接近01

 駅の改札ではひっきりなしに人が出入りを繰り返している。目の前で流れていくそんな人波を眺めながら、僕はふと空を見上げる。青空に白い雲は少なくまさに快晴。本当にいい天気だ。

「洗濯でもしてくればよかったかなぁ」

 空を見上げたまま、ぼんやりそんなことを考えて少しへこむ。寂しい独身男のよくある虚しい独り言だ。けれどいまの落ち着かない感じを紛らわすには色々考えないといけないわけで、腕時計に視線を落とすと現在の時刻は十時二十五分。その時間に大きくため息が漏れる。

「気が早過ぎるだろ自分」

 そうだ、待ち合わせの時間は十一時のはずだ。それなのに改札前の花壇の淵に腰かけて、すでに三十分が過ぎようとしている。

「いや、家にいても落ち着かないから仕方ない」

 小さく自分に言い訳をしながら、僕は両手で顔を覆いうな垂れた。
 今日はこのあいだ片平に招待券をもらった写真展に行く予定だ。もちろんそんなことで落ち着きをなくしているわけではなく。これからやってくる人物にだ。なぜだか先日からどうにももやもやすることが多くて、少し一緒にいるのが居心地が悪い。かといって、別に嫌というわけではないので邪険にもできない。

「ああ、どうしよう」

 心の声が思わず口からついて出る。

「なにがどうしようなんですか?」

「え?」

 ふいに頭上から降る声に気がつけば、目の前に僕を影で覆う人が立っていた。そして慌ててそれを見上げ僕は目を丸くする。

「あれ、藤堂?」

「早いですね。いつからここにいたんですか」

 見上げた先では、藤堂が首を傾げて少し困ったような表情を浮かべている。そんな藤堂の姿にこちらも思わず首を傾げてしまった。

「お前こそ早いな。まだ三十分前だぞ」

「俺は朝弱いんで、早めに行動しないと厳しいんです」

 そう言って少し恥ずかしそうに照れ笑いをする藤堂を思わず凝視してしまう。
 
「藤堂、お前朝弱いのか? 意外だ。なんかこう朝からしゃきしゃき動いてるイメージだった」

 隙のなさそうな普段の様子からはあまり想像がつかない。意外過ぎる藤堂の一面に驚いていると、藤堂は乾いた笑い声を上げる。

「俺は先生が思ってるほど完璧じゃないですよ。毎朝あずみと弥彦が起こしに来るんで、平日は寝坊しないですけど」

「ふ、ふぅん。そうかお前たちは家が近いんだったな」

 まただ、またざわりとする。この違和感のようなむずむずした感じが堪らなく嫌なのだ。こんな調子で今日一日、ずっと一緒にいられるだろうか。なにが原因なのかさっぱりわからないので対処のしようがない。

「そんなことより、先生。スーツも素敵ですけど、私服もいいですね」

「は?」

 突然の言葉に、一瞬なにを言われているかわからなかった。でも改めて藤堂を見上げてその意味に合点がいった。
 休日なのだから当たり前だが、藤堂はいつもの制服姿ではない。デニムにカットソー、それにジャケットを軽く羽織っただけのラフないでたち。背も高く男前な藤堂は、まるでどこかの雑誌から抜け出たかのようでとても目を引く。
 天は二物も三物も与え過ぎだと思う。
 大体、僕もジャケットがシャツに変わったくらいで、似たような格好しているはずなのだが、どうにも差を感じる。これはやはり着ている中身の問題なのか。
 文句のつけどころが一つもない、完璧過ぎる容姿を思わずまじまじと見つめてしまう。

「お前、私服だと高校生には見えないな」

 服装のせいだけでなく、藤堂は学校で会う印象とかなり違っていた。
 いつもはさらりと自然に流している髪も、今日はヘアーワックスでも使っているのか、全体的に少しふわりとしている。眼鏡もいつもの細い銀フレームではなく縁がある、いわゆるおしゃれ眼鏡。普段の優等生然とした雰囲気がなく、大学生――下手をすると社会人と言っても絶対に通るだろう。男として少々悔しさを感じるが、僕の容姿では藤堂のルックスにまったく勝ち目がないのは目に見てわかる。

