長編

末候*蒙霧升降(ふかききりまとう)

 その日は朝から霧が出ていた。 小脇に洗濯物籠を抱えた暁治は、縁側でため息をついた。霧が晴れるまで、洗濯はお預けだ。これからどうしたものかともうひとつ、ため息混じりに目を落とすと、縁側でごろりと寝そべっているつっくんがいた。 朝のラジオ体操…

次候*寒蝉鳴(ひぐらしなく)

 そうめんというものは、わりと奥が深いものだと思う。 水が少ないとくっつくし、気をつけないとすぐに吹きこぼれてしまう。すぐに氷水に取って締めるとざっくりザルに盛り付ける。 おしゃれに一口分ずつに小分けなんてしない。百年単位で育ち盛りな居候ど…

初候*涼風至(すづかぜいたる)

 ひゅるりと、冷たいものが頬をなでた気がした。 暁治は思わず足を止めて後ろを振り返ったが、背後には誰もいない。 首を傾げると、またふわりと首筋をなであげられる。ほんのり冷たい風だ。くんっと匂いを嗅ぐと、少し香ばしい匂いがする。どこかで火でも…

次候*蓮始開(はすはじめてひらく)

 恥の多い生涯を送って来ました。とは、誰の言葉だったか。 恥が多いと言えば、暁治とて負けたものではないと思うし、ほぼ毎日恥をかいている気がする。 昨日も初めて担任の代わりにHRを受け持ったところ、黒板に文字を書こうとして、五本連続でポキポキ…

初候*温風至(あつかぜいたる)

「なんや、うちのがすっかり世話になってもうたみたいで、すみませんなぁ」「あぁ、いえいえ」 玄関先で頭を下げるのは、雨降小次郎の保護者だという初老の女性だ。 雨師と名乗っているが、本当なら雨の神さまということか。そろそろ梅雨明け時期ということ…

末候*半夏生(はんげしょうず)

 長雨が続く季節、田舎町は少しばかり風情があるように見える。しとしとと降る雨の中、田んぼでカエルが跳ねたり、あじさいの葉の上にカタツムリがいたり。なにより都会と違うのは草葉の匂いがすることだ。 それは蒸し蒸しとした湿気と熱気ばかりの街中では…

次候*菖蒲華(あやめはなさく)

 雨降りが続く梅雨真っ盛り。梅雨の季節と言えばあじさい、というのが定番だけれど、校庭の花壇にはそれとは違う花が咲いている。 紫や青や白――すらりとした立ち姿や花の形などは、自宅の庭に咲いていたアヤメに似ている。しかし庭でそれが咲いていたのは…