悠太くんのこういうとこずるい。あんまりにも無邪気だから笑った顔に誤魔化されそうになる。顔のいい人ってそれだけで得だと思う。それに人当たりの良さがプラスされると、さらに三割増しくらいだ。
「部活の先輩とか役員の先輩とか、物々交換で」
「僕の知らないところで、僕のこと勝手に取り引き材料にしないでよ!」
「親友の喜ぶ顔が見たいと思うのが友の真心ってものさ。ほらこれ見て、めっちゃいい写真が手に入ったんだよ」
むくれる僕など気にもとめずに、悠太くんはテーブルに置いてあった怜治くんの教科書に手を伸ばす。そしてパラパラとページをめくると、あいだに挟まっていた一枚の紙を抜き取った。
「これはオオクラさんだけじゃなくて、怜治にもお宝になること間違いなし!」
じゃーんと効果音付きで差しのばされた手の中にあるのは、紙――ではなく写真だ。またもやいつどこで撮られたのかもわからない僕の写真。
多分友達と話をしているところなのだろう。自分で言うのもなんだが随分といい笑顔で写っている。僕こんな顔して笑うんだな。
ちらりと横にいる怜治くんの顔を見たら、表情はわかりにくいけれど、目がキラキラとしている。多分すごく喜んでるんだと思う。もしも彼が大きな犬かなにかだったら、尻尾がぶんぶんと振られていそうな感じ。
「もう、怒る気も失せちゃうじゃないか」
そんなに無防備に喜んだ顔を見せられると、腹を立てる僕のほうが悪いみたいな気になる。本当にまっすぐで素直すぎるから、こういうところ勝てないって思っちゃう。僕の負けだ。
「こういうのはさ、一方的な感じじゃなくて一緒がいいと思わない?」
「……?」
ふぅと長いため息を吐き出して、僕はポケットを探り携帯電話を取り出した。そしてカメラを起動するとそれを悠太くんに差し出す。
一瞬きょとんとした顔をしたが、彼はすぐに合点がいったのか笑顔で携帯電話を受け取り構えた。けれど怜治くんはまだあまりよくわかっていないのか、頭の上に疑問符が浮かんでいるように見える。
「今度からは僕に許可を取ってよね。ほら、怜治くんも笑って」
僕の顔を見ながら小さく首を傾げた怜治くんの片腕を取ると、僕は引き寄せて彼にぴったりと寄り添った。
「撮るよー」
ご機嫌な悠太くんの声と構えられた携帯電話とを見比べて、ようやく気がついたのか怜治くんの身体に力が入ったのがわかる。少し緊張しているみたいに背筋が伸びて、ぎゅっと膝の上で手を握るそんな仕草がなんだか可愛く思えた。
「怜治はちょっと目つきが悪いけど、広志先輩は可愛く撮れたよ、はい」
「ありがと」
返ってきた携帯電話を覗くと、ちょっとこわばった顔で口を引き結ぶ怜治くんと、至極楽しげな顔をした僕が写っている。それを保存して僕は怜治くんに向き直った。
「写真を送るから携帯出して」
そういえば僕らはまだ連絡先も交換していなかった。はやりのメッセンジャーアプリは、数少ない友達と家族くらいしかやり取りしたことがないが、いい機会だし繋がるのもいいかもしれない。
「あ、アイコン、オオクラさんだ」
新しく表示された丸いアイコンに可愛い黒猫がいる。本当にオオクラさんのこと、可愛がっているんだなと思えて、すごく微笑ましい気持ちになった。
「いつでも連絡くれていいよ。帰りとか連絡をくれればわざわざ教室に来なくても、校門で待ち合わせられるし」
一時来ない時期もあったけれど、いまも毎日のように怜治くんは放課後になると僕を迎えにやってくる。
最初のうちはあまり気にしていなかったことなのだが、怜治くんの教室と僕の教室は三階と二階と言うだけでなく、意外と端と端で離れている。ホームルームが終わってすぐに来たとしても十分弱かかる。
そのあいだにすれ違うこともよくあるのだ。そうすると彼は僕の教室の前で忠犬よろしくずっと待っている。僕が教室に戻ってくるまでずっとだ。