「だとしても、雰囲気違い過ぎるだろう」

 小さく唸り少し不服そうにそう言えば、藤堂はそれに反して嬉しそうに頬を緩めた。

「先生はどっちがいいですか?」

「ど、どっちだっていい」

 悪戯っぽく目を細める藤堂に思わず声を大にしてしまう。そんなに大声で言うことでもないのだが、なぜかそわそわして気持ちが落ち着かない。そしてそんな落ち着きのない僕を見ながら、藤堂は見ているこっちが恥ずかしくなるくらい優しく微笑んでいる。

「先生はいつもより可愛いですね」

「は?」

 突然そう言って笑った藤堂に一瞬あ然とした。

「か、可愛いってなんだ!」

 藤堂は言うに事欠いて人のことを可愛いとか言い出す。いままで自分の容姿を見て、他人に可愛いなんて単語は言われたことがない。

「普段も若いですけど……なんだか、いいですね。今日は無理を言ってついて来てよかった」

 顎に手を置き、じっとこちらを見て考える仕草をしていた藤堂が、ふいに目を細めにやりと笑った。その表情に思わず目を疑った。

「なんだその目は」

「なんだってなんですか?」

「やらしい顔をしてる」

 そうだ、笑った藤堂の顔がどうにもいやらしいと言うか、目が、こっち見てる目がやらしい。けれどそう言った僕に対し、藤堂は少し驚いた顔をしてからにこりと微笑んだ。

「健康な男子なんで、好きな人を目の前にしていやらしくなるなって言うほうが無理です」

「お、お前なぁ」

 言ってることと表情が全然違い過ぎる。そんな爽やかな笑顔で言い切ることじゃないだろう。

「先生、あんまり俺に綺麗なイメージを持たないでくださいね。幻滅されても嫌なので」

 うな垂れた僕にそう言って、藤堂は俯く頭を優しく梳くように撫でる。

「先生の髪質って、ほんとにさらさらしてて触り心地がいいですよね」

「お前は本当に触るの好きだな」

 髪に藤堂の指先が触れた瞬間、ほんの少し肩が跳ねた。でも会うたびどこかしら触れてくる藤堂に若干の免疫がついてきたような気がする。いつもより鼓動が速くない。

「触るのも好きですけど」

「ん?」

 時折髪先をすくいながら触れる藤堂の手がなんだか気持ちよくて、しばらくそのままでいたら、ふいに藤堂の指先が耳の輪郭をなぞり耳たぶを掴んだ。

「先生が好きなんです」

 前言撤回――免疫なんてつきそうにない。

「……っ!」

 その感触に大袈裟なほど僕は飛び上がり、弾かれるように顔を上げる。肌がざわめいて鳥肌が立った。

「すみません。あ、もしかして耳って弱いですか?」

 耳を押さえ恨めしげに見上げれば、藤堂はほんの少し眉尻を下げ笑う。でもいまだに彼の手は僕の頭を撫でている。

「いい、もういい。とりあえず行こう」

 心臓の鼓動が速くて全然よくはないが、ふと視線に気がつき僕は慌てて立ち上がった。思えばここは駅前。休日の午前中とはいえ待ち合わせの人々が多くいるこの場所で、僕らは大いに悪目立ちをしていた。恥ずかしいことこの上ない。
 それでなくとも藤堂は黙っていても目立つのに、男同士でこんなことしていたら余計に人目につく。

「まだ時間は早いからどこかで飯にでもするか」

「そうですね」

 急に立ち上がった僕に目を丸くしていた藤堂は、軽く何度か瞬きをしてからふわりと微笑んだ。