末候*蟋蟀在戸(きりぎりすとにあり)
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 あなたはお兄ちゃんなるのよと、嬉しそうな両親を見て、嬉しさより先に覚えたのは、今から思えば寂しさだったように思う。

 母親の産後の体調が悪くて、田舎にやられたときも、ずいぶん妹を恨んだものだ。体調が悪くなったのは妹のせいではないと、わかってはいたのだが。

 今でも生意気とは思うが、兄妹仲は悪くない。家族というものは、なった瞬間になるのではなく、家族という歴史をお互いに積み上げてなってゆくものだ。そういう意味では最初はともかく、なかなかいい歴史を作ってこれたのだのではないだろうか。

 だからといって、最初に覚えた寂しさは寂しさだ。都会とは違う環境、周りに年の近い子どももおらず、よけい寂しさが募った。

「なんだ、ぬしには我が見えるのか?」

 初めは烏だと、思ったのだ。
 高い神社の鳥居の上に、ちょこんと止まった小さな鳥は、暁治が見ているうちに、墨染め衣をまとった少年になった。

 いや、烏と思ったのは勘違いで、元から少年だったのかもしれない。
 暁治が頷くと、少年は赤い鳥居の上に腰掛けて、面白そうに声を立てて笑った。ついで、ふわりと鳥居から身を踊らせる。

「なにやら子猫が泣いているのかと、思うたに」

 とんっと、降りたのは暁治のすぐそば。古めかしいもの言いの少年も、まだ子どもに見える。

「なっ、泣いてない」

「ふん、童だ。特に人の子はうるさくて、我に石を投げてくる。まこと身のほども知らぬこと」

 忌々しそうに頭をかくと、少年は暁治の胸を人差し指でつついた。間近で見る少年は、薄赤い色をした髪のように鋭く、じりじりと身を焼くような、熱い瞳をしていた。

「ぼく、石なんか、……投げてない」

 ぐっと、唇を引き結ぶと、くすんっと鼻を鳴らす。目の前の相手は震えるくらい恐ろしかったけれど、間違ったことは訂正しなければならない。暁治は目線を上げると、少年の整った顔を睨みつける。

「おやおや、ずいぶんと強気だな」

 大きな涙を浮かべながら反論する子どもに、少年の目が、興味深そうな色を浮かべた。
 それだけで、近寄りがたい雰囲気が和らぐ。

「童よ、こんなところでなにをしている?」

「別に、なんでもない」

「心細いか。親に捨てられたか」

「捨てられてない! お迎えくるもん!!」

 目の前の少年は、明らかに普通の人ではない。だというのにどこまでも意地を張る子どもの頭を、少年はなでた。

「童、ひとりは寂しかろ」

 なでる手つきは、からかうような声音とは別に、どこまでも優しくて。

「なんなら、我がともにいてやろうか」

「……ほんと? ずっと、一緒にいてくれる?」

「あぁ、お前が望む限り、一緒にいてやる」

 それは単なる妖の気まぐれだろうか。そんな提案をする少年に、暁治は目を瞬かせた。

「それって、ぷろぽーずって、ゆ~やつ?」

 暁治にしてみれば、他愛のない言葉だった。先日テレビで観たドラマの台詞に似ていたから口にしただけ。
 子どもの言葉に少年は眉をしかめ、呆れたような表情を浮かべる。

「ずいぶんとませたことを言う童だな。……いいぞ、結婚してやろう。ずっと一緒だ」

 だがその無知で傲岸なところが彼の気を引いたらしい。少年は頷くと、子どもを抱き上げた。
 妖の約束は永遠のものだと、おそらく子どもは知らなかったろう。それでも、約束は約束。

 

「うん! ずっと、一緒だよ!!」

 時が流れて、人の子は忘れても、妖は覚えている。
 あのころと変わらない少年の姿で、朱嶺はあのころと同じ台詞を言い、あのころより大きくなった子どもを腕に囲った。

「……お前、あのころと色々変わりすぎてないか?」

 すっかり思い出した暁治はそうぼやいた。
 あの怜悧な、刃物のような口調と眼差しはどこに行った。こんなで判るわけがない。詐欺だ。

「ん~、よくわかんないけど、僕は僕だよ。ところでどうして、はるはここにいるの?」

 いつもと変わらず無邪気な表情を浮かべる妖に、暁治のほうが困惑する。

「いやその、結婚が――いや、菊酒を届けにだな……。そう、崎山さんがいつものやつ忘れていったからって」

「菊酒? 僕知らないけど。あ、うん。そうそう、今から僕の五番目の兄者の祝言なんだけど、なんでわかったの?」

「え? 毎年持って行くって――って、結婚するのは兄者!?」

「う~ん?」

 驚く暁治を見て、朱嶺は顎に人差し指を当てて、きゅいっと小首を傾げると、しばらく考えこんだ。

「鷹野、いるのか」

 冷たい声がその口からこぼれた。なんだなんだと、集まり始めたモブの中、朱嶺のその声に反応するかのように、人波が割れる。鷹野が今にも逃げ出そうと、背中を向けていた。
 目を上げて朱嶺の顔を見た暁治は、出会ったころの少年の眼差しを思い出した。怜悧で、冷たくて、なのに熱い眼差し。