そのことで僕も申し訳なさがあるのだが、それ以上にほかのみんなが怜治くんがそこにいるのを嫌がるので、そんな中で待たせているのが気にかかっていた。
「怜治くん毎日急いで来てるみたいだし、いつも掃除当番どうしてるのかとか、用事はないのかとか心配だったんだ。今度からは僕も待つからさ」
携帯電話を握りしめたままこちらを見る怜治くんの瞳が驚きに変わり、そして少し嬉しそうに目元が和らぐ。引き結ばれていた口元がかすかにほころんで、彼は小さく頷いた。
「あ、そろそろ休憩も終わるね。僕、次の時間は移動教室だからそろそろ戻らなくちゃ」
「ああ」
「そうだ。今日は帰りに本屋さんに寄りたいんだ。寄り道してもいい?」
「構わない」
「ほんと? 良かった。どうしても欲しい新刊があるんだ」
帰り道の本屋は最寄り駅を少し過ぎたところにある。怜治くんの家は駅とは反対方向で、いつも僕と駅まで歩いたあと来た道を戻って帰って行く。だから寄り道するのは少し気が引けていた。
「広志先輩は本読む人なんだ。漫画とかも読む?」
「漫画はあまり詳しくはないかな。弟が読んでいるものをたまに読んだりもするけど。小説のほうが多いかな。ミステリーとかファンタジーとかが特にすごく好きで」
「へぇ、だったら怜治と趣味が合うかもよ。怜治の部屋の本棚は本びっしりだよ」
「え? そうなの?」
にこにこ笑う悠太くんの言葉に驚いて怜治くんを振り返ると、彼は少し居心地悪そうな表情を浮かべて僕を見た。あれ? あまり知られたくないことだったのかな?
そういえば彼はいつも自分のことを知られると目を泳がせる。どうしていいかわからないといった顔だ。僕は新しいことを知ることができるのは嬉しいのにな。
「小説好きなら怜治の家に遊びに行けば? 飽きるほどあるよ」
「そうなんだ。えっと、あの。上条高久って作家は知ってる?」
「……全部、揃ってる。すべて初版本だ」
「えっ! すごい! ここ二、三年で売れた作家だから、初期の本まで初版本だなんてすごく貴重だよ。怜治くんも好きなの?」
まさかこんなところで怜治くんと共通の話題が持てるなんて思いもしなかった。思わず身を乗り出すように詰め寄ってしまう。少し詰め寄りすぎて後ろへ引かれたけれど、話が通じる喜びは抑えようもない。
いくら仲が良くてもやっぱり周りの友達は漫画やアニメばかりで、文学作品にはいまひとつ興味を持ってくれないのだ。
「持っていないのがあるなら貸すけど」
「いいの? あのね、デビュー作の星影の騎士がどうしても手に入らなかったんだ」
「次の休み、来るか?」
「行く! オオクラさんにも会いたいし」
これは一挙両得だ。大好きな作家の本を読めて、最上級の癒やしを手に入れられる。これ以上ない幸せではないだろうか。湧き上がる期待感に胸がドキドキと強く鼓動し始める。
「お、怜治良かったな! お家デートじゃん」
「へ? あー、えーと」
拳を握りしめ歓喜に震えていたけれど、悠太くんの言葉にはたと気づいた。これって自ら怜治くんのテリトリーに無防備に飛び込むってこと? 話せる仲間が増えた的に感じていたが、そうじゃないのか。
僕ってどうしようもないほど迂闊だ。でもせっかくの機会をふいにするのももったいないし。なにより、いま目の前で嬉しそうな表情を見せる怜治くんの期待を、裏切るのも申し訳ない。とりあえずデートとかそういうのは横に置いておこう。
「お土産、持って行くね」
恋愛の好きはいまだによくわからない。少しだけほかより特別な気はするのだが、まだ僕の中の好意は友達に感じる好きとあまり大差がないのだ。
怜治くんのことは嫌いじゃない。好きか嫌いかって聞かれたら、好き。新しいことを知るのは嬉しいけれど、物理的距離が縮まると怖じ気づいてしまう。
きっと僕は怜治くんの優しさに胡座をかいているのだと思う。ちゃんと向き合えていないことは自分にもわかる。いつかこの消化不良な気持ちに答えは見つかるのだろうか。
[近づく距離/end]