開けるとまず先にオオクラさんが悠々と入っていく。その後ろを怜治くん、僕と続いた。

「失礼しまーす」

 家の大きさに比例して、土間はとても広くてまるで旅館の玄関みたいだった。なんだか広すぎると落ち着かない気持ちになる。

「あれ? オオクラさん帰ってきたの? もう着いたのかな」

 オオクラさんが廊下を抜け姿を消すと、奥のほうから声が聞こえてきた。声は少しずつ近づいてきて、オオクラさんと入れ違いにその姿を現した。

「あ、いらっしゃい」

 現れたのは色白でほっそりとした身体つきの綺麗な人だ。肩先まで伸びた栗色の髪と柔らかな光を含む眼差し。ふっくらとした唇は色づき、口元にあるほくろと相まってなんだかちょっと色っぽい。
 思わずぼーっと見つめてしまうほどに魅力的な人だ。小さく首を傾げるそんな仕草さえ、キラキラと光の粉が舞うように見える。

「え、っと……怜治くんのお姉さん?」

「……」

「あはは、やだなぁ。お兄さんだよ」

 隣で沈黙する怜治くんとは対照的に、綺麗なその人は大きく口を開いて笑い、肩を揺らす。僕は視覚の情報と、返ってきた言葉とを飲み込むのに時間がかかり、固まってしまった。

「へ? あっ、その、ご、ごめんなさい。あ、そうですよね」

 確かに見た目は綺麗な女の人と見まごうほどだが、声はちゃんと男性だ。視覚からのインパクトがあまりにも大きすぎて、ちゃんと認識できなかった。急にどっと冷や汗をかいて、僕は振り子のごとく何度も頭を下げた。

「顔がいいって遺伝なんだ」

「ふはっ、独り言が声に出てるよ。でも訂正すると俺は怜治のお兄さんじゃないよ。この家の居候、綺堂詩信って言うんだ。よろしくね」

 腹を抱えて笑いだす詩信さんを前に、冷や汗を通り越し今度は顔に熱が集中した。茹で上げられたみたいに熱くて、自分でも真っ赤になっていることがわかるほどだ。

「ぼ、僕は一ノ瀬広志です。えっと、お邪魔します」

「広志、行くぞ」

「う、うん」

「ごゆっくり。あとでお茶持って行くね」

 にこにこと笑う詩信さんの横を、怜治くんはいつもと変わらない顔で通りすぎていく。僕は慌てて靴を脱ぐとその後ろ姿を追いかけた。

「あ、ケーキ。渡すの忘れちゃった」

 一人であたふたとしてしまって、お土産を持っているのを忘れていた。怜治くんに好みを聞いて、駅前のケーキ屋さんでお家の人の分もケーキを買ったのだ。片手にぶら下げていた袋の存在を思い出し、僕は後ろを振り返る。

「あとで渡せばいい。どうせ部屋に顔を出す」

「うん、そうだね」

 いまは先を歩く怜治くんのあとをついて行くので精一杯だ。この家、想像しているよりもずっと広い。廊下を歩いていると、似たようなふすまがたくさん並んでいて、通りすぎる部屋の多さにも驚く。
 狭小住宅な昨今、こんなに広い家は珍しいのではないだろうか。僕の家は何個入るだろう。思わずそんなくだらないことを考えてしまった。

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