「あ、兄ぃ……」

「ちゃんと、お話してくれる?」

 所在なげにオドオドする鷹野に、朱嶺はにこりと笑いかけた。

「ええと、すまないでござる。家主殿がちょうどいい機会だから、ちょっとばかり背中を押してあげましょうか……って」

 がばっと深く頭を下げる鷹野を見て、暁治の頭に、先日のセキレイ気取りの美術部部長の顔が浮かんだ。

「なるなる。ゆーゆとサトちゃんにハメられちゃったってことかぁ」

 うんうんと、頷く朱嶺の横で、暁治は膝から崩れ落ちた。倒れ込むところを、朱嶺の腕が支える。どうやら気力が尽きたらしい。

「あいつらめぇ……」

 どうせ他にも関わっているやつはいるのだろう。狭い田舎町である。娯楽も少ない。

「まぁまぁ」

「まぁまぁじゃない! お前は腹が立たないのか!?」

「あうん、やられちゃったなぁ~って思うけど、それだけヤキモキさせちゃったみたいだし」

 ほわんっと、先ほどまでのきつい表情は嘘だったかのように、朱嶺は口元を緩める。

「それにやっとはるを捕まえられたから、僕は別にいいかなぁ」

 えへへぇ~っと、暢気に笑う妖の頬を、暁治はむにりと引っ張った。

「捕まえたじゃない、放せ」

「やらぁ。みょう、はゆってば、ひょんとツンテレらんらから」

「おい、すりすりするんじゃい!」

「あ~、駄烏! 暁治から離れるにゃ!!」

 鷹野と一緒に、少し離れた場所に出たらしい。キイチは人波をかき分けてやってくると、朱嶺の反対側から暁治に抱きついた。

 

「それじゃ、今年の秋祭りの準備会の懇親会と、めでたく本懐を遂げた天狗の坊のおめでとう? 会をはじめましょうか」

「おい、後ろの会は余計だろ」

「ねぇねぇゆーゆ、なんで後ろにはてなマークがついてるの?」

「全然めでたくないにゃ!」

 あれから数日、稲荷神社にやってきた暁治たちは、待ち受けていた石蕗から広間へと案内された。上座を断り入り口近くに座ると、当然のように両脇に朱嶺とキイチが陣取ってくる。

 見回せば、自分たち以外に崎山さん、柳田先生、お隣で、農家を営む板東さん一家、その隣は町内会長を務める高橋さん、なぜか品川先生までいる。
 いきなり異界訪問の感想を聞かれ、怒る気にもなれず、あっという間に帰ってきたため、ろくに見て回る暇もなかったと答えておいた。事実だが、思えばちょっともったいなかったかもしれない。

 出された料理に舌鼓を打ちつつ、周りを見回した暁治は、隅っこにひっそりいる鷹野に気づいた。まだバツが悪いのだろう。
 思えば彼はここに居候の身だ。家主に言われて断れなかったのは想像に難くない。

「そういや、前から気になってたんだが、鷹野はなんで語尾が『ござる』なんだ?」

 キイチは猫だったときの名残らしい。出会ったころの朱嶺の言葉遣いも物々しかったが、彼の場合、アニメに出てくる怪しい中国人のように、とってつけたような不自然さがある。

「そっ、それはでござる。拙僧まだまだ修行中の山伏でござるが、昔から武の道に憧れているのでござる。武の道を極めるのはやはり武士。となれば、せめて口調だけでも真似すべしだと」

「なんでそこで口調なんだよ」

 毎朝素振りをするとかなら、まだわかる。なぜ言葉遣いなのか。

「それは兄ぃが、武士を目指すなら、まずはそこからだと言ったからでござる」

「え、僕そんなこと言ったっけ?」

 自信満々に胸をそらす鷹野に、とうの朱嶺はこてんっと首を傾げた。素である。

「あ、兄ぃぃぃ!?」

 そりゃ、悲鳴もあげたくなるよな。
 心酔する兄弟子からの天然の返しに泣く鷹野を見て、あまりの素直さに、そのうち誰かに騙されそうだなと、暁治は彼の未来に心の中で手を合わせておいた。
 家の戸口で鳴く、虫の声に紛れて、すっかり秋を感じる夜。

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